狂言の演目と鑑賞

前へ布施無経・無布施経(ふせないきょう)次へ

※大蔵流では『布施無経』、和泉流では『無布施経』と表記します。


  • あらすじ
  • 鑑賞のポイント
  • 詞章

住職が、檀家(だんか)で毎月の勤めの経をあげますが、期待していたお布施が出ません。一度くらい貰わなくてもいいかと、いったん帰りかけますが、これが例となっては困ると思い、戻ります。かねがね望まれていた説経を聞かせると言い、言葉の端々に「ふせ」の音を聞かせ遠回しに催促しますが、檀家は気付きません。僧は帰りかけますがあきらめきれず、今度は袈裟(けさ)を懐(ふところ)に隠して戻り、袈裟を落としたと探しまわります。そして主人に、自分の袈裟はお布施が通るほどの穴をふせ縫い[縫い目の見えない縫い方]にしてあるのが目印だと言います。ようやく気づいた檀家が布施を出すと、住職は遠慮するので、檀家が懐に布施を押し込もうとすると袈裟が出てきてしまいます。

  • あらすじ
  • 鑑賞のポイント
  • 詞章

物欲とは無縁のはずの僧が、もらいそこねた布施をあきらめきれず、その一方で執着する自分を反省するといった、心が揺れ動くさまを描いて人間の持つ欲を強調しています。それとなく相手に謎をかけても全然気づいてくれないのでじれてきて、説教の中では物欲のあさましさを語りながら、布施に対する暗示がだんだん露骨になっていく様子が滑稽でもあり悲しくもあります。「布施無い経には袈裟落とす」ということわざがありました。「報酬の乏しいものに対しては労力を惜しむ」という意味ですが、本曲ではそれを文字通りに活かし、布施をもらえなかった僧が「袈裟を落としてしまった」という話にして笑いを誘っています。

  • あらすじ
  • 鑑賞のポイント
  • 詞章

[住職が袈裟の特徴を説明するふりをしてフセという言葉を強調する場面より]
住職「オオそれそれ、裏表から、フ、フ、ふせ縫いというにしてくれられてござる。その、フ、フ、ふせ縫いが愚僧が袈裟の印でござるによって、あとで出ましたならば届けて下されい」

『無布施教(ふせないきょう)』

『無布施経』[和泉流]
シテ[住持]/野村万之助
2008年[平成20年]8月15日 国立能楽堂第579回定例公演 [写真:青木信二(国立能楽堂)]

ページの先頭に戻る