TOP > 作品紹介 > 東海道四谷怪談(鑑賞のポイント)
前のページに戻る

作品紹介

東海道四谷怪談

概要
あらすじ
鑑賞のポイント
ポイント1

お岩(おいわ)が鉄漿(おはぐろ)を付け、髪を梳(す)いて恐ろしい顔に変わるシーンのことを「髪梳き(かみすき)」といいます。観客の見ている前で、お岩の顔が恐ろしく変貌していくところが見どころになります。髪の毛が抜けていく仕掛けには、「羽二重(はぶたえ)」の鬘(かつら)が使われました。3代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)の父・初代尾上松助(おのえまつすけ)が工夫したものです。もともとは、橘逸勢(たちばなのはやなり)や紀名虎(きのなとら)の亡霊が骸骨から蘇生する場面で使われました。骸骨(がいこつ)に人間の肉が付き、毛が少し生えた不気味な姿のことを「生成り(なまなり)」といいました。羽二重の鬘は、生成りを表現するために工夫されたものでした。お岩の髪梳きでは、生きている人間が観客の見ている前で生成りになる恐ろしさがあります。

ポイント2

隠亡堀(おんぼうぼり)の「戸板返し(といたがえし)」は、実際に起こった事件を脚色したものだと言われています。山の手に住む旗本(はたもと)が間男(まおとこ)をした妾(めかけ)と中間(ちゅうげん)を戸板に釘付けにして神田川に流したというものです。また、『東海道四谷怪談』が初演された年の2月には、本所柳島の妙見橋(みょうけんばし)の袂(たもと)に子どもの死骸が流れ着いています。それを見に行った南北は、「頭一つ、耳四つ、手足とも四本、臍(へそ)の辺より二人に分れ陰陽二体、男の方赤く肉色、女の方白く下になり流れきたる」と随筆に書いています。「戸板返し」は、そのような実見談から生まれたアイデアだったのでしょう。

ポイント3

「蛇山庵室(へびやまあんじつ)」のお岩の亡霊が着る衣裳は、「漏斗(じょうご)」といいます。幽霊には足が無い、という考えは円山応挙(まるやまおうきょ)の日本画から生まれたものだとされています。漏斗の衣裳は、そのような幽霊を視覚化したものでした。もともとは、「うぶめ」と呼ばれた女性の幽霊の役に使われた衣裳でした。うぶめはお産で死んだ女性の体から飛び出ると言われています。赤ん坊を抱いて現れて、通りすがりの人にその赤ん坊を抱かせようとします。蛇山庵室のお岩の幽霊は、そのような、うぶめの幽霊の流れをくむものでした。

ポイント4

『東海道四谷怪談』には、亡霊が登場するシーンでさまざまな仕掛け物が登場します。戸板返し、提灯抜け(ちょうちんぬけ)、仏壇返し(ぶつだんがえし)など。そのアイデアは南北だけでなく、息子の直江重兵衛(なおえじゅうべえ)や俳優の3代目尾上菊五郎が出し、大道具の11代目長谷川勘兵衛(はせがわかんべえ)の匠(たくみ)の技で実現していったようです。提灯抜けでは、もっと大きめの提灯のほうがよいと注文をつける菊五郎に、勘兵衛は「小さい提灯から出てくるからおもしろい」と言い返した、という逸話が残っています。

ページの先頭に戻る