歌舞伎編「黙阿弥」

  • 文化デジタルライブラリーへ戻る
  • サイトマップ
  • クレジット
  • このサイトについて
  • 索引
  • 早わかり
  • 黙阿弥とその時代
  • 取り巻く人々
  • 作品の特色
  • 作品の紹介
TOP > 作品の紹介 > 代表作品(小袖曾我薊色縫~鑑賞のポイント~)
前ページへ戻る

作品の紹介

代表作品

小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)

概要
あらすじ
鑑賞のポイント
コラム
ポイント1

 現行の上演では、清元(きよもと)『梅柳中宵月(うめやなぎなかもよいづき)』による心中の道行(みちゆき)から始まります。御家狂言の骨格をなす八重垣紋三(やえがきもんざ)関係の筋がカットされたために、いきなり心中から始まることになったのですが、かえって面白い構成になりました。なおこの曲は、『十六夜(いざよい)』の通称で現在も独立して上演される、清元の人気曲となっています。
 場所は鎌倉の稲瀬川(いなせがわ)としていますが、百本杭(ひゃっぽんぐい)は蔵前橋から両国橋にかけてあるので、言うまでもなく稲瀬川は隅田川のことです。百本杭というと『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』で、お嬢吉三(おじょうきちさ)が夜鷹を突き落として50両を奪い取るのもこの場所です。このあたりは、荒川・中川・綾瀬川などが隅田川に流れ込んで水流が激しくなるので、護岸のために杭を打ち込んだといいます。水練の経験のある者でなければ、まず命がないと考えていいでしょう。

ポイント2

 「百本杭川下(ひゃっぽんぐいかわしも)の場」では、死にきれずに途方にくれる清心(せいしん)と、父のために50両の金を調達した求女(もとめ)が、それぞれ本舞台と花道で七五調(しちごちょう)の割台詞(わりぜりふ)になります。清心と求女は別の思いを持っているのですが、それが「こりゃどうしたら」「よかろうわいなア」という共通の思いになっていく過程が鮮やかです。このあと金をめぐってもみあう拍子に、清心は求女を殺してしまいます。清心は自害しようとしますが、遊山船の騒ぎ唄(さわぎうた:賑やかな音楽)を聞いて「しかし待てよ」と変心し、「一人殺すも千人殺すも取られる首はたった一つ」と、悪に生きる決心をします。
 なお、幕切れは清心に白蓮(はくれん)・十六夜(いざよい)・三次(さんじ)が絡む、世話だんまりとなります。「箱根山中地獄谷(はこねさんちゅうじごくだに)の場」でもだんまりが出ますが、こちらは時代だんまりから世話だんまりになるのが特徴です。

ポイント3

 「雪の下白蓮本宅(ゆきのしたはくれんほんたく)の場」は、清心と十六夜が心中未遂をしてから1年後の出来事です。雪の下は鎌倉の地名ですが、これも稲瀬川と同じで、実際には隅田川付近の下町と考えられます。いまや清心は鬼薊清吉(おにあざみせいきち)の名で知られる盗賊となり、おさよもすっかり感化されて悪擦れのした女になりさがっています。おさよが白蓮の煙管(きせる)で煙草を飲み、白蓮に吸い付け煙草を差しだそうとすると、清吉が「亭主の前で吸付煙草、ふざけたことをしやアがるな」と言います。これに対しておさよが「七両二分取って上げらアな」と返します。「七両二分」は間男(まおとこ)の示談金で、こんなセリフが出てくるところに人物がよく表れています。ところが、白蓮が大盗賊・大寺正兵衛(おおでらしょうべえ)だとわかると立場が逆転します。さらに清吉が正兵衛の実の弟であるなど、ここはどんでん返しの重なる場面です。

ポイント4

 「名越無縁寺(なごえむえんじ)の場」で、自分が殺したのがおさよの弟・求女であったことを知った清吉は、自害しようとします。おさよはこれを止めようとしますが、子どもが泣くのでこれを抱きながら、枷(かせ)にしてもみあうことになります。生きなければならない子どもと、死に行くおさよ・清吉、三者三様の姿が哀れとも皮肉ともとれる場面です。このあと清吉はおさよの肩先を斬ってしまい、自分も自害しようとするところで、隣家の2階から『恋娘昔八丈(こいむすめむかしはちじょう)』の「鈴ヶ森引廻しの段」が聞こえてきます。これは他所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)といって、よそから聞こえてくる浄瑠璃が、他人事であるはずなのに当の本人たちの心理と重なってくるという演出法です。

ページの先頭に戻る