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近松作品事典

このページでは、近松門左衛門の残した作品を調べることができます。
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よつぎそが

【ジャンル】時代物/【初演年】天和3年(1683年)9月/【初演座】宇治座

 曽我兄弟の敵討ちの後に残された、家来・恋人・母などの物語です。

 父の敵討ちに成功した曽我兄弟ですが、兄の十郎は討たれ、弟の五郎は処刑されてしまいます。五郎を生け捕った荒井藤太重宗(あらいのとうだしげむね)は、新開荒四郎(しんがいのあらしろう)と共に五郎を侮辱(ぶじょく)します。曽我一族の朝比奈三郎(あさいなさぶろう)はこの行為を怒り、重宗・荒四郎を曽我の敵とし、討つことを決意。曽我兄弟の家来、鬼王・団三郎(おにおう・どうざぶろう)兄弟に、その旨を伝えます。
 敵討ちを恐れた重宗・荒四郎は、曽我兄弟と関わりのある者を、先に討とうと探し回りました。しかし、曽我兄弟の恋人だった遊女・大磯の虎(おおいそのとら)と化粧坂の少将(けわいざかのしょうしょう)が、曽我の世継ぎである十郎の遺児(いじ)・祐若(すけわか)を守るために活躍します。
 一方、曽我兄弟の母は、病床で兄弟の帰りを待っていました。兄弟の形見を持ってやって来た虎と少将は、母に敵討ちの様子を語って聞かせます。兄弟の死を悲しむ母ですが、忘れ形見の祐若の存在を知り、嬉し涙を流します。
 朝比奈、鬼王・団三郎兄弟、虎・少将は一致協力し、ついに重宗・荒四郎を捕えて鎌倉幕府に訴え出ました。その行動に感心した源頼朝(みなもとのよりとも)は、恩賞として、かつて曽我家の先祖が支配していた土地を与えます。貞女と称えられた虎・少将は、頼朝の御台・政子(まさこ)の求めに応じ、かつての遊女の悲しみを歌いつつ、遊里のさまを舞って見せるのでした。
 初演は宇治座で、虎・少将の活躍ぶりが人気を呼びました。貞享元年(1684年)、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が竹本座を旗揚げする際にも、この作品が上演されています。

しゅっせかげきよ

「近松と義太夫の最初の提携作」

【ジャンル】時代物/【初演年】貞享2年(1685年)/【初演座】竹本座
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『出世景清』「景清牢破りの段」

えぼしおり

【ジャンル】時代物/【初演年】元禄3年(1690年)1月(推定)/【初演座】竹本座

 源義経にまつわる伝説を下敷きに、能や幸若舞曲(こうわかぶきょく・室町期に流行した語り物芸能)の『烏帽子折(えぼしおり)』等を脚色して書かれた作品です。

 平治の乱(へいじのらん)に敗れた源義朝(みなもとのよしとも)の妻・常盤御前(ときわごぜん)と3人の子ども、今若(いまわか)・乙若(おとわか)・牛若(うしわか)は、平家方に命を狙われています。常盤母子は雪の降りしきる中を逃げのび、偶然行き着いた家に宿を乞いますが、そこは平家の侍・弥平兵衛宗清(やへいびょうえむねきよ)が通う、愛妾・白妙(しろたえ)の住家でした。実は、源氏の忠臣・藤九郎盛長(とうくろうもりなが)の妹である白妙は、常盤母子のことを平家方の夫に気付かれまいとします。しかし、倒れ伏す母に自分の着物を着せ掛ける兄弟の心に感じた宗清は、常盤母子と知りつつ4人を見逃すのでした。
 14年後、成長した牛若は烏帽子を着けて元服(げんぷく)し、源九郎義経(みなもとのくろうよしつね)と名を改めました。烏帽子屋五郎太夫(えぼしやごろだゆう)の娘で、義経に恋するしののめは、烏帽子を掛け並べて装束を着せ、祝福に訪れた武士のように仕立て、義経の元服に花を添えます。一方、恩賞欲しさに義経を訴え出た五郎太夫は、討手の長田庄司(おさだのしょうじ)と部屋の中を窺いますが、烏帽子と装束で出来た人影を本物と思い込み、踏み込むことが出来ません。
 その後、義経は都を脱出し、伊勢神宮に詣でました。すると、そこに平家追討を志す兄・頼朝からの迎えが来ます。喜ぶ義経が神楽(かぐら)を奉納すると、神々が姿を現し、源氏の未来を寿(ことほ)ぐのでした。
 佐渡島や九州で伝承されている一人遣い(ひとりづかい)の人形浄瑠璃では、現在もこの『烏帽子折』が演じられています。

せみまる

【ジャンル】時代物/【初演年】元禄6年(1693年)2月以前(推定)/【初演座】竹本座

 百人一首中の蝉丸の歌「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」や、能『蝉丸』・『鉄輪(かなわ)』を下敷きに書かれた作品です。

 延喜天皇(えんぎてんのう)の皇子・蝉丸(せみまる)は、琵琶の名手でした。さらに美男子でもある蝉丸を慕う女性は多く、右大弁早広(うだいべんはやひろ)の妹を妻とするほか、直姫(なおひめ)・芭蕉(ばしょう)という2人の恋人がいました。ある日蝉丸と直姫は、密会を早広に見咎められて駆け落ちします。それを恨んだ妻は川へ身投げし、嫉妬心から蛇体と変じて消え失せます。
 芭蕉の兄・千手太郎忠光(せんじゅのたろうただみつ)は、早広に追われる蝉丸と直姫を家に匿(かくま)いました。芭蕉は嫉妬のあまり、蝉丸・直姫に怨念を抱きます。これを知った蝉丸の忠臣・左衛門督清貫(さえもんのかみきよつら)は、やむなく芭蕉を刺します。人々の悲しみの中、芭蕉は心を改め、蝉丸の無事を祈りつつ息絶えます。
 多くの女性を不幸にした蝉丸は、その怨念を受けて盲目となってしまいます。延喜天皇は、蝉丸の来世を救うため、蝉丸を逢坂山(おうさかやま)に捨てさせます。訪ねてきた直姫が聞くとも知らず、蝉丸は直姫への恋情を琵琶の調べにのせて語ります。直姫は、蝉丸の前に走り出て、共に涙を流します。
 早広は、蝉丸を追って逢坂山までやって来ますが、忠光に討ち取られます。蝉丸の姉・逆髪(さかがみ)は、蝉丸を恨んで死んだ妻の供養を勧めます。供養の場に現れた妻の幽霊は、弔いにより成仏の叶った喜びから、今後は蝉丸の守り神になると言い残し、観音の姿となって去っていきます。その光に照らされた蝉丸の眼は元通りに開き、直姫と共に都へ帰るのでした。
 本作の初演は元禄6年(1693年)ですが、竹本義太夫が「竹本筑後掾(たけもとちくごのじょう)」と改名した、記念公演でも再演されました。

さいみょうじどのひゃくにんじょうろう

【ジャンル】時代物/【初演年】元禄12年(1699年)3月頃(推定)/【初演座】宇治座

 能『鉢木(はちのき)』に材を得た作品です。

 鎌倉幕府の執権・北条時頼(ほうじょうときより)は、出家して最明寺殿(さいみょうじどの)と呼ばれています。最明寺殿は、息子・天女丸(てんにょまる)と、弟・時定(ときさだ)に一旦政治を任せ、身分を隠して国々の様子を見守る旅に出ます。ところが時定は、北条家の家宝・三ツ鱗の御旗(みつうろこのみはた)を奪い、幕府に不満を抱く佐野源藤太(さののげんとうた)と組んで謀反を企てます。
 天女丸は、忠臣の宇都宮友平(うつのみやともひら)・二階堂入道(にかいどうにゅうどう)らと協力して時定を討ち、三ツ鱗の御旗を奪い返しました。
 旅を続けていた最明寺殿は、ある日、大雪の中たどり着いた家で、一夜の宿を頼みます。佐野源左衛門経世(さののげんざえもんつねよ)の妻は、主人が大切にしていた鉢の木(盆栽)の梅・松・桜を切り、火にくべて最明寺殿をもてなします。そして、主人・経世は佐野源藤太の悪計により今は落ちぶれているが、鎌倉に大事が起きた時は、武士として一番に馳せ参じる覚悟であることを語ります。
 鎌倉幕府からのお触れにより、関東の武士たちは一斉に鎌倉へと上ります。大名の奥方たちも、男の姿となって参集しました。痩せ馬に乗って駆け付けた経世と妻に、最明寺殿は恩賞として、鉢の木の名にちなんだ梅田・桜井・松枝という土地を与えるのでした。
 宇治座での初演後、竹本座でも上演されました。経世の妻が最明寺殿をもてなす本作の後半場面は、近松の死後、豊竹座で上演された『北条時頼記(ほうじょうじらいき)』(享保11年[1726年]初演)に取り入れられ、大成功を収めています。

ようめいてんのうしょくにんかがみ

「竹本座の座付作者となった近松の1作目」

【ジャンル】時代物/【初演年】宝永2年(1705年)11月(推定)/【初演座】竹本座
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『用明天王職人鑑』「鐘入の段」

けいせいはんごんこう

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『傾城反魂香』

【ジャンル】時代物/【初演年】宝永5年(1708年)(推定)/【初演座】竹本座

 本作は、実在の絵師・狩野元信(かのうもとのぶ)の150年忌を記念して作られました。また、宝永5年(1708年)に死去した歌舞伎役者・中村七三郎(なかむらしちさぶろう)の得意芸が取り入れられ、七三郎追善の意味もこめられた作品です。

 六角(ろっかく)家に仕える絵師・狩野元信は、浪人中の絵師・土佐将監(とさのしょうげん)の娘・遠山(とおやま)と出会います。遠山から、土佐家秘伝の絵を伝授された元信は、土佐家再興を約束。遠山は元信に恋をし、再会を願います。
 元信が気に入らない六角家の悪臣たちは、言いがかりをつけて元信を柱に縛りつけます。しかし、元信が襖に虎を描くと、それが真実の虎となり、元信は難を逃れます。
 土佐将監の弟子・修理の介(しゅりのすけ)は、将監の庵に現れた虎を、筆で塗りつぶして消し、その手柄によって「土佐」の名字を名乗ることになります。夫婦で毎日、師匠・将監の元に訪れている吃音(きつおん)の又平(またへい)も名字を願い出ますが、何の手柄もないことから許されません。嘆き悲しむ又平は死を決意し、石の手水鉢(ちょうずばち)に自画像を描きます。すると、筆にこめられた念力で、絵は石の反対側にまで達しました。これを見た将監は、又平に名字を許します。
 一方元信は、六角家の姫と結婚することとなります。2人の祝言の日、遠山が現れ、49日間だけ花嫁を替ってほしいと願い出ます。姫は承知しますが、その5日後、元信は遠山が死んだとの知らせを受け取ります。元信と一緒にいる遠山は、実体のない魂だったのです。元信は悲嘆に暮れつつも、遠山との約束通り土佐家を再び世に取り立て、その繁栄を祈るのでした。
 又平夫婦が登場する「将監閑居(かんきょ)の場」は、現在も『傾城反魂香』として演じられています。ただし実際には、本作品を改作した『名筆傾城鑑(めいひつけいせいかがみ)』(宝暦2年[1752年]竹本座初演)の台本による上演となっています。

しゅてんどうじまくらことば

【ジャンル】時代物/【初演年】宝永7年(1710年)5月5日以前(推定)/【初演座】竹本座

 源頼光(みなもとのらいこう)と、その家来たちによる、鬼退治の説話を元に作られた作品です。

 源頼光の家来・渡部綱(わたなべのつな)は、都の羅生門で出会った鬼の腕を切り取りました。しかしふとした油断から、その腕を奪い返されます。さらに、綱の館へ訪れた中納言高房(ちゅうなごんたかふさ)の娘・三の君(さんのきみ)も、鬼たちに連れ去られてしまいます。
 その頃、都では若い女性が失踪する事件が相次いでいました。頼光は、詮議を求める人々に、これらが大江山に隠れ住む、酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼の仕業であると語ります。しかしその中で、武士の加藤兵衛(かとうひょうえ)は、自分の娘・横笛(よこぶえ)を遊女として売った、広文(ひろぶん)という男を訴え出ました。広文の娘・ことぢは、貧しさゆえに罪を犯した父を救うため、横笛の身替りに遊女となる決心をします。ところが、加藤兵衛と広文親子が訪ねていくと、将来を悲観した横笛は、ちょうど自害したところでした。申し訳なさに、ことぢも共に殺そうとする広文ですが、横笛は、ことぢの命を助けるよう言い残して息絶えます。その心に感じた加藤兵衛は、ことぢの名を横笛と改め、自分の娘としました。広文は加藤兵衛に感謝し、罪を清算すべく切腹して死にます。
 一方、酒呑童子退治に向かった頼光と家来たちは、道に迷った山伏として、童子の館に入り込みました。童子は頼光たちに心を許し、図らずも人間から鬼となり、人を殺(あや)める所業が止められない悲しみを語ります。頼光たちは隙を突いて童子を討ち、三の君をはじめ、捕われていた女性たちを助け出すのでした。
 酒呑童子は、悪鬼として頼光たちに退治されます。しかし、近松は本作で、人間から鬼となってしまった酒呑童子の悲哀を、丁寧に描き出しました。
 本作の鬼退治の場面は、昭和36年(1961年)に復活上演されたほか、近年も素浄瑠璃(すじょうるり・人形の演技がつかない義太夫節のみの演奏)で久し振りに上演されています。

ごばんたいへいき

【ジャンル】時代物/【初演年】宝永7年(1710年)(推定)/【初演座】竹本座

 元禄15年(1702年)に起こった、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)をはじめとする、赤穂浪士(あこうろうし)の敵討ちを脚色した作品です。

 大星由良之介(おおぼしゆらのすけ)の主君・塩冶判官(えんやはんがん)は、高師直(こうのもろのう)の策略により、切腹させられてしまいました。由良之介は主君の敵討ちのため、密かに準備を進めています。由良之介の息子・力弥(りきや)は、読み書きが出来ないと言っていた下男の岡平(おかへい)が、書状のやりとりをしているのを目撃。敵方の回し者かと疑った力弥は、岡平に切り付けました。重傷を負った岡平は、自分は塩冶家に仕えた下級武士・寺岡平蔵(てらおかへいぞう)の息子、平右衛門(へいえもん)であると打ち明けます。平右衛門は父の遺言により、塩冶判官の敵を討つべく師直の館に奉公したものの、好機を得られませんでした。そこで、敵討ちを恐れる師直の命を受けて大星家に入り込み、師直を油断させる偽りの報告を書き送っていたのです。平右衛門の志に感じた由良之介は、寺岡父子の名を、敵討ちの同志に加えることを約束しました。平右衛門は、敵討ちに役立つ師直の館内の様子を、碁石を並べて由良之介に教え、息絶えます。
 一方、由良之介の母と妻は、主君の敵を討とうとしない由良之介と力弥に怒り、自害してしまいます。2人の自害に気付いた由良之介がようやく本心を語ると、まだ息のあった母は、その言葉に喜びつつ亡くなります。
 由良之介ら45人の同志は、師直の館に攻め入り、ついに師直を討ち取りました。由良之介一同は、幕府から切腹を命じられますが、同時に塩冶判官の嫡子による、塩冶家の存続が認められました。これを聞いた由良之介らは、喜びの内に切腹して果てるのでした。
 寛延元年(1748年)竹本座初演『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』は、本作が用いた時代設定や人物名を引き継いで書かれており、文楽の人気作となっています。初演以来上演が途絶えていましたが、昭和49年(1974年)に復活上演が行われ、現在の文楽でも、ごく稀に上演されています。

よしののみやこおんなくすのき

【ジャンル】時代物/【初演年】宝永7年(1710年)(推定)/【初演座】竹本座

 吉野に南朝、京都に北朝が並立した、南北朝時代のはじまりを脚色した物語です。

 楠正成(くすのきまさしげ)・正行(まさつら)父子は、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に反旗を翻した足利高氏(あしかがたかうじ)と戦うべく出陣します。正成は、正行に今後も天皇を守るよう遺言し、討死します。
 一方、後醍醐天皇方の新田義貞(にったよしさだ)の陣中には、馬の飼料を盗んだ女が連れられてきます。女の夫・小山田高家(おやまだたかいえ)は高氏方の武士ですが、父に勘当されて武具もなく、乗る馬も痩せ、悲嘆に暮れていました。女は夫に手柄を立てさせたい一心で、飼料を盗んだのです。義貞は女を貞女と称え、自らの武具を与えて帰します。武具を受け取った高家は、敵である義貞の恩情に報いるため、わざと義貞に討たれる覚悟で戦いに臨みました。しかし、その意図に気付いた義貞は、高家を討たずに逃します。高家は義貞に深く感謝し、義貞の身替りとなって、高氏方の武士に討たれるのでした。
 高氏の陣中に、討ち取られた義貞の首が持ち込まれます。しかし、義貞の顔を知る者がなく、本人であるかの判断がつきません。居合わせた高家の父・高春(たかはる)は、首が息子に似ていることに驚きます。しかしそれと言い出せず、さらし首にして人々の意見を聞くことを提案。もし別人の首であれば、自分が責任を取って切腹すると約束します。
 義貞のさらし首の噂を聞き、高家の妻が現れます。高春は、首が高家のものと知り、主君・高氏を欺く息子の行為に激怒します。高家の妻は高春を制し、義貞の恩情を受けた高家が、それに報いようと身替りになったことを語ります。息子の仁義に感じた高春は、勘当はあの世で許すと言い残し、主君への申し訳のため自害して果てるのでした。
 その後、義貞・正行と高氏は和睦し、吉野の南朝・京都の北朝を互いに守護することになりました。
 南北朝時代がはじまる直前の大きな戦いを背景に、高家の妻の献身と、高春・高家父子の間に起こる悲劇を描いた作品です。

ゆりわかだいじんのもりのかがみ

【ジャンル】時代物/【初演年】正徳元年(1711年)初秋以前(推定)/【初演座】竹本座

 様々な演劇に脚色されている、「百合若伝説」を題材とした作品です。

 豊後国(ぶんごのくに・現在の大分県)の武士・太宰太郎和田丸(だざいのたろうわだまる)は、平城天皇(へいぜいてんのう)より、蒙古軍の征伐を命じられます。天皇は和田丸に百合若(ゆりわか)という名を授け、勝利して戻れば、美人で名高い立花(たちばな)を妻に与えると約束します。
 百合若の家臣・符内秀主(ふないのひでぬし)の長男・秀景(ひでかげ)は、遊女・松が枝(まつがえ)との恋ゆえに、父に勘当されていました。ある日秀景は、百合若の重臣である別符雲足(べっぷのくもたる)・雲住(くもずみ)兄弟の逆心を知り、2人を討とうと決意。松が枝の客の刀を盗もうと2人で忍び込みますが、実はその客は、秀景の父・秀主でした。秀主はそのまま刀を盗ませ、松が枝との仲も認めて勘当を許します。
 一方、蒙古軍を破った百合若は、別符兄弟の悪計で、玄海が島に置き去りにされてしまいます。そこへ、後を追ってきた立花が漂着します。月日は流れ、2人の間に生まれた子が3歳になった頃、秀主の次男・秀虎(ひでとら)が主君を探して島を訪れます。百合若父子は秀虎から、立花が都で死んだと聞き、島にいるのは立花の霊魂と知ります。父子は立花との別れを悲しみますが、攻めて来た雲住を討ち果たし、島を出ます。
 秀景と松が枝が協力して捕えた雲足を、百合若がついに討ち取ります。改めて官位を得た百合若は、九州宇佐の宮で神事を執り行うのでした。
 文学者・坪内逍遙(つぼうちしょうよう)は、本作の元になった百合若説話の原拠は、「ユリシーズ(オデュッセイア)」ではないかという、興味深い説を残しています。

たいしょかん

【ジャンル】時代物/【初演年】正徳元年(1711年)10月前後(推定)/【初演座】竹本座

 竜宮に奪われた宝玉を、海人(あま)が自分の体内に隠して取り返したという「玉取伝説」や、それを元とする能『海人(あま)』等を脚色した作品です。

 唐の太宗皇帝(たいそうこうてい)は、日本の大職冠鎌足(たいしょかんかまたり)の娘を后に定めます。しかし、鎌足が婚姻の引き出物に求めた面向不背(めんこうふはい)の玉は、仏法の深理を表す宝であり、厳重な箱を開いて実体を確かめた者はありません。太宗皇帝は、万戸将軍(まんこしょうぐん)にその箱を持たせ、日本へ送り出します。
 一方、逆心を抱く蘇我入鹿(そがのいるか)の悪計により、官位を失った鎌足は、万戸将軍が、宝玉を竜宮に奪われたという讃岐国(さぬきのくに・現在の香川県)志戸浦(しどのうら)へと向かいます。
 鎌足の家臣の子・則風(のりかぜ)は、遊女の花月(かげつ)と親しみ、父に勘当されていました。則風は、花月との子・金松(かねまつ)を連れ、志戸浦の海人・満月(まんげつ)と縁組し、鎌足に仕えていました。その忠心に感じた鎌足は、父に代わって則風の勘当を許し、則風の妻・満月が、竜宮から宝玉を取り返してくれるよう望みます。
 金松を育てる満月は、自身も懐妊中でした。そこへ、夫の行方を尋ねる花月が訪れます。満月は嫉妬し、再会を喜ぶ母子を罵ります。それを見た則風は、花月母子を切り殺します。満月は、自分への義理から、母子を殺した則風の気持ちを汲み、宝玉の奪還を決意します。
 竜宮を目指した満月は、悪魚に襲われ虫の息となって浮上します。鎌足は、「宝玉を奪われた」とは万戸将軍のなぞかけであると語り、満月の子の出世を約束。満月が息絶えると、その腹を裂いて子を取り上げ、宝玉を取り返したと宣言します。万戸将軍は鎌足の計らいを称え、宝玉の箱を手渡しました。その後、鎌足と万戸将軍は入鹿を討ち、天下に平和が戻ります。
 よく知られた伝説を元にしながら、宝玉を「実体のないもの」とした、近松独自の工夫がみられる作品です。

こもちやまうば

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『嫗山姥』

【ジャンル】時代物/【初演年】正徳2年(1712年)9月以前(推定)/【初演座】竹本座

 能『山姥(やまんば)』を題材としつつ、源頼光(みなもとのらいこう)と、四天王と呼ばれる家来たちの世界を描いた作品です。

 父・坂田忠時(さかたのただとき)の敵討ちを志す糸萩(いとはぎ)は、権力に誇る清原右大将(きよわらのうだいしょう)の元にいた敵を、恋人・喜之介(きのすけ)と共に討ちます。頼光とその家来・渡辺綱(わたなべのつな)は2人を匿(かくま)い、喜之介に碓氷定光(うすいのさだみつ)という名を与え、頼光の家来とします。
 一方、忠時の息子・時行(ときゆき)は、妻の八重桐(やえぎり)とも別れ、敵を探していました。時行と再会した八重桐は、時行の妹・糸萩が既に敵討ちを果たしたと告げます。時行は無念の思いから切腹し、最期の一念で八重桐を懐胎させると言い残して息絶えます。時行の魂により通力を得た八重桐は、その場を飛び去ります。
 右大将に都を追われた頼光主従は、能勢判官(のせのはんがん)の館に忍んでいました。右大将に頼光を討つよう命じられた判官夫婦は、子の冠者丸(かんじゃまる)を身替りにしようと決意。しかし冠者丸は納得せず逃げ回ります。卑怯な振舞に怒った母が冠者丸を討つと、その髪の中から文が見つかりました。冠者丸は、母が心迷わぬよう、わざと怒らせて自分を討たせたのです。判官夫婦は悲嘆に暮れつつも、密かに頼光を逃します。
 山々を流浪する頼光は、奉公を望む山賊に、卜部末竹(うらべのすえたけ)という名を与えて家来とします。ある日、頼光主従は山姥となった八重桐と出会い、時行の一念で誕生した子を家来に迎え、坂田金時(さかたのきんとき)と名付けました。以後、綱・定光・末竹・金時は、頼光の四天王と称えられる家来となります。
 頼光主従は、山に住む鬼を退治し、都へ戻ります。帝はこれを受け、右大将を流罪とし、頼光を将軍に任じるのでした。
 初演以来、金時が活躍する「足柄山の段(あしがらやまのだん)」など、いくつかの場面が伝承されていましたが、最近は専ら、時行と八重桐が登場する「廓噺の段(くるわばなしのだん)」のみが上演されています。

てんじんき

【ジャンル】時代物/【初演年】正徳4年(1714年)1月/【初演座】竹本座

 菅原道真(すがわらのみちざね)にまつわる伝説や、それを題材とした能『雷電(らいでん)』等を元に書かれた作品です。

 菅丞相(かんしょうじょう・菅原道真)と対立する藤原時平(ふじわらのしへい)は、悪計をめぐらして、丞相が天皇に逆心を抱いているという、偽の文書を作っていました。
 一方、丞相の御台所が梅を愛でている所へ、時平の家来・秦兼竹(はだのかねたけ)の恋人である十六夜(いざよい)が来合わせます。恋人に難がかかることを恐れ、2人の間に生まれた子を捨てに来たのです。話を聞いた御台所は、子の養育を約束します。
 時平の計略により、丞相は九州・大宰府に流罪となってしまいました。時平は、大宰府への道中で、丞相を殺すよう家来の蔵人(くらんど)に命じます。それを知った十六夜は、蔵人を討とうとして逆に殺されてしまいます。兼竹は蔵人を討ち、丞相の後を追って九州へ渡ります。
 大宰府の浜辺に住む白大夫(しらたゆう)は、悪人の兄を跡継ぎとせず、妹の小梅(こうめ)に婿を取るつもりでした。それを知った兄は、父に暴力を振るいます。その様子を見兼ねた兼竹は、自分こそ小梅の婿と名乗って兄を懲らしめました。父娘は喜び、兼竹を真実の婿に望みます。
 2人の祝言の場に、実は小梅の姉であった、十六夜の霊がやって来ます。十六夜は、悲しむ兼竹に、弔いを頼んで消え失せました。丞相は、全ては時平の悪逆から起こったことと怒り、無実の罪を晴らす断食祈願を行います。疲れ果て、絶命した丞相ですが、一念によって雷と変じ、雲の中に消え失せます。都に上り、時平を滅ぼした丞相の霊は、雷神として祀られるのでした。
 延享3年(1746年)竹本座初演『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』は、本作に取材した作品で、今日でも文楽の人気曲となっています。

さがみにゅうどうせんびきいぬ

【ジャンル】時代物/【初演年】正徳4年(1714年)秋以前(推定)/【初演座】竹本座

 鎌倉から室町時代の動乱を描く『太平記(たいへいき)』を下敷きとしつつ、実際は、江戸幕府の政治状況を元に書かれた作品です。

 闘犬を好む鎌倉幕府の執権・相模入道(さがみにゅうどう)は、人々にも犬を敬わせていました。犬奉行の五大院宗重(ごだいいんむねしげ)は、幕府の忠臣・安東左衛門入道(あんどうさえもんにゅうどう)に言いがかりをつけ、口論となります。仲裁に入った相模入道は、安東の娘・絵合(えあわせ)と、宗重の子との婚姻を命じます。
 新田義貞(にったよしさだ)の弟・脇屋義助(わきやよしすけ)は、安東の家来となり、鎌倉の様子を探っていました。義助と恋仲である絵合は、往来で、犬を敬うよう強要された義助をかばい、自分が犬に頭を下げます。父・安東は激怒して絵合を勘当しますが、それは、縁談を断り、娘と義助を添わせるための計らいでした。しかし、義助はその場にいた犬や警護の者を切り捨て、捕えられてしまいます。
 闘犬の場に引き出された義助は、相模入道に身分を明かし、その政道を批判します。入道は縛られた義助に、「白石(しろいし)」と名付けられた猛犬をけしかけます。ところが、白石は綱を食い千切って義助を助けました。義助は白石を従え、絵合と共にその場を去ります。
 朝廷から鎌倉幕府追討を命じられた義貞は、敵方の娘を連れて戻った弟に立腹していました。しかし、絵合が父・安東を義貞方に引き入れれば、2人を許すことにします。安東は、幕府を裏切らずに娘の面目を立てるため、切腹して死ぬのでした。
 鎌倉に攻め寄せた新田軍は、名犬・白石に宗重を捜索させます。主君・相模入道を裏切って首をはねた宗重は、白石に襲われ、息絶えます。
 「生類憐みの令」を発し、犬を過剰に愛護した江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉(つなよし)を相模入道に、「正徳の治」を行った新井白石(あらいはくせき)を名犬・白石に見立て、政治批判が行われた作品です。

こくせんやかっせん

「竹本座を救った17ヶ月のロングラン作」

【ジャンル】時代物/【初演年】正徳5年(1715年)11月15日/【初演座】竹本座
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『国性爺合戦』

そがかいけいざん

【ジャンル】時代物/【初演年】享保3年(1718年)7月15日/【初演座】竹本座

 曽我兄弟(そがきょうだい)の敵討ちを題材に書かれた作品です。

 建久4年(1193年)5月28日午前4時、鎌倉御所の門が開かれます。この日、源頼朝(みなもとのよりとも)は、曽我兄弟の敵・工藤祐経(くどうすけつね)らの家臣と共に、富士の狩場へ出掛けていました。幕府を訪ねた頼朝の弟・範頼(のりより)は、曽我兄弟に狩場への通行手形を与えたことを梶原景高(かじわらかげたか)に暴かれ、自害してしまいます。曽我兄弟の姉を妻とする二宮太郎(にのみやたろう)は、午後2時までに、事の次第を頼朝へ報告する命を受けます。二宮は妻を離縁し、公平な立場となって出立します。途中、梶原は二宮を妨害しようと、正午の時を知らせる鐘を、午後2時と偽って撞(つ)かせました。しかし二宮は企みに気付き、先へと急ぎます。
 一方、曽我兄弟は、敵・祐経と対面しつつも、老母危篤の知らせで引き返します。夕方になって到着した兄弟に、母は、危篤と偽り敵討ちを止めたこと、恋人である大磯の虎(おおいそのとら)・化粧坂の少将(けわいざかのしょうしょう)と結婚して身を落ち着けるよう頼みます。兄弟は一旦承知し、夜になってから密かに敵討ちへ出ようとします。そして、母が虎・少将に、昼間の言葉は、敵方の回し者に聞かせ、相手を油断させるための偽りと語るのを立ち聞きし、納得の上で出立します。
 二宮からの報告を聞いた頼朝一行は、午前2時に出立して鎌倉へ戻ることになります。しかし、雨になれば出発が遅れると聞いた母と虎・少将が天に祈願すると、願い通じて雨が降り出します。兄弟は通行手形を持って狩場へと忍び込み、見事祐経を討ち果たしました。
 兄弟のうち、兄の十郎は討死し、弟の五郎は捕えられます。29日朝、事件を聞いた頼朝は、二宮と妻を再び夫婦とし、曽我兄弟の母を託します。さらに、兄弟の行動に敬意を表し、自ら五郎に縄をかけるのでした。
 「時」を重要なテーマとし、1日24時間の中で物語が完結するよう描かれた、近松の意欲作です。

けいせいしゅてんどうじ

【ジャンル】時代物/【初演年】享保3年(1718年)10月25日/【初演座】竹本座

 享保3年(1718年)9月3日、大坂新町の傾城屋・茨木屋幸斎(いばらきやこうさい)が、豪奢な生活を咎められ処罰された事件を元に、『酒呑童子枕言葉(しゅてんどうじまくらことば)』の一部を改変して書かれた作品です。

 都では、若い女性が鬼にさらわれる事件が相次いでいました。源頼光(みなもとのらいこう)の家来・渡部綱(わたなべのつな)は、鬼の腕を切り取りますが、ふとした油断からその腕を奪い返されてしまいます。一方、娘・横笛(よこぶえ)の行方を尋ねる加藤兵衛(かとうひょうえ)は、横笛が遊女として売られたことを知り、頼光に訴え出ます。貧しさから横笛を売った広文(ひろぶん)は、自分の娘・ことぢを横笛の身替りにすることを決意します。
 横笛が売られた傾城屋・ひらぎ屋の長は、多くの遊女を酷使して、贅沢な暮しをしていました。遊女たちは長に、病気の白妙(しろたえ)を廓から出してくれるよう願います。しかし、長はその意見に怒り、白妙を部屋に閉じ込めてしまいます。
 白妙とその恋人に恩のある横笛は、長の目を盗んで2人を密会させました。しかし長に見つかり、厳しい折檻を受けます。その間に白妙は絶命、横笛も自害します。そこへ訪れた加藤兵衛は、瀕死の娘を見て驚きます。広文は申し訳なさに、ことぢも共に殺そうとしますが、横笛は、ことぢの命を助けるよう言い残して息絶えます。加藤兵衛はその心に感じ、ことぢを自分の娘としました。
 ひらぎ屋の長は、死んだ横笛の替りに、ことぢを遊女にするよう強要します。しかし、頼光の家来らが訪れ、遊女への無体な扱いや豪奢な生活を罪として、長を逮捕するのでした。
 本作では、遊女を束縛する傾城屋を、女性をさらう鬼になぞらえています。近松の、社会批判が感じられる作品です。

へいけにょごのしま

「近松の自筆草稿も残る時代物の名作」

【ジャンル】時代物/【初演年】享保4年(1719年)8月12日/【初演座】竹本座
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『平家女護島』「鬼界が島の段」

ふたごすみだがわ

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『雙生隅田川』

【ジャンル】時代物/【初演年】享保5年(1720年)8月3日/【初演座】竹本座

 能『隅田川』などに取材した作品です。

 山王権現の大鳥居建立を任された吉田少将(よしだのしょうしょう)は、常陸大掾百連(ひたちのだいじょうももつら)から、比良の霊木を使わないことを咎められます。少将の家臣・県権正武国(あがたごんのかみたけくに)は、霊木を切ると天狗の祟りで国が乱れると反対します。しかし、武国の同僚・勘解由兵衛景逸(かげゆひょうえかげはや)は、百連と申し合わせ、霊木を切ってしまいます。
 少将の側室である班女御前(はんじょごぜん)には、梅若(うめわか)と松若(まつわか)という、双子の息子がいました。ところが天狗の祟りによって、松若は天狗にさらわれてしまいます。さらに景逸の悪計から、少将は殺され、梅若も行方知れずとなります。少将に仕える軍介(ぐんすけ)は、景逸を討って吉田家を出ます。
 かつて少将の重臣であった猿島惣太(さるしまのそうた)は、遊女との恋ゆえ、主君から1万両をかすめ取って失踪し、隅田川のほとりで暮らしています。過去を悔む惣太は、主君へ金を返すべく、子供を売買する人商人(ひとあきびと)となっていました。あと10両で、1万両の金が揃うという時、惣太は自分の意に従わない子を折檻し、死なせてしまいます。ところが、梅若を探しに来た武国の話から、その子こそが主君の若君・梅若と判明します。あまりのことに泣き伏す惣太は、最期の一念で天狗となって双子の松若を探し出すと言い残し、切腹して息絶えます。
 一方、班女は狂乱して我が子を尋ね歩き、隅田川に辿り着きました。川辺の墓が梅若のものと知り、悲しむ班女の前に、梅若の霊が現れます。しかしそれは、天狗となった惣太が助け出した松若でした。母子は再会を喜び、都へ帰ります。
 吉田家を乗っ取った百連は武国・軍介に討たれ、松若が吉田家の跡継ぎとなるのでした。
 主君への義理を果たそうと、悪事を働いてまで金を貯めていた惣太が、ついにはたった10両のために主君の若君を殺してしまうという、因果応報が描かれた近松の力作です。江戸時代後期から上演が途絶えていましたが、昭和48年(1973年)に復活上演が行われ、現在の文楽でも、ごく稀に上演されています。

つのくにみょうといけ

【ジャンル】時代物/【初演年】享保6年(1721年)2月17日/【初演座】竹本座

 足利義輝(あしかがよしてる)が暗殺された史実を背景に書かれた作品です。

 室町幕府の将軍・足利義輝は、御台所が懐妊中にも関わらず、連日遊郭に通っていました。一方、義輝の弟・義昭(よしあき)は、謀反を疑われて出家してしまいます。
 逆心を抱く三好長慶(みよしちょうけい)は、反旗を翻して義輝を討ちます。忠臣・冷泉造酒の進(れいぜいみきのしん)は、恋人の清滝(きよたき)と共に、御台所を守護して逃げ延びます。
 造酒の進一行は、摂津国(せっつのくに・現在の大阪府、兵庫県)の、父・文次兵衛の家に辿り着きます。ところがその場で、捨て子であった清滝が、文次兵衛夫婦の娘と判明します。造酒の進と清滝は、実の兄妹であったことに悩み、心中を決意しました。しかし、池へ入水する寸前に父母と御台所が駆け付け、2人は一旦身をひそめます。文次兵衛は2人が死んだと思って悲しみ、造酒の進の出自について語り出します。造酒の進は、同僚の駒形一学(こまがたいちがく)の先妻の子でした。若き日の妻がその後妻に入った後、一学が闇討ちにされたため、文次兵衛は子の成人後、敵を討たせる約束の上で残された妻と夫婦になりました。その後に誕生した清滝と造酒の進の間に、血の繋がりはなかったのです。話を聞いて走り出た造酒の進は、実父の敵を討つことを望みます。2人の無事を喜んだ文次兵衛は、その敵とは自分だと告白します。文次兵衛は、妻を慕うあまりに一学を殺したのでした。罪の意識に苦しんできた文次兵衛は、今こそ造酒の進に討たれようとします。すると、妻が先に刀を取り、夫に切りつけました。妻は、22年もの間馴染んできた夫を、半年だけ共に暮らした前夫の敵として討つ悲しみを述べ、池に身を投げます。文次兵衛も後を追って入水し、夫婦共に果てるのでした。
 その後、造酒の進ら幕府の忠臣たちは、義昭と共に長慶の館に攻め込み、長慶を討ち果たします。
 文次兵衛夫婦の深い因縁が描かれた、優れた悲劇性をもつ作品です。

しんしゅうかわなかじまかっせん

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『信州川中島合戦』

【ジャンル】時代物/【初演年】享保6年(1721年)8月3日/【初演座】竹本座

 武田信玄(たけだしんげん)と上杉謙信(うえすぎけんしん)による川中島の合戦を題材とした作品です。

 武田信玄と長尾輝虎(ながおてるとら・上杉謙信)は、子の勝頼(かつより)と衛門姫(えもんのひめ)の不義の恋により、互いを敵として戦うことになりました。軍師として名高い山本勘介(やまもとかんすけ)の母は、信玄を名将と確信し、勘介に代わり主従の約束を交わします。
 勘介の妹・から衣(からぎぬ)は、輝虎の軍師・直江山城守(なおえやましろのかみ)と縁組していました。山城守夫婦は、勘介の母と、妻のお勝を輝虎の館に呼び寄せます。勘介を味方にしたい輝虎は、自ら食事の膳を運んで母をもてなします。ところが、母は恩を受けることを拒み、膳を蹴返してしまいました。輝虎は激怒し、母に切りかかろうとします。しかし、吃音(きつおん)であるため琴歌で詫びるお勝に免じ、心を静めます。
 山城守の館まで戻った母とお勝の元に、勘介本人が現れました。山城守夫婦が、母危篤との偽りの書状で呼び出したのです。罠に気付いた勘介は、逃亡をはかります。お勝は、偽書状を書いたから衣に詰め寄り、刀を抜いて争いました。ところが、母は2人の刃の下に出て、わざと切られます。騒ぎに集まった人々の前で、母は自分の命に代えて、勘介を信玄の元に戻して欲しいと頼みます。了承した輝虎は、母への供養に、信玄へ塩を送ると約束します。
 川中島の合戦で、勘介は信玄と輝虎に和睦を提案します。両者はそれを聞き入れ、勝頼と衛門姫の恋も叶うのでした。
 輝虎が自ら膳を運ぶ「輝虎配膳の段(てるとらはいぜんのだん)」と「直江屋敷の段(なおえやしきのだん)」は、現在の文楽でも上演されています。また、文楽の人気曲である『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』(明和3年[1766年]初演)は、本作の影響を受けて書かれたものです。

かんはっしゅうつなぎうま

【ジャンル】時代物/【初演年】享保9年(1724年)1月15日/【初演座】竹本座

 源頼光(みなもとのらいこう)と、四天王と呼ばれる家来たちの世界を下敷きに、能『土蜘蛛(つちぐも)』等を脚色して書かれた作品です。

 永延2年(988年)2月、朝廷に毎夜、黒馬が現れて庭を荒らしていました。源頼光はこれを、平将門(たいらのまさかど)の子・良門(よしかど)が、謀反を起こす予兆と考えます。
 良門の妹・小蝶(こちょう)は兄の命令で、侍女として頼光の館に潜入していました。ところが小蝶は、頼光の弟・頼信(よりのぶ)に恋をします。頼信には、詠歌姫(えいかのひめ)という恋人がいましたが、小蝶は、頼光の末弟・頼平(よりひら)の横恋慕を利用し、姫を騙して2人に契りを結ばせてしまいます。姫は、一旦契りを結んだ上は、頼平と添い遂げることを決意します。
 しかし、頼信の妻が伊与内侍(いよのないし)に決まり、思惑が外れた小蝶は、内侍の毒殺を思い立ちます。頼光の御台所はこの悪事を知り、小蝶を討ちました。小蝶は本名を明かし、恨みを抱いて死にます。
 良門は、詠歌姫を人質として、頼平を味方に加えようとしました。頼平は姫のため、それを了承しますが、すぐに頼光に捕えられます。しかし、頼平の乳母の嘆願や、詠歌姫の献身、さらには、かつて頼平に命を救われた、箕田二郎(みたのじろう)が身替りに切腹したことで、頼平は罪を許され、源家に復帰します。
 伊予内侍は小蝶の怨念により、病に伏していました。見舞いに訪れた頼光四天王の妻たちが小蝶を弔うと、小蝶の霊が現れ、自分の本性は葛城山の土蜘蛛の精と告げます。一方良門も、同じ葛城山に陣を構えていました。頼光と四天王は葛城山へ攻め入り、名剣・蜘蛛切丸で小蝶の霊を追い払い、良門を討ち取るのでした。
 近松の、生涯最後の作品です。本作には、有名な逸話があります。小蝶を弔う大文字焼き(だいもんじやき)の演出が、当時話題になりました。しかし、大坂の「大」の字が焼けるのは縁起が悪いと噂されるうち、本当に大坂で、市街の大半が焼ける大火事が起こったのです。

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