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作品紹介

盟三五大切

概要
あらすじ
鑑賞のポイント
舞台映像
ポイント1

「五人切り(ごにんぎり)」は、元文2年(1737年)7月に大坂北の曽根崎新地(そねざきしんち)で実際に起こった事件です。薩摩藩士・早田八右衛門(はやたはちえもん)が桜風呂の遊女・菊野(ゆうじょ・きくの)をはじめ5人を切り殺し、本国の薩摩に立ち退くという事件でした。南北は、「五人切り」で危ういところを逃れた小万(こまん)が、ふたたび源五兵衛(げんごべえ)に殺される「小万殺し」の場を創作しました。「五人切り」のリアルな殺し、「小万殺し」の不気味な殺し、味わいの違うふたつの殺し場が見どころになります。

ポイント2

「五大力(ごたいりき)」は、京都の上醍醐寺(かみだいごじ)で発行する泥棒よけの「護符(ごふ)」です。大坂の南(みなみ)の繁華街・堀の内の遊女は、客に送る手紙の封じ目に「五大力」と書きました。ふたりの秘密が他の人には知られないように、というおまじないでした。狂言作者の並木五瓶(なみきごへい)は「五人切り」の物語に「五大力」の趣向を取り入れて、『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』(寛政6年[1794年])を書き下ろしました。源五兵衛に秘密を打ち明けられた菊野(江戸では小万)は、芸者の命である三味線の胴に「五大力」を書いて誓いました。南北は、それを芸者の腕に彫る「入れ黒子(ぼくろ)」という恋の誓いの「彫り物」にしました。

ポイント3
(ポイント3)小万の「本首」を使った場面

元文2年に起きた「五人切り」の事件には、詳しい検死報告書が残されています。それを見ると、桜風呂の菊野と茶屋の女房、ふたりの女の首が一刀のもとに斬られています。歌舞伎・人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)の作者たちは、これに注目して脚色をしています。さらに、並木五瓶は『五大力恋緘』で、源五兵衛が斬り取った首を持ち帰り、その首を炬燵(こたつ)の上に置いて眺める場面を作り出しています。書き下ろしの台本を見ると、小道具の首をすり替えて、俳優が自分の首を出す「本首(ほんくび)」の演出でした。昭和51年8月に国立劇場で『盟三五大切』が復活上演されたときに、『五大力恋緘』の「本首」の演出が使われました。小万が目をかっと見開き、口をぱっくと開けたとき、驚いた観客で場内がどよめきました。

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