近松門左衛門が魅せられた人形浄瑠璃

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近松門左衛門が魅せられた「にんぎょうじょうるり」

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元禄時代に書かれた近松の歌舞伎作品『けいせい仏の原』絵入狂言本

元禄時代の劇界

 元禄時代(1688年~1703年)は、上方(かみがた、京都・大坂)を中心に、町人の新たな文化が生まれた時代です。演劇の世界にも、人々の関心が多く集まっていました。人形浄瑠璃などの演劇は、この時期に、大きく発展することになります。

人形浄瑠璃
 この時代の人形浄瑠璃は、各地でいくつもの座が人気を集めていました。大坂の竹本座、京都の宇治座、江戸の土佐座などです。近松がはじめて世話浄瑠璃を書いたのも、元禄時代のことでした。元禄16年(1703年)、竹本座で近松作『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』が大当たりをとります。これをきっかけに、近松は竹本座の座付作者(ざつきさくしゃ・専属の作者)となったのです。
歌舞伎
 歌舞伎はこの時期、「元禄歌舞伎(げんろくかぶき)」とも呼ばれる一時代を築きます。元禄時代の近松は、主に歌舞伎作者として活躍し、その人気を支えていました。元禄時代の歌舞伎には、多くの名優が誕生しています。中でも、上方の坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)・芳沢あやめ(よしざわあやめ)、江戸の初代市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)などが有名です。
能楽
 能楽(のうがく)は、もともと武士や貴族などに好まれていました。しかし江戸時代に入ると、自分で謡って楽しむ「謡(うたい)」として、町人の間にも広まりはじめます。元禄時代には、謡のテキストである「謡本(うたいぼん)」が、盛んに出版されていました。また、元禄時代の将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)が、能を好んで自らも演じたことが、この時代の能楽の人気を、より高めたと言われています。
 さらに、京都や大坂などの各地では、多くの劇場が集まる「劇場街」が誕生していました。竹本座があった大坂・道頓堀(どうとんぼり)は、代表的な劇場街です。こうした劇場街は、演劇が発展し、人々の人気を得るに従って、ますます賑やかになっていきました。

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