狂言の演目と鑑賞

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身延山(みのぶさん)に参詣した法華僧が、京都への帰途、信濃[長野県]の善光寺に参拝した帰りの浄土僧と道連れになります。互いに犬猿の仲の宗派とわかり、法華僧は別れたがりますが、浄土僧は離れません。2人は互いの宗派をけなし、伝来の数珠を相手の頭上にかざし合います。法華僧が宿に逃げ込むと浄土僧も追って入り同室し、一晩中宗論[宗派の優劣を争う論争]をして負けた方が宗旨替えすることにします。論争は勝負がつかず、2人とも寝てしまいます。翌朝、浄土僧が目を覚して勤めをしようと経を読みはじめると、法華僧も負けじと勤行(ごんぎょう)をはじめます。浄土僧は「踊り念仏」を、法華僧は「踊り題目」を始め、ぐるぐる回るうちに、2人はうっかり、それぞれ相手の唱え言を言ってしまい、「法華も弥陀も隔てはあらじ」と悟り、仲直りします。

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法華僧は日蓮宗大本山の本国寺の僧で日蓮宗総本山の甲斐[山梨県]の身延山に参詣し、浄土僧は浄土宗四箇本山の1つ東山黒谷の僧で、浄土宗でも別格本山とされる信濃[長野県]の善光寺に参拝し、その出自、目的地から、それぞれ筋金入りだということがわかります。もっとも2人が戦わせる「宗論」は食い意地のはったばかばかしい内容で、笑いを誘います。法華僧は一本気、浄土僧は理屈っぽいというように対照的に描かれ、当時、民衆がそれぞれの宗旨をどう見ていたのかがうかがわれます。人間の幸せを求める目的は同じはずなのに、目先の違いに気を取られ、本来の目的を忘れて争うことのばかばかしさを、本曲は冷静な目で観察し、鋭く風刺しています。

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[論争に勝負がつかず寝てしまう場面より]
浄土「ヘェ、『非学者(ひがっしゃ)論議に負けず』。愚僧はこれにて寝仏者(ねぶっしゃ)[念仏者とかけている]を致さう」
法華「ヨウ、御坊ははや臥(ふ)すか。宵からの雑談が過ぎたかと思へば、はや臥すの。よいよい、愚僧も負けてゐようか。御坊が寝仏者をするならば、愚僧はこれにて、寝法華(ねぼっけ)と致さう」

『宗論(しゅうろん)』

『宗論』[大蔵流]
シテ[浄土僧]/4代目・山本東次郎、アド[法華僧]/山本則直
2007年[平成19年]8月12日 能楽座自主公演-追悼・粟谷菊生-
[写真:青木信二(国立能楽堂)]

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