近松門左衛門が魅せられた人形浄瑠璃

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「せわじょうるり」が人気を得た背景

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為替や両替を行っている飛脚屋(『冥途の飛脚』)

町人の生活

 近松は、世話浄瑠璃の中で、道ならぬ恋に苦しむ多くの恋人たちを描きました。彼らは、自分たちの恋を貫くため、社会的なしがらみを捨てて心中します。その内容が観客に支持され、多くの世話浄瑠璃が書かれることになりました。

 近松の世話浄瑠璃が支持された背景として、当時の人々が経済的に豊かになりながらも、身分制度などにしばられて生活していたことが挙げられます。

 近松が活躍した当時の町人たちは、財力を蓄え、より文化的な生活を送るようになっていました。
 元禄時代の大坂は、商業の町として発展しました。物流が盛んになり、大名の蔵屋敷も多く置かれたことから、この頃の大坂は「天下の台所」とも呼ばれています。また、遊郭や劇場街が発達し、人々の遊興の場も増えていました。

 近松は、商業都市としての大坂を、世話浄瑠璃の中に巧みに描き込んでいます。例えば、『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)』(正徳元年(1711年)初演)の冒頭は、飛脚屋の亀屋(かめや)が舞台です。飛脚屋は、現在の銀行のように、為替や両替を行っていました。近松は、飛脚屋で大金が飛ぶように動いている様子を、

「一分小判や白銀(しろがね)に翼のあるがごとくなり」(様々な種類の貨幣に、翼がついているようだ)

と表現しています。
 同作で、亀屋忠兵衛(かめやちゅうべえ)が、恋人のために横領してしまう武家屋敷の300両は、現在のお金で約3000万円です。物語の中で忠兵衛は、武家屋敷に届けるこの300両を、懐に入れて出掛けています。忠兵衛は商人として、こうした大金を日常的に扱っていました。

 一方で、当時の町人たちは、封建社会のしがらみに苦しめられていました。江戸時代には、いわゆる「家」制度や身分制度、厳しい社会道徳などがあり、人々の自由は限定されていたのです。
 『冥途の飛脚』の忠兵衛は、亀屋の養子であり、強い立場にはありませんでした。仕事では大金を手にしながら、自分の自由になるお金は多くなかったのです。忠兵衛が、恋人の遊女・梅川(うめがわ)との恋を全うするためには、横領という罪を犯すしか方法がありませんでした。

 『冥途の飛脚』は、当時の町人の生活を背景として、実際に起こった横領事件を元に描かれた作品です。近松はこうした事件を脚色し、人々の共感を呼ぶ世話浄瑠璃を書いたのです。

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