南北劇では、女を殺す悪い男たちが数多く登場します。それも敵討(かたきうち)など正当な理由による殺人ではなく、私利や私怨(しえん)のための衝動的に行われるものが大半を占めます。『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』(文政8年[1825年])の薩摩源五兵衛(さつまげんごべえ)は惚れた芸者の小万(こまん)に裏切られ、血が上って、彼女を含む5人を斬り殺します。
人を殺してなお、平然としている姿も鮮烈な印象を与えます。『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』(文化7年[1810年])の立場の太平次(たてばのたへいじ)は、うんざりお松(うんざりおまつ)と道具屋の後妻・おりよを毒殺した後、お松を井戸に突き落として殺してもなお冷静です。別の場面では、3人を殺した後に飛んできた蚊を叩き潰す余裕があります。
陰惨(いんさん)な殺しの場面は、実際の事件を取材したものも多くあります。『謎帯一寸徳兵衛(なぞのおびちょっととくべえ)』(文化8年[1811年])の大島団七(おおしまだんしち)の殺人シーンは現在の入谷や飯田橋で起きた猟奇的な殺人事件をベースに書かれました。
か弱い女性を殺す冷酷非道な男。その演出はニヒルな人気俳優・5代目松本幸四郎(まつもとこうしろう)がいたからこそ成立したと言えるでしょう。