【初演年】 文政6年(1823年)6月14日
【初演座】 森田座
鶴屋南北が69歳のときの作品です。
7代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう、33歳)は祐念上人(ゆうねんしょうにん)や木下川与右衛門(きねがわよえもん)など7役、3代目尾上菊五郎(おのえきくごろう、40歳)は日蓮上人(にちれんしょうにん)や奥女中・かさね、神田川の船頭・与吉(よきち)など7役に扮しました。
歌舞伎舞踊の名作『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』(通称:かさね)の原作となった作品です。
日蓮宗の「日蓮記(にちれんき)」と浄土宗の「祐天記(ゆうてんき)」を綯い交ぜ(ないまぜ)にした作品です。祐天上人(ゆうてんしょうにん)(寛永14年[1637年]~享保3年[1718年])は下総国羽生村(しもうさのくにはにゅうむら:現在の茨城県上総市)に伝わる「累解脱(かさねげだつ)」の物語で知られる江戸時代の高僧です。初演時には実名を憚(はばか)って祐念上人としています。累(かさね)伝説は江戸の怪談の源流となり、歌舞伎や浄瑠璃、講釈、小説、落語などさまざまなジャンルで取り上げられました。
タイトルにある「成田利剣」は、魯鈍(ろどん)な祐天が成田の不動に誓い、不動の利剣(りけん)を喉(のど)に突き通して弁舌(べんぜつ)さわやかな名僧になったとする有名なエピソードによるものです。代々の團十郎は成田の不動を信仰し、「成田屋(なりたや)」の屋号を名乗っています。7代目團十郎が祐念を演じて利剣を喉に突き通すのは、そのことを当て込んだものでした。
「木下川堤(きねがわづつみ)の場」は、与右衛門がかさねを殺すシーンです。実説では「鬼怒川(きぬがわ)」ですが、南北は武蔵の国・葛飾の平井村の「木下川(きねがわ)」に移しました。江戸の人々の信仰を集めていた平井聖天宮(ひらいしょうてんぐう)に当て込んだものでした。『色彩間苅豆』は大正9年(1920年)歌舞伎座で71年ぶりに復活上演されました。6代目尾上梅幸(おのえばいこう)と15代目市村羽左衛門(いちむらうざえもん)コンビの名演で歌舞伎舞踊を代表する人気曲になりました。
国立劇場では平成7年(1995年)4月に「かさね・与右衛門」の物語を中心に4幕9場の通し狂言として復活しています。