狂言の演目と鑑賞

不奉公者の武悪(ぶあく)を討つよう主人に命令された太郎冠者は、やむなく同僚の武悪をだまし討ちにすることにしますが気づかれてしまいます。事情を知って覚悟を決めたものの嘆き悲しむ武悪を見て、冠者は太刀を振りおろすことができず、武悪の命を助け遠くへ逃げるよう指示します。武悪を討ったという嘘の報告を聞いた主人は、太郎冠者を連れて都の東山へ出かけ、一方の武悪は、命が助かったのは清水寺の観世音のおかげだからとお礼参りに向かいます。鳥辺野(とりべの)の辺りで両者が鉢合わせてしまい、冠者の入れ知恵で武悪は幽霊になりすまします。武悪の幽霊が出たと聞いた主人は急に怖気づきます。そこで武悪は、あの世で主人の父親に会い、息子から太刀や扇を受け取ってくるよう頼まれたと言い、太刀などを取りあげます。さらにあの世へ連れてくるようにと伝言されたとおどし、言い逃れしようとあわてふためく主人を追い込みます。
通常「自分は近所に住むだれそれで」という名乗りから始まる曲が多い狂言の中で、「誰(た)そおるか」という主人のセリフで始まる本曲は異例の演目です。しかも前半は、主人の命令で太郎冠者が同僚を討ち取るという緊迫した設定で話が進んでいきます。太郎冠者が武悪の背後で太刀を振りかざしながら結局切れずに泣く場面は見どころのひとつです。後半になって、偽の幽霊におびえたり、亡き父からの伝言を真に受けて泣いたりする主人や、調子に乗る武悪、間にはさまれ苦労する冠者など、三者三様の心理が面白おかしく描かれます。単純な筋立てが通常の狂言の中で、本曲は比較的ドラマチックな展開が仕組まれた戯曲的な面白さも備えています。
[大名が幽霊と信じて武悪に尋ねる場面より]
大名「やい武悪。此の世では地獄極楽が有るともいひ。無いともいふが。有るが誠か。無いが誠か」
武悪「地獄も御座る」
大名「むむ」
武悪「極楽も御座る」
大名「やいやい太郎冠者。地獄極楽はあるといやい」
太郎冠者「左様に申しまする」


『武悪』[和泉流]
シテ[武悪]/三宅右近、小アド[太郎冠者]/9代目・野村万蔵
2008年[平成20年]9月26日 国立能楽堂開場25周年記念公演 [写真:青木信二(国立能楽堂)]