歌舞伎編「黙阿弥」

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黙阿弥とその時代

社会をめぐる動き

地図で見る Flashアニメーション 江戸三座の動き/黙阿弥の住居

世直しと改革

幕藩体制の動揺

 寛政の改革ののち、大御所と呼ばれた11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)自らが贅沢(ぜいたく)な生活を送るなか、幕府や大名の財政状況は悪化を続け、各地で状況の改善を要求する「世直し」と呼ばれる騒動が見られるようになります。農村から大都市圏への人口流入も止まらず、正業に就けない人も増加していきました。その一方で欧米の諸国が日本に目を向け、通商の開放や国交の樹立に対する圧力も高まってきていました。

天保の改革
初代歌川広重画
江戸芝居町

 こうした状況の中、家斉の死去を機会に、老中・水野忠邦(みずのただくに)を中心とした幕府は「天保の改革」(天保12年~14年[1841年~1843年])を断行します。財政立て直しを基本におき、農村の復興・武士の引き締め・外国対策を柱とした改革でしたが、贅沢の禁止や小売り値段の強制引き下げなど、厳格を極めた規制は庶民の不満を招きました。また、都市圏の下層民を農村へ戻そうという法令や他の政策も不評で、特に江戸・大坂の近郊を幕府直轄地にしようという上地令(あげちれい)への反発を機に忠邦は老中を解任され、改革は中断してしまいます。

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