【初演年】 文政8年(1825年)9月25日
【初演座】 中村座
鶴屋南北が71歳のときの作品です。
5代目松本幸四郎(まつもとこうしろう、62歳)は薩摩源五兵衛(さつまげんごべえ)と家主・くり廻しの弥助(いえぬし・くりまわしのやすけ)、7代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう、35歳)は船頭・笹野三五郎(ささのさんごろう)、2代目岩井粂三郎(いわいくめさぶろう、27歳:のちの6代目半四郎)は芸者・妲妃の小万(だっきのこまん)に扮しました。
大当りとなった怪談狂言『東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)』のすぐあとに上演された作品です。この作品も同じ「忠臣蔵」の世界を踏襲しています。物語は並木五瓶(なみきごへい)の大当り狂言『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』の書替え(かきかえ)です。五瓶は上方(かみがた)の狂言作者の名手であり、江戸で活躍した時期には南北もその下で働いたことがありました。「忠臣蔵」と「五大力」、さらには『東海道四谷怪談』の後日話も差し込みながら、南北は巧妙に物語を編んでいきました。
江戸っ子にとっては神様とも言える赤穂浪士(あこうろうし)。しかし南北はその義士を復讐に燃える殺人鬼・源五兵衛として描きました。末期的な世相を反映して、その大胆な設定は評価されます。「五人切り」と「小万殺し」、2場続く凄惨(せいさん)な殺しの場面は歌舞伎の名場面ですが、当時はあまり受けなかったようです。近年にないほどおもしろい作品だったが、あまり入りはよくなく10月14日で終了した、という記録も残っています。
初演後は、天保11年(1840年)に一度だけ再演されましたが、その後は上演が途絶えていました。昭和51年(1976年)8月に国立劇場で郡司正勝の補綴・演出によって136年ぶりに復活上演されました。それ以降、繰り返し上演される人気狂言になっています。