■「野崎村の段(のざきむらのだん)」
早咲きの梅が春を告げる野崎村、久作(きゅうさく)の百姓家。久作は久松の育ての親です。実は久松は和泉国石津(いずみのくにいしづ)の家中相良丈太夫(さがらじょうだゆう)の子息でしたが、父、丈太夫が御家の重宝吉光(よしみつ)の刀を紛失した科(とが)で切腹し、家は断絶しました。久松は乳母お庄(おしょう)の兄である久作のもとで育てられ、大坂の油屋へ奉公に出ました。久作夫婦は久松を娘おみつと夫婦にしようと考えていました。二人の祝言は、久作にとっても、病気で失明し余命も残り少ない女房(にょうぼう)にとっても、待ち遠しいことでした。
久作が久松の奉公する油屋へ年末の挨拶に出かけたのと入れ違いに、久松が小助に連れられて戻って来ました。座摩の社(ざまのやしろ)ですり替えられた偽金の件で、油屋の後家お勝(おかつ)の計らいにより実家に戻ることになったのです。
急いで家に戻った久作はお金を渡し小助を追い返します。久作は久松が帰ったのを幸いに、おみつとの祝言を挙げ、油屋への奉公も暇(いとま)をもらおうと提案します。それも、祝言は今日です。突然のことにおみつはとまどいますが、兄を慕うような気持が恋心に変っていることを、おみつ自身が一番よく知っています。しかし、久松の心を占めるのはお染です。久松はおみつの喜びよう、久作の安堵(あんど)の様子、命あるうちにおみつの花嫁姿を手で触れて安心したいという、老母の願いを思いやると、何も言い出すことができませんでした。
久松のあとを追ってお染がやって来ました。町娘の洗練された美しさや、大店の秘蔵娘(ひぞうむすめ)のゆったりと、おおらかな態度におみつは圧倒されます。おみつの浮き浮きした気持ちは雲散霧消(うんさんむしょう)し、嫉妬が芽生えました。外にいるお染に気づいた久松。久作はおみつを無理に奥に連れて行きました。待ちかねたお染は家に走り込み、久松と別れなければならないのなら死ぬ覚悟を決めている、と剃刀(かみそり)を取り出すお染の言葉に久松も覚悟を決めました。
主人の娘と奉公人の恋は堅く戒(いまし)められています。二人の関係に気づいていた久作が意見します。お染と久松を引き離せば心中するのは目に見えています。久作は主人の娘お夏と出奔し、死罪となった清十郎の話を例え[ひもとく:様々な祭文参照]に、人の守るべき道を説きました。お染と久松は納得し諦めたようにみえましたが、二人の心中の覚悟は逆に揺るぎないものとなりました。久作はおみつを呼び出し、早速、祝言ということになりました。病気の母親もおみつの晴れの日と、病の床を出てきました。白無垢(しろむく)姿に綿帽子(わたぼうし)をかぶった花嫁おみつ。ところが、綿帽子をとると切髪(きりかみ)で、白無垢に袈裟をかけていました。おみつはお染と久松の心中の覚悟を見抜き、二人の命を救うために身を引いて尼となったのでした。老母は盲目の身ゆえ、手探りでおみつの切髪に触れ、袈裟に触れ、出家姿であることを知って驚き嘆き、その落胆は老母の命を削ります。
外ではお染を迎えに来た油屋の後家お勝が事情を聞いていました。お勝は娘お染の命を救うために、犠牲となったおみつに深く感謝し久松を連れ帰ることにしました。世間の目をはばかり、お染は船で、久松は駕籠(かご)で大坂へ向かいます。おみつへの申し訳なさで涙にくれるお染と久松。久作とおみつは、お染と久松の幸せを祈り、見送るのでした。