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近松作品事典

このページでは、近松門左衛門の残した作品を調べることができます。
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そねざきしんじゅう

「評判を呼んだ近松最初の世話物」

【ジャンル】世話物/【初演年】元禄16年(1703年)5月7日/【初演座】竹本座
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『曽根崎心中』「天満屋の段」

うづきのもみじ

【ジャンル】世話物/【初演年】宝永3年(1706年)夏(推定)/【初演座】竹本座

 大坂・心斎橋(しんさいばし)の古道具屋である笠屋(かさや)の娘・おかめと、婿養子の与兵衛(よへえ)が起こした、実際の心中事件に取材した作品です。

 おかめと与兵衛は、幼なじみの従兄妹同士です。与兵衛は古道具屋笠屋の一人娘であるおかめと結婚して婿養子となるのですが、実の叔父である舅(しゅうと)・長兵衛(ちょうべえ)やその妾(めかけ)・ゐま(いま)と折り合いが悪く、家を出てしまいます。
 笠屋で留守番中のおかめは、家の前に姿を見せた与兵衛に気付き、中へ呼び入れます。ちょうどそこへ、おかめと与兵衛を心配した2人の伯母が、緋縮緬(ひぢりめん)の反物を手土産に訪れます。与兵衛がいるとも知らず、心を込めて意見する盲目の伯母の言葉に涙する2人。しかし、ゐまとその弟・伝三郎(でんざぶろう)の悪意によって追い詰められた与兵衛は、2階の窓から結び下げた緋縮緬を伝い、家を抜け出したおかめと共に出奔します。梅田堤で心中を試みる2人ですが、落とした刀を拾うために川の深みにはまった与兵衛を助けようと、おかめも川へ入って水死。与兵衛だけが助けられて、不名誉な「片生きの心中」に終わるのでした。
 本作には、続編『卯月の潤色(うづきのいろあげ)』があります。また、おかめ・与兵衛と、『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)』の梅川・忠兵衛、2組の恋と心中を取り上げた現代劇として、秋元松代(あきもとまつよ)作・蜷川幸雄(にながわゆきお)演出『近松心中物語~それは恋~』(昭和54年[1979年]初演)が有名です。劇中、シリアスな梅川・忠兵衛に対し、おかめ・与兵衛はコミカルに描かれています。

ほりかわなみのつづみ

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『堀川波の鼓』

【ジャンル】世話物/【初演年】宝永3年(1706年)6月以後~宝永4年(1707年)2月15日以前(推定)/【初演座】竹本座

 実際に起きた姦通(かんつう)事件を踏まえ、能『松風』をモチーフとして書かれた作品です。

 因幡藩(いなばはん・現在の鳥取県)の武士・小倉彦九郎(おぐらひこくろう)は、藩主の供で江戸詰め、いわば単身赴任中です。彦九郎の妻・おたね(現在の文楽では「お種」)は、寂しい日々を送っています。おたねは、ある日実家で妹のおふぢ(現在の文楽では「お藤」)と過ごすうち、養子・文六(ぶんろく)の小鼓の師匠・宮地源右衛門(みやぢげんえもん)と出会います。その後、おたねに横恋慕する男が訪れ、おたねにしつこく言い寄ります。その場逃れに色良い返事をしたおたねですが、それを源右衛門に聞かれて動揺。日頃から帰りを待ちわびている夫に知られたくない一心で、口止めにと杯(さかずき)を交わすうち、酔いが回った2人は思いがけなく男女の関係に陥ってしまうのでした。
 江戸から帰国した彦九郎に、おふぢは姉を離縁し自分と結婚するよう迫ります。武士の世界では、夫ある身での姦通(かんつう)は殺されても仕方ない重罪でした。その罪を犯した姉を救うため、おふぢは先回りして姉夫婦を離縁させようとしたのです。しかしその願いも空しく、姦通の噂を聞いた彦九郎はおたねを殺さざるを得なくなります。先に自らの胸に刃を突き立て、虫の息となったおたねは、深い悲しみを押し隠した夫の手にかかり息絶えます。
 本作は、ふとしたことで起こった姦通の悲劇を描く近松の「姦通物(かんつうもの)」のひとつです。初演以来、再演の記録がありませんでしたが、昭和39年(1964年)に復活公演が行われました。今日の文楽でも、度々上演されています。

うづきのいろあげ

【ジャンル】世話物/【初演年】宝永4年(1707年)4月(推定)/【初演座】竹本座

 前年の宝永3年(1706年)に竹本座で上演された、『卯月紅葉(うづきのもみじ)』の続編です。

 前作では、幼なじみの従兄妹同士で、夫婦となったおかめと与兵衛(よへえ)が、心中に至るまでの物語が描かれています。共に死ぬはずの2人でしたが、おかめだけが死んで、与兵衛は生き残ってしまいました。
 続編となる本作では、与兵衛は心中の際に負った傷も癒え、実家に預けられています。おかめ・与兵衛夫婦のことを心配していた伯母とおかめの父は、巫女に頼んでおかめの魂を呼び出しました。巫女の祈りによって現れたおかめの霊は、父の妾・ゐま(いま)とその弟が密かに行っていた悪事を明かし、2人を家から追い出した上で、与兵衛を出家させ、自分の魂を弔わせるよう願います。
 出家した与兵衛は「助給(じょきゅう)」と名乗り、ひたすらおかめを供養します。おかめの1周忌に近いある日、おかめの霊が与兵衛の元を訪れます。2人はしばし語らい、楽しい時を過ごしますが、茶の湯を沸かそうと与兵衛が火打ち石を打つと、おかめの姿は消え失せてしまいました。与兵衛は嘆き悲しみ、後を追って死ぬことを決意。遺言状をしたためるうち、与兵衛の身を案じる伯母から、薬や衣類をまとめた荷物が届きます。与兵衛はその中にあった白縮緬の帯をおかめの位牌に結び、片方の端を手に絡めてかみそりで喉を突き、自害します。
 与兵衛の遺言状には、親と伯母への感謝と、心中で1人生き残ったが、おかめの1周忌に命を絶つので、去年一緒に死んだものと思って供養を願う旨がしたためられていました。
 『卯月紅葉』・『卯月の潤色』は、21歳と15歳という若い夫婦の心中と、1人生き残ってしまった夫の「後追い心中」を、前編・後編に分けて描いた作品です。

ごじゅうねんきうたねぶつ

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『五十年忌歌念仏』

【ジャンル】世話物/【初演年】宝永4年(1707年)7月14日以前(推定)/【初演座】竹本座

 実際の事件から創作されて流行した、「清十郎ぶし」の歌謡を元に書かれた作品です。

 但馬屋(たじまや)の奉公人・清十郎(せいじゅうろう)は、主人の娘であるおなつ(現在の文楽では「お夏」)と恋仲になっています。しかしおなつに、主人の勧める別人との結婚話が持ち上がり、清十郎は気を揉んでいました。一方、清十郎の同僚・勘十郎(かんじゅうろう)は、主人から預かったおなつの嫁入り道具用の金を使い込み、支払いに困っていました。そこで、偶然出会った清十郎の父・左治右衛門(さじえもん)におなつ・清十郎の密通を告げ、おなつの結婚を引き延ばして2人を救うためと偽り、嫁入り道具を返品する証文(しょうもん)を書かせます。
 おなつの父・九左衛門(くざえもん)は、勘十郎から、左治右衛門が書いた嫁入り道具返品の証文を見せられた上、おなつと清十郎の密通を知り、激怒します。但馬屋を追い出された清十郎は、勘十郎の悪事を知って彼を殺そうとするものの、誤って他人を刺して逃亡してしまいます。おなつは狂乱し、清十郎の後を追って家を出ます。
 狂女となったおなつは、清十郎の姿を求めてさまよい歩きます。清十郎が捕えられたと聞いたおなつは、刑場へ向かい、清十郎と再会しました。処刑の直前、清十郎は役人の隙を見て自害します。おなつが後を追って死のうとしたところに、父・九左衛門が勘十郎を連れて駆け付け、勘十郎の悪事を暴きました。汚名をそそいだ清十郎は安心して息を引き取り、傷が癒え、一命を取り留めたおなつは出家して清十郎の菩提を弔うのでした。
 今日では、昭和36年(1961年)に復活された、おなつが狂乱してさまよう「笠物狂の段(かさものぐるいのだん)」のみが上演されています。

しんじゅうかさねいづつ

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『心中重井筒』

【ジャンル】世話物/【初演年】宝永4年(1707年)11月または12月(推定)/【初演座】竹本座

 宝永元年(1704年)に起こったとされる、実際の心中事件を元に描かれた作品です。

 紺屋(こうや)の婿養子である徳兵衛(とくべえ)は、実家である重井筒屋(かさねいづつや)の遊女・おふさ(現在の文楽では「お房」)と馴染みを重ねていました。ある日、おふさの父を助けるために金が必要になった徳兵衛は、妻のおたつの名前で400匁(約64万円)の借金をしてしまいます。このことを知ったおたつの父・宗徳(そうとく)は立腹しますが、あくまで夫をかばうおたつの心に感じた徳兵衛は、おふさとの別れを決意し、金もおたつに渡しました。しかし、宗徳の元へ釈明に向かう途中、ついおふさのことを思い、重井筒屋へと向かいます。
 一方、徳兵衛の来訪を待つおふさは、金を得られなければ自害しようと思い詰めています。そこへ徳兵衛がやって来ますが、妻子ある徳兵衛と別れるよう勧める重井筒屋の内儀(ないぎ)は、おふさを外出させてしまいます。重井筒屋の主人である兄夫婦に引き留められ、気を揉みながら火燵(こたつ)にあたっている徳兵衛の元へ、おふさが屋根伝いに忍んできます。八方塞がりとなった2人が心中の話し合いをするうち、気配に気付いた徳兵衛の兄が訪れ、火燵の中に隠れたおふさを懲らしめようと炭を継ぎ足しました。あまりの熱さにおふさは苦しみ、徳兵衛は生きた心地もしません。兄が去ると、徳兵衛は助け出したおふさを背負い、2階の屋根から重井筒屋を抜け出します。
 大仏殿勧進所で心中しようとするおふさ・徳兵衛ですが、紺屋のおたつたちが2人を探す声が聞こえてきます。おふさを刺した徳兵衛は、一時身を隠して人々をやり過ごそうとしますが、誤って埋もれていた井戸に落ち、そのまま絶命するのでした。
 初演以来、江戸時代を通じて度々再演されてきました。上演頻度は高くないものの、現在の文楽でも、重井筒屋の場面「六軒町の段(ろっけんちょうのだん)」が上演されています。

たんばよさくまつよのこむろぶし

【ジャンル】世話物/【初演年】宝永4年(1707年)末(推定)/【初演座】竹本座

 当時の流行歌謡の中に登場する、丹波与作(たんばよさく)と関の小万(せきのこまん)の恋を題材にした作品です。

 丹波国(たんばのくに)の城主・由留木(ゆるぎ)家では、10歳の調の姫(しらべのひめ)を東国へ養子に出すことになりました。幼い姫は出発を嫌がりますが、馬方(うまかた)の三吉(さんきち)が東国までの道中双六(どうちゅうすごろく)を見せると、機嫌を直します。姫の乳母・滋野井(しげのい)は、喜んで三吉に褒美を与えますが、話を聞くうち、三吉が別れた夫・伊達与作(だてのよさく)との間に生まれたわが子と判明。三吉は父母と離れ、馬方に落ちぶれていたのでした。2人は立場上、親子と名乗り合えず悲しみます。
 かつて由留木家に仕えたものの、今は浪人して馬方となった与作は、遊女の小万(こまん)と恋仲になっています。しかし小万は、父の年貢の未納を肩代わりし、窮地に陥っていました。与作は小万を救うため、博打(ばくち)で金を作ろうとしますが、かえって借金16貫文(約46万円)を負ってしまいます。そこで、与作は自分を慕う三吉を、わが子と知らずにそそのかし、調の姫一行から金を盗ませました。三吉は、頼まれた通りに金を盗みますが、すぐに露見。万策尽き、小万との心中を決意した与作は、三吉がわが子であったことを知り、罪悪感に涙を流します。
 小万と与作がいよいよ死のうとした時、調の姫が三吉と与作の罪を許し、再び武士として仕官させるとの知らせが届きます。喜び合う人々は、姫の所望で、小万を中心に「与作おどり」を披露するのでした。
 本作の改作として、寛延4年(1751年)2月竹本座初演『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』があります。今日でも上演されており、三吉と滋野井(同作では「重の井」)が親子と名乗り合えずに別れる「重の井子別れの段(しげのいこわかれのだん)」が有名です。

いまみやのしんじゅう

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『今宮の心中』

【ジャンル】世話物/【初演年】正徳元年(1711年)夏(推定)/【初演座】竹本座

 首を吊るという心中の仕方で世間の噂になった、実際の心中事件を元に描かれた作品です。

 着物の仕立てを商売とする菱屋(ひしや)の人々が舟遊びをしていると、そこへ菱屋のお針子・おきさとその父・太郎三郎(たろうさぶろう)がやってきます。父は、おきさを田舎の許嫁(いいなづけ)と結婚させるつもりでしたが、菱屋の奉公人・二郎兵衛(じろべえ)と恋仲であるおきさは承知しません。菱屋主人の母・貞法(ていほう)は、おきさには自分が良い婿を見つけると太郎三郎に約束します。おきさに横恋慕する元奉公人の由兵衛(よしべえ)は、おきさの結婚を貞法に任せるという証文の作成を提案。自分の恋に都合のよい証文を書き、おきさと父に判を押させてしまいます。
 おきさと二郎兵衛は、恋の障害となる証文を何とか破り捨てようと、大切な書類が入れてある大きな戸棚の鍵を盗み出します。二郎兵衛が戸棚を開け、証文を取り出し破いたところに、折悪く由兵衛が訪れます。慌てた二郎兵衛が戸棚の中に隠れたのに気付き、由兵衛は鍵をかけて二郎兵衛を閉じ込め、大声で菱屋の人々に事の次第を暴露します。
 夜更け、貞法は二郎兵衛を戸棚から出し、おきさと二郎兵衛を結婚させるつもりで、例の証文もとっくに破いてあったことを告げました。しかし事を穏便に収めるため、おきさを諦めるよう説得。一旦は承知した二郎兵衛ですが、先程破いた証文が、菱屋が人に大金を貸した際の大切な証文であったことに気付き、愕然とします。二郎兵衛とおきさは、菱屋に7貫500目(約1200万円)もの損害を与えてしまう責任から、死を覚悟して心中へと赴きます。
 今宮戎(いまみやえびす)神社の森で、おきさは5歳も年下の二郎兵衛を、自分との恋ゆえに死なせることを嘆きます。二郎兵衛も、菱屋の主人と貞法への申し訳なさに涙を流しますが、夜が明ける前にと、木に掛けた反物の両端で、首を吊って心中を果たすのでした。
 本作には、初演以来、再演の記録がありませんでした。しかし、昭和31年(1956年)に文楽で復活上演が行われ、現在の文楽でも、稀に上演されることがあります。

めいどのひきゃく

「大坂の経済を背景とした意欲作」

【ジャンル】世話物/【初演年】正徳元年(1711年)7月以前(推定)/【初演座】竹本座
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『冥途の飛脚』「封印切の段」

ゆうぎりあわのなると

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『夕霧阿波鳴渡』

【ジャンル】世話物/【初演年】正徳2年(1712年)初春(推定)/【初演座】竹本座

 人気のあった実在の遊女・夕霧が若くして亡くなったことを題材に、「夕霧物(ゆうぎりもの)」と呼ばれる数多くの浄瑠璃・歌舞伎作品が生まれました。本作はその1つで、「夕霧物」の代表作といえる作品です。

 扇屋(おうぎや)の傾城(けいせい)・夕霧(ゆうぎり)は、病の床に伏しています。しかし、正月の今日は、いつも恋人の藤屋伊左衛門(ふじやいざえもん)と過ごしていた吉田屋(よしだや)へと出向きました。一方伊左衛門は、親の勘当を受けて落ちぶれ、紙子(かみこ・紙でできた粗末な着物)姿で吉田屋に現れます。2人の間には男子がありましたが、夕霧の客であった阿波国(あわのくに・現在の徳島)の武士・平岡左近(ひらおかさこん)の子と偽り、平岡家へ養子に出していました。伊左衛門は、実家でこの子を跡継ぎにする話が出ていると夕霧に語ります。
 左近の妻・雪(ゆき)は、養子・源之介(げんのすけ)のため、夕霧を廓(くるわ)から出し、共に阿波で暮らそうと吉田屋を訪ねてきました。しかし、夕霧たちの話を立ち聞きし、源之介が夫の子でないと知って驚きます。雪は夕霧に、騙されたことを世間に隠して夫の面目を保つためにも、源之介をこのまま養育させて欲しいと頼みました。夕霧は、子に一目会わせてくれることを条件に了承します。
 雪の計らいで、夕霧は源之介の乳母となるべく、駕籠かきに身をやつした伊左衛門と共に平岡家を訪れます。2人は源之介の姿を見て、思わず抱きつき涙を流します。その様子を見た左近は、雪の反対を押し切り、源之介を2人へ返すことにします。
 阿波から廓に戻った夕霧は、病が悪化し命も危うくなっていました。そこへ、雪と伊左衛門の母・妙順(みょうじゅん)が、夕霧を請け出すための大金2000両(約1億8300万円)を届けます。さらに妙順は、夕霧を伊左衛門の嫁とし、医術を尽くして命を助けると励まします。力を得た夕霧は、無事に回復を遂げるのでした。
 現在の文楽では、『夕霧阿波鳴渡』としての上演は稀です。本作の上の巻に、伊左衛門の勘当が許され、夕霧も身請けされるという結末を付した改作『曲輪ぶんしょう(くるわぶんしょう)』の「吉田屋の段」が、頻繁に上演されています。

だいきょうじむかしごよみ

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『大経師昔暦』

【ジャンル】世話物/【初演年】正徳5年(1715年)春(推定)/【初演座】竹本座

 井原西鶴(いはらさいかく)の『好色五人女(こうしょくごにんおんな)』にも取り上げられた、有名な姦通(かんつう)事件を題材に書かれた作品です。

 大経師以春(だいきょうじいしゅん)の妻・おさんは、借金に悩む父を助けようと、大経師家に仕える茂兵衛(もへえ)に相談しました。主人の舅のためと、茂兵衛は以春の名で1貫目(約160万円)の金を借りようとしますが、同僚に見咎められてしまいます。おさんの父の面目を思い、茂兵衛は言い訳せず、おさんにも口止めをします。茂兵衛に恋する女中の玉(たま)は、茂兵衛を助けようと、自分が頼んだことと嘘をつきました。しかし、玉に横恋慕する以春は、茂兵衛に嫉妬し、かえって怒りを募らせます。
 夜に入り、おさんは玉の寝所を訪ね、事情を打ち明けて詫びました。玉はおさんに、以春が毎夜人目を忍び、口説きに来ると告白します。怒ったおさんは夫を懲らしめようと、玉と寝所を交換して休むことにしました。一方茂兵衛は、玉の恩情に感謝し、その気持ちに応えようと玉の寝所を訪れます。おさんはやってきた茂兵衛を夫と思い込み、男女の契りを結んでしまいます。夜明け、間違いに気付いた2人は、姦通の罪に恐れおののき、そのまま家を抜け出します。おさんの父母は、逃亡中のおさんと茂兵衛に偶然出会い、借金を返すために都合した金を、2人に渡します。
 茂兵衛の故郷に隠れ住んでいた2人は、ついに追手に捕えられます。しかし、おさんの父母の菩提寺・黒谷の和尚の計らいによって、命を助けられるのでした。
 近松の「姦通物(かんつうもの)」のひとつである本作では、主人公2人が思いがけず姦通の罪を犯してしまう経緯が、丁寧に描かれています。
 初演以来、改作の『恋八卦柱暦(こいはっけはしらこよみ)』と共に、「大経師内の段」を中心に度々再演され、今日の文楽でも上演されています。

やまざきよじべえねびきのかどまつ

【ジャンル】世話物/【初演年】享保3年(1718年)1月2日/【初演座】竹本座

 本作は、あづまと山崎与次兵衛(やまざきよじべえ)の名が登場する、流行歌などを題材として書かれています。

 大坂新町(しんまち)・藤屋(ふじや)の高級遊女であるあづまには、山崎与次兵衛という恋人がいます。一方、かつての豪商の子で、今は落ちぶれている難与平(なんよへい)も、吾妻(あづま)に恋していました。与平の心を知ったあづまは、与次兵衛の手前、男女としての仲ではなく、杯を交わそうと共に井筒屋(いづつや)へやってきます。
 折から、あづまに横恋慕する葉屋彦介(はやひこすけ)が訪れ、乱暴を働きます。与平は彦介を投げ飛ばして追い出しました。そこに現れた与次兵衛は、与平に感謝し、義兄弟となる約束を交わします。与平は、あづまから譲り受けた金を元手に、江戸で商売をしようと井筒屋を出ます。ところが、待ち伏せしていた彦介に切りつけられ、逆に相手を刺して怪我を負わせてしまいます。
 彦介が、「与次兵衛に切られた」と偽りの証言をしたため、与次兵衛は実家の座敷牢に入れられていました。しかし、与次兵衛は与平をかばい、真実を明かしません。そこへ、与次兵衛を心配したあづまが、廓を抜け出してやってきます。与次兵衛の妻・お菊(おきく)は、与次兵衛を思うあづまの心に感じ、2人を会わせようとします。また与次兵衛の父も、あづまと与次兵衛にこの場から逃げるよう勧めました。与次兵衛は心乱れつつも、あづまと共にその場をさまよい出ます。
 江戸へ下っていた与平は、大金を稼いで大坂へ戻って来ました。与次兵衛から事情を聞いた与平は、彦介を懲らしめ、1000両(約3600万円)であづまを身請けして与次兵衛に添わせるのでした。
 与次兵衛と与平の、「男の友情」を主要なテーマとして描かれた作品です。

はかたこじょろうなみまくら

【ジャンル】世話物/【初演年】享保3年(1718年)12月20日/【初演座】竹本座

 長崎で密貿易を行っていた者たちが、刑罰を受けた事件に材を取った作品です。

 京都の商人・小町屋惣七(こまちやそうしち)は、商用で博多へ赴くうち、当地の遊女・小女郎(こじょろう)と馴染みになっていました。ところが、小女郎を身請けする旅の途中、惣七は海賊たちによる密貿易の現場を目撃します。気付かれて海へと投げ込まれた惣七は、身請けの金を失ってしまいました。小女郎は、何とか惣七と夫婦になろうと、毛剃九右衛門(けぞりくえもん)に借金を頼みます。しかし九右衛門こそが、密貿易をしている海賊と判明。九右衛門は惣七に、小女郎を身請けして欲しければ仲間になれと迫ります。惣七は小女郎のため、その条件を受け入れました。
 小女郎と夫婦になった惣七は、密貿易の手伝いをしていました。それを知った惣七の父・惣左衛門(そうざえもん)は、夫婦の留守中、家財道具を売り払ってしまいます。帰宅した惣七夫婦がその有り様に驚いていると、惣七に預けていた密貿易の手形を取りに、九右衛門が訪ねてきます。ところがその手形は、惣左衛門が家の外へ持ち出していました。九右衛門は、惣七が裏切ったと思い込んで切り付けます。様子を窺っていた惣左衛門は、急いで九右衛門に手形を差し出しました。そして惣七夫婦には、家財道具を売った金を路銀として渡し、早くこの場を逃れるよう勧めます。
 密貿易のことが世間に広まり、逃亡中の惣七夫婦はついに捕まります。惣七は自害して死に、小女郎は後に残されてしまいます。捕手(とりて)の役人は悲しむ小女郎に、惣左衛門に孝行を尽くし、惣七の魂を弔うよう諭すのでした。
 物語の舞台を船上や博多とし、海賊が登場する珍しさを狙った一方で、惣七父子の情愛を深く描いた作品です。

しんじゅうてんのあみじま

「“女同士の義理”を描く世話物の名作」

【ジャンル】世話物/【初演年】享保5年(1720年)12月6日/【初演座】竹本座
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『心中天の網島』「北新地河庄の段」

おんなころしあぶらのじごく

「若者の衝動的な殺人を描いた異色作」

【ジャンル】世話物/【初演年】享保6年(1721年)7月15日/【初演座】竹本座
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『女殺油地獄』「豊島屋油店の段」

しんじゅうよいごうしん

「近松の円熟味あふれる最後の世話物」

【ジャンル】世話物/【初演年】享保7年(1722年)4月22日/【初演座】竹本座
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『心中宵庚申』「八百屋の段」

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