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作品紹介

天竺徳兵衛韓噺

概要
あらすじ
鑑賞のポイント
舞台映像

初演について

初代歌川豊国画
女の幽霊・座頭・武士・妖術使いを
演じる初代尾上松助

【初演年】 文化元年(1804年)7月3日
【初演座】 河原崎座
勝俵蔵(かつひょうぞう)こと南北が50歳のときの作品です。
初代尾上松助(おのえまつすけ:のちの松緑)61歳の奮闘公演として書き下ろされました。松助は、主人公の天竺徳兵衛(てんじくとくべえ)のほかに、大友家の公達・月若丸(きんだち・つきわかまる)の乳母・五百機(めのと・いおはた)の2役に扮しました。

作品の世界

播州高砂(現在の兵庫県高砂市)の船頭・天竺徳兵衛は実在の人物でした。江戸幕府が鎖国をする前、寛永年間(1624年~1644年)に御朱印船(ごしゅいんせん)で2度、天竺(インド)に渡りました。晩年になって、長崎奉行所に提出した若き日の渡海記録『天竺徳兵衛物語(てんじくとくべえものがたり)』が「異国話」の原典です。
歌舞伎や人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)では、天竺徳兵衛は異国を漂流して歩いた難破船(なんぱせん)の船頭という設定になり、蝦蟇の妖術を用いて日本国の転覆を狙うスケールの大きな謀反人(むほんにん)になりました。南北の『天竺徳兵衛韓噺』は、人形浄瑠璃『天竺徳兵衛郷鏡(てんじくとくびょうえさとのすがたみ)』(宝暦13年[1763年])をもとに脚色されたものです。

作品の概要

本水(ほんみず)を使った水中の早替り(はやがわり)、見世物(みせもの)的な大蝦蟇、屋体崩し(やたいくずし)など迫力に溢れるケレンと松助の体を張った演技で評判を取りました。天竺徳兵衛が唱える「デイデイ、ハライソハライソ」という呪文(じゅもん)は、「主イエス」「天国」という意味の隠れキリシタンのオラショ(祈祷[きとう])でした。水中の早替りは「切支丹(きりしたん)の妖術ではないか」という噂まで呼んで話題をさらい、2カ月以上に及ぶロングランとなりました。
天竺徳兵衛がアイヌの民族衣装の厚司(あつし)を着て登場したり、座頭(ざとう)の徳市(とくいち)となって異国の楽器である木琴(もっきん)を演奏するなど異国趣味が随所に見られます。この年はロシア使節レザノフが長崎に来航しており、庶民の間でも外国の存在感が徐々に増してきた時期でした。異国の匂いを感じさせる演出もまた大当りの理由でしょう。
水中の早替りは、一子相伝(いっしそうでん)の芸として3代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)に受け継がれました。明治以降、音羽屋・尾上菊五郎家の芸として『音菊天竺徳兵衛(おとにきくてんじくとくべえ)』として上演されています。
初演のときに松助が演じた「五百機・天竺徳兵衛」の男女の早替りは、「かさね・与右衛門(よえもん)」「お岩(おいわ)・小仏小平(こぼとけこへい)」へと受け継がれました。

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