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南北劇の特色 新ジャンルの形成

怪談物:超現実のスリリングな怖ろしさ

「三ヶの津御評判の提灯の幽霊」
初代歌川国貞画
お岩を演じる3代目尾上菊五郎

現代では怪談と言えば夏の風物詩ですが、文化・文政期以前の江戸時代、怪談は春雨の夜や秋の夜長に語られてきたものでした。南北は、文化元年(1804年)の『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』以来、夏狂言に怪談を持ち込み、定着させていきますが、その決め手となったのは幽霊の登場です。
『天竺徳兵衛韓噺』は、近松半二(ちかまつはんじ)が書いた『天竺徳兵衛郷鏡(てんじくとくびょうえさとのすがたみ)』の書替え(かきかえ)ですが、南北は原作にはない乳母・五百機(めのと・いおはた)を登場させます。五百機は殺され、幽霊として現れますが、これが南北劇での初の幽霊の登場です。
五百機を演じた初代尾上松助のために、南北は『彩入御伽草(いろえいりおとぎぞうし)』(文化5年[1808年])の小幡小平次(こはたこへいじ)、『阿国御前化粧鏡(おくにごぜんけしょうのすがたみ)』(文化6年[1809年])の阿国御前(おくにごぜん)といった幽霊を書き、松助の没後には3代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)のために『東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)』のお岩などの幽霊を作っていきます。
南北の怪談物では、江戸の人々の間でまことしやかにささやかれる都市伝説を巧みに狂言に織り込みながら人々の恐怖心を駆り立てていきました。その代表例が『東海道四谷怪談』です。江戸の四谷にいた醜女(しこめ)が夫に裏切られて気が狂い、再婚相手とその家族を皆殺しにしたという都市伝説に基づくものでした。荒唐無稽(こうとうむけい)な作り話ではなく、本当にあったかもしれないと人々が思う話を題材にすることが、恐怖を増幅させたのでしょう。裏切られ、殺された幽霊が復讐のために現れるという設定も南北の怪談狂言を通じて定着していきました。

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