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作品紹介

絵本合法衢

概要
あらすじ
鑑賞のポイント

初演について

3代目歌川豊国画
(左)修行者合法を演じる4代目坂東彦三郎。
(右)佐枝大学之助を演じる5代目市川海老蔵。
大きな閻魔(えんま)像の上で
修行者合法が仇討をします

【初演年】 文化7年(1810年)5月5日
【初演座】 市村座
勝俵蔵(かつひょうぞう)こと南北が56歳のときの作品です。
5代目松本幸四郎(まつもとこうしろう、47歳)は左枝大学之助(さえだだいがくのすけ)と立場の太平次(たてばのたへいじ)の2役、3代目坂東三津五郎(ばんどうみつごろう、36歳)は高橋弥十郎(たかはしやじゅうろう:のちに修行者・合法[がっぽう])と問屋人足・孫七(とんやにんそく・まごしち)の2役、5代目岩井半四郎(いわいはんしろう、35歳)は弥十郎の妻・皐月(さつき)と孫七の女房・お米(およね)の2役に扮しました。若手の2代目尾上松助(おのえまつすけ、27歳:のちの3代目菊五郎)は道具屋・与兵衛(どうぐや・よへえ)とうんざりお松(うんざりおまつ)の2役に扮しました。 南北の敵討物(かたきうちもの)の代表作となった名作です。

作品の世界

明暦2年(1656年)9月、加賀の国(現在の石川県)の大聖寺藩(だいしょうじはん)で前田大学之助(まえだだいがくのすけ)が田代孫兵衛(たしろまごべえ)に討たれた事件を脚色した作品です。大聖寺藩は加賀百万石の前田家の分家でした。本作では前田大学之助を左枝大学之助という役名にしています。南北は、大坂の歌舞伎の『忠孝誉二街(ちゅうこうほまれのふたみち)』や読本(よみほん)の『絵本合邦辻(えほんがっぽうがつじ)』などの先行作をもとにしてこの作品を書き下ろしています。正保年間(1644年~1648年)には摂津の国(現在の大阪府)の「合邦が辻」で敵討がありました。閻魔堂(えんまどう)での仇討(あだうち)の場面はそのことを取り込んでいます。

作品の概要

文化期には敵討物が流行していましたが、本作品もそのひとつに数えられます。主演の幸四郎は左枝大学之助と立場の太平次のふたりの悪人を演じ分けました。
また、太平次とともに悪事を働くうんざりお松は惚れた男のためなら悪事も働く、新しい時代の女性の役柄になりました。
本作品は文政7年(1824年)に中村座と市村座で再演され、大当りを取りました。
中村座では5代目幸四郎が持ち役の大学之助と太平次の2役を再演、市村座でも3代目三津五郎が持ち役の高橋弥十郎と孫七の2役を再演しました。中村座では3代目菊五郎が弥十郎と孫七、市村座では7代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が大学之助と太平次に扮して、それぞれの役を伝承しています。この作品は、幕末までは定期的に上演されていました。しかし、あまりにも凄惨(せいさん)な殺しの場面が多く、明治期には途絶えていましたが大正末期に復活、戦後には盛んに上演されるようになりました。

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