能楽[能・狂言]の歴史

前へ近代の能楽―混乱と再生―/明治時代次へ

時代タイムライン

コラム「狂言の歴史」(4)

明治維新は、狂言の役者にとっても大きな痛手でした。この危機に対応するため、大蔵(おおくら)流では、和泉(いずみ)流の曲を取り入れるなど、大幅なレパートリーの改訂をします。大蔵流では山本東次郎則正(やまもととうじろうのりまさ)が、和泉流では三宅庄市(みやけしょういち)や野村与作(のむらよさく)などの面々が東京に移るなど、新たな動きもおこりました。鷺(さぎ)流の有力な弟子家の役者は、歌舞伎の囃子(はやし)と組んだ新興劇の吾妻能狂言(あづまのうきょうげん)に加わり新たな道を探ろうとしましたが、その人気は一時的なもので終わります。鷺流は、1895年[明治28年]に家元が断絶した後、大正初年には中央では滅びてしまいます。

前に戻る

山口鷺流『末広がり』

山口鷺流『末広がり』

『吾妻能狂言番組』

『吾妻能狂言番組』


ページの先頭に戻る