【初演年】 文化14年(1817年)3月7日
【初演座】 河原崎座
鶴屋南北が63歳のときの作品です。
5代目岩井半四郎(いわいはんしろう、42歳)は主人公の桜姫(さくらひめ)に扮しました。清玄阿舎利(せいげんあじゃり)と釣鐘権助(つりがねごんすけ)の2役に扮したのは7代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)です。
「清玄桜姫(せいげんさくらひめ)」の物語は江戸時代に生まれたものです。初めは京の清水寺で修行する若い僧侶の物語でしたが、のちには高僧が破戒堕落(はかいだらく)して殺される物語になりました。この作品では、新たに鎌倉の建長寺広徳院(けんちょうじこうとくいん)の自久和尚(じきゅうおしょう)と鎌倉雪の下の相承院(そうしょういん)の稚児・白菊(ちご・しらぎく)の心中の物語を取り入れています。江の島の稚児が淵(ちごがふち)に身を沈めた白菊が転生(てんしょう)して桜姫となり、将軍が帰依(きえ)する高僧である清玄阿舎利に出世した自久和尚の前に現れるという因果譚(いんがたん)になりました。
この作品には、初演の当時の世相が反映されています。桜姫は権助の体に彫られていた「鐘に桜」の彫り物(刺青[いれずみ])をまねて、忘れないようにと自らの腕に彫り物をします。小さな鐘なので「風鈴お姫(ふうりんおひめ)」と渾名(あだな)されることになります。これはこの当時、彫り物が流行して禁止令が出されていたことを反映していました。
一方、清玄阿舎利には浄土宗の徳本上人(とくほんしょうにん)の面影が重ね合わされます。徳本上人は江戸城をはじめとする上流階級の多くの女性たちに招かれて「お十念(じゅうねん)」という念仏を唱えています。清玄阿舎利がお十念を唱えると奇跡が起こり、桜姫の掌(てのひら)が開いて白菊丸と取り交わした香箱(こうばこ)が現れる場面にその影響を見てとれるでしょう。この時代に、破戒堕落の僧侶が摘発されて晒し者(さらしもの)になっていたこともこの作品の構想に影響を与えています。
昭和42年(1967年)3月、本作品は国立劇場で150年ぶりに発端を含む全幕が復活上演されました。それ以来、再演を繰り返し、米国・ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも上演されました。鶴屋南北を代表する人気作品です。