【初演年】 文化5年(1808年)7月25日
【初演座】 市村座
勝俵蔵(かつひょうぞう)こと南北が54歳のときの作品です。
主人公の武智光秀(たけちみつひで:史実の明智光秀[あけちみつひで])に扮したのは5代目松本幸四郎(まつもとこうしろう、45歳)でした。相手役の小田春永(おだはるなが:史実の織田信長[おだのぶなが])には初代澤村源之助(さわむらげんのすけ、25歳:のちの4代目澤村宗十郎)が扮しました。南北の時代物を代表する名作です。
戦国武将・明智光秀(生年不詳~1582年)が本能寺で主君・織田信長を討ち取る物語です。義太夫狂言(ぎだゆうきょうげん)の『絵本太功記(えほんたいこうき)』十段目「尼ケ崎(あまがさき)」(通称「太十(たいじゅう)」とならぶ名作です。初演時の台本は5幕の長編ですが、現在はそのうち「饗応(きょうおう)」「馬盥(ばだらい)」「愛宕山(あたごやま)」の3幕が上演されています。江戸幕府をはばかって史実の明智光秀を武智光秀と書替えたのは、近松半二(ちかまつはんじ)作『三日太平記(みっかたいへいき)』(明和4年[1767年]初演)にならったものです。
この作品での武智光秀は、実悪(じつあく)の名優・5代目松本幸四郎(まつもとこうしろう)の時代物を代表する当り役です。「饗応」は通称を「眉間割り(みけんわり)」といいます。光秀は森蘭丸(もりらんまる)に鉄扇(てっせん)で叩かれて額を割られます。「馬盥」では馬盥を盃(さかづき)にして酒を飲まされます。小田春永から繰り返し辱めを受けても、光秀はじっと我慢をします。白塗りの顔に紫紺(しこん)の美しい裃(かみしも)の衣裳、「燕手(えんで)」という敵役の鬘(かつら)を使うのが特色です。「愛宕山」で謀反(むほん)を決意すると、白装束(しろしょうぞく)の下には素網(すあみ)を着込んでいます。このとき燕手の鬘も仕掛けで乱れ髪になります。幸四郎の型は、7代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が継承して、現在に受け継がれました。 現在では『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』の外題(げだい)で上演されることが多く、有名なシーンから『馬盥の光秀(ばだらいのみつひで)』と呼ばれます。