年表

  • 生い立ち
  • 作者の道へ
  • 作者としての独立
  • 歌舞伎作者時代
  • 再び人形浄瑠璃の世界へ
  • 名作を生んだ大成期
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  • 周辺の人々
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周辺の人々

近松門左衛門と関わりの深かった人物を紹介します。
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  • 近松の年齢と関わった時期
    • 1672 二十代
    • うじかがのじょう(1635-1711)
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    •  能楽を好み、優美な芸風で人気を博した古浄瑠璃(義太夫節成立以前の浄瑠璃)太夫です。近松は、加賀掾が率いる宇治座で作者修業を始めました。

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    二十代ここまで
    • 三十代
    • たけもとぎだゆう(1651-1714)
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    •  大坂・道頓堀で竹本座を旗揚げし、近松と提携して義太夫節の創始者となった太夫です。近松が執筆した浄瑠璃作品の多くが、義太夫へ提供されました。

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    三十代ここまで
    • 四十代
    • さかたとうじゅうろう(1647-1709)
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    •  都万太夫座の座本(ざもと・興行責任者)を務め、元禄歌舞伎の中心的な役割を担った歌舞伎役者です。近松は藤十郎と提携し、彼の芸風を活かした歌舞伎作品を執筆しています。

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    四十代ここまで
    • 五十代
    • たけだいずも(?-1747)
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    •  『曽根崎心中』大ヒット後、竹本座の運営を任されることになった座本(ざもと・興行責任者)です。近松を座付作者に迎えた出雲の手腕は、竹本座の繁栄を導きました。

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    五十代ここまで
    • 六十代

      たけもとまさたゆう

    • (1681-1764)
    •  竹本義太夫の没後、『国性爺合戦』で重要な場面を語り、ロングランヒットを導きました。『平家女護島』、『心中宵庚申』など、近松円熟期の名作は、政太夫ら第2世代の太夫たちによって語られています。

      「名作を生んだ大成期」へ

    六十代ここまで
    • 七十代

      1724

    • ほづみいかん(1692-1769)
    •  近松の芸論「虚実皮膜論(きょじつひにくろん)」を、浄瑠璃の解説書『難波土産(なにわみやげ)』で紹介した儒学者です。近松の作品執筆時に居合わせて、その名文に感心したという逸話があるほか、息子には浄瑠璃作者の近松半二(ちかまつはんじ)がいます。

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