井原西鶴の肖像
元禄時代(1688年~1703年)には、演劇・文学・美術・学問など、様々な文化が発展しました。この時代を中心に、主に上方(かみがた、京都・大坂)で発達した町人文化を、「元禄文化」と呼びます。
元禄文化を代表する人物として、近松門左衛門と井原西鶴(いはらさいかく)の名が挙げられます。
近松は、町人を主人公として世話浄瑠璃を書きました。その多くは、大坂で実際に起こった事件を題材にしています。
一方、西鶴の浮世草子(うきよぞうし)も人気を得ていました。浮世草子とは、主に、当時の町人の生活を、写実的に描いた小説です。西鶴の書いた浮世草子には、町人の経済状況や遊郭の様子などが、生き生きと描き出されています。『好色五人女(こうしょくごにんおんな)』、『世間胸算用(せけんむねさんよう)』などの作品が有名です。
その他、近松が作者として関わった上方歌舞伎、また浮世絵や陶芸などの美術や学問もおおいに発達しました。中でも松尾芭蕉(まつおばしょう)は、「さび」などの感覚を大切にする「薫風俳諧(くんぷうはいかい)」を生み、それまでの俳諧の世界を一変させます。芭蕉は、全国を旅して回りながら、俳諧を作りました。その旅についての紀行文『奥の細道(おくのほそみち)』は、名作として知られています。