歌舞伎舞踊の作品と表現

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浅妻船(あさづまぶね)

通称 浅妻船(あさづまぶね)
本名題(ほんなだい) 浪枕月浅妻
(なみまくらつきのあさづま)
初演年度 文政3年(1820年)
音楽 長唄
題材による分類 変化物

 浅妻(あさづま)とは、琵琶湖の東岸の港・朝妻(あさづま)で舟に乗り、旅人を相手にしていた遊女のことです。一夜の「浅」い契りと「朝」とをかけて浅妻と記されました。
 この作品は元禄時代に絵師・英一蝶(はなぶさいっちょう)が描いた絵をモチーフにしています。その絵は、烏帽子(えぼし)・水干(すいかん)姿の女が鼓を持ち、舟に乗っている構図で描かれています。幕府の要職についていた柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が、

5代将軍・綱吉の愛人を妻に与えられたという俗説を風刺したとされ、一蝶は島流しになりました。
 右の写真は作品の幕開きの部分で、英一蝶の絵の構図があてはめられています。秋の月明かりの下、遊女は優雅に舞い始めます。舟を降りると一転して明るい曲調になり軽快な手踊りになります。続いて羯鼓(かっこ)や鈴太鼓(すずだいこ)といった楽器を使って踊っていきます。特にストーリー展開はなく、衣裳や小道具の変化など、女方舞踊の華やかさを見せる踊りです。

「浅妻船」舞台写真
『浅妻船』7代目尾上梅幸の白拍子浅妻
1977年[昭和52年] 1月 (Y_E0100083000072)

雨の五郎(あめのごろう)

通称 雨の五郎(あめのごろう)
本名題(ほんなだい) 雨の五郎(あめのごろう)
初演年度 天保12年(1841年)
音楽 長唄
題材による分類 曽我物変化物

 曽我十郎(そがのじゅうろう)・五郎(ごろう)の物語を元にした舞踊です。十郎・五郎の兄弟は、幼い頃から18年間の苦労を重ねた末に、父の敵(かたき)・工藤祐経(くどうすけつね)を討ちました。鎌倉時代に起こったこの敵討ちは、全国に語り継がれる物語となり、能や歌舞伎、舞踊に取り込まれました。とりわけ男性の多い江戸の土地では勇猛なことが好まれ、荒々しい五郎は英雄としてもてはやされました。この作品では、曽我五郎が大磯の廓(くるわ)に通う姿を描いています。

 五郎は蛇の目(じゃのめ)の傘をさして、下駄の音も高らかに登場します。大磯の廓にいる「化粧坂の少将(けわいざかのしょうしょう)」と呼ばれる女性が恋人なので、雨の日も雪の夜も大磯に通っているのです。道行く途中に恋文を取りだして読み返していると、酔っぱらった男たちが絡んで来て立廻り(たちまわり)になりますが、五郎は簡単に男たちを投げ飛ばしていきます。恋人のもとに通う五郎の柔らかみと荒事の勇壮さの両方の面を持った舞踊です。

「雨の五郎」舞台写真
『雨の五郎』
7代目坂東三津五郎の曾我五郎時致
1937年[昭和12年] 7月 (BM000069)

うかれ坊主(うかれぼうず)

通称 うかれ坊主(うかれぼうず)
本名題(ほんなだい) うかれ坊主(うかれぼうず)
初演年度 昭和4年(1929年)
音楽 清元
題材による分類 風俗舞踊変化物

 うかれ坊主とは、人の代理でお参りをしたり、ちょっとした大道芸を見せてお金を貰っていた乞食坊主(こじきぼうず)のことです。いつも浮かれた様子なのでうかれ坊主と呼ばれました。
 この作品では、いがぐり頭に赤と水色の褌(ふんどし)、薄い黒の衣をひっかけた格好で登場します。その姿はユーモラスで、どこか憎めない風情があります。門口に立って物乞い(ものごい)をしたり、女性関係で失敗して落ちぶれた自分の身の上話を面白おかしく見せた後、当時流行していた悪玉踊り[悪の字が書かれた面を付けた軽快な踊り]を踊ります。
 元は常磐津(ときわず)で演奏されていた曲でしたが、昭和に入って6代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)が清元(きよもと)にアレンジして上演してから、人気の作品になりました。

越後獅子(えちごじし)

通称 越後獅子(えちごじし)
本名題(ほんなだい) 越後獅子(えちごじし)
初演年度 文化8年(1811年)
音楽 長唄
題材による分類 風俗舞踊変化物

 江戸時代、越後の国[現在の新潟県]から出て来て、軽業(かるわざ)などの芸を見せていた大道芸人のことを越後獅子と呼んでいました。この作品は、故郷を離れた旅芸人・越後獅子の風俗を取り入れたものです。
 幕が開くと、頭に獅子頭をかぶった越後獅子が走り出て、お腹にくくりつけた太鼓を打ちながら軽快に踊り出します。次にしみじみとした旋律で越後名物について聞かせ、手踊りになると気分を変えてまた浮き立つ調子で踊ります。最大の見せ場は1本歯(いっぽん

ば)の下駄を履いて、足拍子で軽妙にリズムを刻みながら長い白布を振る「布晒し(ぬのさらし)」です。
 軽快な中にもどこかひなびた哀愁を漂わせる舞踊になっています。

「越後獅子」舞台写真
『越後獅子』
6代目市川寿美蔵の角兵衛獅子升蔵
1928年[昭和3年] 5月 (BM000487)

近江のお兼(おうみのおかね)

通称 近江のお兼(おうみのおかね)
本名題(ほんなだい) 近江のお兼(おうみのおかね)
初演年度 文化10年(1813年)
音楽 長唄
題材による分類 風俗舞踊変化物

 近江の国[現在の滋賀県]の遊女・お金(かね)が、怪力の持ち主で、暴れ馬の手綱を高足駄(たかあしだ)で踏み止めたという伝説をモチーフにしています。この作品では、「お金」という名を「お兼」に変えて布晒しの娘という設定にしました。
 舞台は琵琶湖の湖畔です。暴れ馬が走りまわるのを誰も止められないでいると、お兼がやってきて高足駄で手綱をちょんと踏んで止めてしまいます。そして荒くれた漁師たちが絡んでくるのを簡単に投げ飛ばします。続くクドキでは娘心を可憐に踊り、田舎娘の純情

な一面も見せます。再び漁師たちがやってくると、「布晒し(ぬのさらし)」を振りながら立廻り(たちまわり)をし、幕になります。
 一見可憐な娘が、怪力の持ち主であるというのが魅力的な踊りです。
 この作品は7代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が初演し、8代目團十郎、9代目團十郎も度々上演したので、別名を『團十郎娘(だんじゅうろうむすめ)』ともいいます。團十郎の家は、荒事という力強さを見せる芸を得意としていましたので、『團十郎娘』という名には力の強い娘という意味がこめられています。

「近江のお兼」舞台写真
『近江のお兼』
5代目中村勘九郎(18代目中村勘三郎)の近江のお兼
尾上辰夫(吉川明良)の若い者
尾上小辰(尾上辰緑)の若い者
1988年[昭和63年] 4月 (Y_E0100148000152)

奥庭狐火(おくにわきつねび)

通称 奥庭狐火(おくにわきつねび)
本名題(ほんなだい) 本朝廿四孝
(ほんちょうにじゅうしこう)
初演年度 明和3年(1766年)
音楽 義太夫
題材による分類 -

 元は人形浄瑠璃の作品『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』の1コマです。武田信玄と上杉謙信の争いに、それぞれの息子と娘の恋をからませた物語です。武田信玄の息子・勝頼と上杉謙信の娘・八重垣姫は許婚の間柄ですが、武田家の家宝・諏訪法性の兜(すわほっしょうのかぶと)[諏訪明神の神力が宿る兜]を上杉謙信が借りたまま返さないので、両家は不仲になっています。
 舞台は謙信の館の奥庭です。八重垣姫は、父が勝頼

を暗殺しようとしていることを知り、悲しみに沈んでいます。諏訪湖には氷が張りつめて船の行き来もできないので、勝頼に身の危険を知らせることができません。姫は途方に暮れていましたが、泣いていてもしかたがない、この上は神仏にお願いしようと、奥庭の祠(ほこら)にまつられている諏訪法性の兜を手にして祈ります。すると兜に諏訪明神の使わしめである白狐(びゃっこ)がとりつき、狐の妖力を得て、諏訪湖の氷上を難なく渡っていくことができるのでした。前半を人形振りで演じることもあります。
 お姫様の情熱的な恋の舞踊です。

「奥庭狐火」舞台写真
『奥庭狐火』
3代目中村鴈治郎(4代目坂田藤十郎)の八重垣姫
5代目中村翫雀の人形遣い(奥庭)
1999年[平成11年] 11月 (Y_E0100216000290)

お染久松道行(おそめひさまつみちゆき)

通称 お染久松道行
(おそめひさまつみちゆき)
本名題(ほんなだい) 道行浮塒鴎
(みちゆきうきねのともどり)
初演年度 文政8年(1825年)
音楽 清元
題材による分類 道行物

 江戸時代初期に大坂で起こった、油屋(あぶらや)の娘・お染と丁稚(でっち)・久松の心中事件を元にしています。この事件は短い歌謡に仕立てられて、広く知られるようになり、人形浄瑠璃や歌舞伎、舞踊に取り入れられました。
 この作品は、舞台を江戸に移しています。お染は浅草にある油屋という大店(おおだな)のお嬢様、久松はその店の丁稚です。封建的な時代にお嬢様と丁稚とい

う身分違いの恋は許されないものでしたが、2人は深い関係になっていました。久松には故郷に許嫁もいます。お染の両親がお染を別の男に嫁がせようとするので、2人は駆け落ちをし、隅田川沿いにある三囲神社(みめぐりじんじゃ)の近くまで逃げてきました。久松は子供の頃から油屋に奉公しており、ご恩を受けた旦那様に対して申し訳ない気持ちで沈んでいます。お染は2人の恋の始まりの頃を思い出し、切ない娘心を訴えかけます。そこへ猿回しが通りかかり、2人の様子を見て「心中などをしてはいけない」と言い聞かせて立ち去ります。しかし思い詰めた2人の決意は変わらず、死の旅に向かっていくのでした。
 少女と少年の切ない恋の舞踊です。

「お染久松道行」舞台写真
『お染久松道行』
6代目中村福助の油屋娘お染
3代目坂東志うかの丁稚久松
1934年[昭和9年] 8月 (BM004539)

落人(おちうど)

通称 落人(おちうど)
本名題(ほんなだい) 道行旅路の花聟
(みちゆきたびじのはなむこ)
初演年度 天保4年(1833年)
音楽 清元
題材による分類 道行物

 歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の1コマです。
 『仮名手本忠臣蔵』は、江戸時代初期に、赤穂藩[現在の兵庫県赤穂市周辺]の浪士47人が主君の敵討ちをした事件を脚色しています。初めは人形浄瑠璃の作品として作られ、歌舞伎でも上演するようになりました。『落人』は原作にはない舞踊で、元は芝居だった場面を舞踊に作り替えた作品です。今日では独立して上演されることもあります。

 舞台は戸塚付近、菜の花が咲く明るい春の景色が広がっています。勘平は塩冶判官(えんやはんがん)の家臣、お軽は判官の家の腰元です。勘平は判官のお供をする役割でありながら、お軽と人目を忍んで逢っていました。その間に判官が、松の廊下で高師直(こうのもろのお)に斬りつける刃傷(にんじょう)事件を起こします。この一大事に居合わせなかったために、勘平は戻るに戻れなくなり、お軽と駆け落ちをして戸塚まで来ました。勘平は失敗を思い悩み、やはりお詫びに切腹をしようとします。お軽は、勘平を止め、一旦自分の実家に落ち延びて、時期を待ってお詫びをしようと説得します。そこへお軽に横恋慕する侍・鷺坂伴内(さぎさかばんない)が追ってきて、勘平にお軽を渡せと迫りますが、勘平は所作ダテで軽くあしらい、旅を急ぎます。
 恋人の逃避行が、甘く切ない舞踊です。

「落人」舞台写真
『落人』
12代目市川團十郎の早野勘平
5代目中村勘九郎(18代目中村勘三郎)の腰元お軽
1986年[昭和61年] 10月 (Y_E0100138000123)

お夏狂乱(おなつきょうらん)

通称 お夏狂乱(おなつきょうらん)
本名題(ほんなだい) お夏狂乱(おなつきょうらん)
初演年度 大正3年(1914年)
音楽 常磐津
題材による分類 狂乱物

 江戸時代初期に井原西鶴(いはらさいかく)が書いた『好色五人女(こうしょくごにんおんな)』の「お夏清十郎」という物語を元にしています。「お夏清十郎」は江戸時代初期に姫路で起こった但馬屋(たじまや)の娘・お夏と手代(てだい)の清十郎の密通事件に取材しています。この事件は、身分違いの2人が恋仲になり、引き離されたというもので、短い歌謡に仕立てられて流行し、人形浄瑠璃や歌舞伎、舞踊に取り入れられました。この作品は、明治になって、坪内逍遙が「舞踊」の改革を目指して作ったもので、それまでの

狂乱物より演劇性の高いものになっています。
 舞台は秋の田園風景。お夏が乱れた姿で現れます。お夏は姫路の但馬屋のお嬢様で、手代の清十郎と深い関係になりましたが、身分違いのために引き離され、清十郎は無実の罪を着せられて処刑されてしまいました。そのショックでお夏は狂い、笠の似合った清十郎の姿を求めてさまよい歩き、似た笠を見ればすがりつきます。そんなお夏を里の子供たちがからかったり、酔った男が戯れ(たわむれ)かかります。お夏が子供たちにせがまれて「田舎節」というひなびた曲で踊る部分が見どころの1つです。やがてお夏には、拷問を受けている清十郎の幻影が見え、恐れおののき狂乱すると、男は慌てて逃げていきます。夕闇が迫り、1人取り残されたお夏がたたずんでいるところへ、巡礼の老夫婦が通りかかります。お夏はその菅笠を見て清十郎かと近寄りますが、そこに清十郎の姿はありません。

お夏は寂しさをかみしめて、さめざめと泣き沈むのでした。
 恋人を失い狂ってしまった娘の哀しく切ない舞踊です。

「お夏狂乱」舞台写真
『お夏狂乱』6代目中村福助の狂女お夏
1939年[昭和14年] 12月 (BM000774) 

大原女・国入奴(おはらめ・くにいりやっこ)

通称 大原女・国入奴
(おはらめ・くにいりやっこ)
本名題(ほんなだい) 大原女・国入奴
(おはらめ・くにいりやっこ)
初演年度 文化7年(1810年)
音楽 長唄
題材による分類 風俗舞踊変化物

 『大原女[小原女]』という物売りの女の踊りと、『国入奴』という奴の踊りがセットになっている作品です。元は1人が何役にも扮する変化物(へんげもの)だったうちの2つが組み合わされています。薪(たきぎ)や炭などを頭に乗せた物売りを大原女といい、大名行列のお国入りの時に、毛槍を振って先導をしたのが国入奴です。それらの風俗を取り入れた舞踊です。
 幕が開くと、おかめの面を付けた大原女が薪を頭に

乗せて登場します。不格好な姿ながらもいじらしい女心を訴える振りがあり、綾竹(あやだけ)という房のついた紅白の棒を使ってリズミカルに踊ります。そしてその扮装から引き抜きをすると奴の姿になります。ここからが『国入奴』です。奴は毛槍を振り、大名行列のお国入りの様子を見せた後、ユーモアのある曲で手踊りをし、最後に再び槍を振って軽快に踊ります。
 『大原女』はどこかユーモラスな踊り、『国入奴』はキビキビした舞踊です。

「大原女・国入奴」舞台写真
『大原女・国入奴』
7代目坂東三津五郎の大原女おやま
1927年[昭和2年] 2月 (BM000789)

お祭り(おまつり)

通称 お祭り(おまつり)
本名題(ほんなだい) お祭り(おまつり)
初演年度 文政9年(1826年)
音楽 清元
題材による分類 風俗舞踊祭礼物変化物

 この作品は、赤坂の日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭(さんのうまつり)を題材にしています。江戸時代、山王祭は神田祭(かんだまつり)と共に幕府の庇護(ひご)を受けて催された盛大なお祭りでした。人気のイベントは山車(だし)の巡行で、その警護と先導をしたのが鳶頭(とびがしら)です。鳶頭は威勢が良く、粋で仁義に厚い侠客(きょうかく)で、江戸のいい男の代表だったのです。
 舞台はお祭り当日の夕方、無事に役目を終えた鳶頭がほろ酔い気分で戻ってきます。そして去年知り合っ

た遊女との恋の模様をのろけた後、狐拳(きつねけん)という昔のジャンケンの振りがあり、続いて賑やかな踊り地、最後は鳶の人足(にんそく)を相手にした所作ダテになります。鳶頭の替わりに芸者を出す演出もあります。
 鳶頭の粋な風情、江戸のお祭りの情緒を伝える舞踊です。

「お祭り」舞台写真
『お祭り』
2代目市川猿之助の金棒曳の男
1936年[昭和11年] 6月 (BM000794)

女伊達(おんなだて)

通称 女伊達(おんなだて)
本名題(ほんなだい) 女伊達(おんなだて)
初演年度 文化6年(1809年)
音楽 長唄
題材による分類 風俗舞踊変化物

 江戸時代には侠客(きょうかく)といって、仁義に厚く、弱い庶民を守るために悪い奴をこらしめる人々がいました。男の侠客を男伊達(おとこだて)、女の侠客を女伊達といいました。
 舞台は吉原仲の町です。江戸の女伊達が一本差しの刀を差し、尺八を手にして、上方のならず者を追って颯爽(さっそう)と現れます。そして向かってくる男たちを簡単に投げ飛ばしたり、からかい半分で口説きかかるなどのやりとりが展開されます。その後、江戸と上方の男の侠客[男伊達]の名前を読み込んだ「男伊達づくし」の詞章で、傘を使った華やかな所作ダテをし、幕になります。
 勇ましい女性のスッキリとした格好良さを見せる舞踊です。

鏡獅子(かがみじし)

通称 鏡獅子(かがみじし)
本名題(ほんなだい) 春興鏡獅子
(しゅんきょうかがみじし)
初演年度 明治26年(1893年)
音楽 長唄
題材による分類 石橋物

 江戸時代中期に作られた『枕獅子(まくらじし)』を元にしています。『枕獅子』は能の『石橋(しゃっきょう)』に取材したものです。
 正月6日のお鏡曳(おかがみびき)の行事の日、将軍が余興として御小姓(おこしょう)の踊りを希望します。老女とお局が御小姓の弥生を連れてきますが、恥ずかしがって逃げてしまいます。弥生は、再び連れられて来て逃げ場を失い、心をこめて踊りはじめます。袖(そで)を優雅に扱った振り、盆踊り風のもの

や、2枚の扇での所作など、色々な踊りを次々と踊ります。そして獅子頭(ししがしら)を手に取ると、蝶が2匹、獅子頭に戯れ(たわむれ)かかります。すると獅子頭に魂が入り、蝶を追って、弥生を引きずるように花道を入っていきます。その後、2人の女の子が「胡蝶の踊り」を可愛らしく踊り、獅子の精が登場します。獅子の精は、胡蝶や牡丹に戯れながら、長く白い毛を勇壮に振り回します。
 可憐な娘と男の勇壮な獅子とを、1人の演者が踊り分けるのが眼目の舞踊です。

「鏡獅子」舞台写真
『鏡獅子』
2代目中村扇雀(4代目坂田藤十郎)の獅子の精
1987年[昭和62年] 4月 (Y_E0100143000020)
演目解説

かさね(かさね)

通称 かさね(かさね)
本名題(ほんなだい) 色彩間苅豆
(いろもようちょっとかりまめ)
初演年度 文政6年(1823年)
音楽 清元
題材による分類 -

 江戸時代に有名だった怨霊・累(かさね)の伝説を元にしています。その伝説は、累が夫の与右衛門に殺されて怨霊となり、凄まじい(すさまじい)執念で祟りをなしたというものです。累はとても醜く、片眼と片足も不自由な女でしたが、それは累の母が連れ子の助(すけ)を殺した因果のためだと伝えられています。この話は、江戸時代初期に下総国岡田郡羽生村[現在の茨城県水海道市羽生町付近]で実際に起こった事件とされ、宗教話と結びついて世に広められ、浄瑠璃や歌舞

伎に取り入れられました。ここで累は美女として造型され、何らかの因果で死霊に取りつかれて、片眼と片足が不自由な醜い女になり、嫉妬心を起こして与右衛門に殺されるというパターンが作られました。この作品では、男と女の心のすれ違いに因果が重ねられています。
 腰元のかさねは同じ家中の与右衛門と深い関係でしたが、男は出世のために逃げてしまいました。かさねは後を追い、木下川[鬼怒川]堤(きねがわづつみ)で男に巡り会います。かさねがその思いを切々と訴えると、男はようやく心中を承諾します。そこへ髑髏(どくろ)と卒塔婆(そとば)が流れつきます。それはかさねの父・助(すけ)のもので、与右衛門は過去にかさねの母と密通し、助を殺していたのです。助の怨念はかさねに取りつき、かさねは顔が醜く変わり片足も不自由になります。かさねが与右衛門に鏡を差し付けられ、自

分の顔の変化に気づかされる場面が見どころの1つです。与右衛門は、かさねをだまして後ろから斬りつけ、自分が親の敵(かたき)であること、そんな男と深い仲になったかさねの因果を語り、壮絶な立廻り(たちまわり)の末、土橋の上でかさねを殺します。与右衛門は立ち去ろうとしますが、かさねの怨念によって引き戻されて幕になります。
 恋模様から一転して、殺人劇となるドラマ性の高い舞踊です。

「かさね」舞台写真
『かさね』
7代目尾上菊五郎のかさね
12代目市川團十郎の与右衛門
1995年[平成7年] 4月 (Y_E0100193000139)

京人形(きょうにんぎょう)

通称 京人形(きょうにんぎょう)
本名題(ほんなだい) 銘作左小刀
(めいさくひだりこがたな)
初演年度 弘化4年(1847年)
音楽 長唄常磐津
題材による分類 -

 左甚五郎(ひだりじんごろう)は、江戸時代の彫刻の名人で、日光東照宮の眠り猫や東京上野東照宮の竜で有名です。この竜の彫刻には、毎夜動き出して不忍池の水を飲んだという伝説もあります。この作品はこうした伝説を背景に、左甚五郎が作った人形に魂が入って動き出すという内容になっています。
 舞台は甚五郎の家です。甚五郎は、ある傾城(けいせい)[位の高い遊女]に恋い焦がれ、その傾城に生き写しの等身大の人形を作りました。すると甚五郎の一途

な思いが人形に乗り移り、人形が動き出します。けれども人形は作り主である甚五郎を真似て、男の無骨な動きをしてしまいます。そこで女の魂ともいわれる鏡を人形の懐に入れると、たちまち優しい女の動作になります。そして鏡が落ちるとまた男の動きに戻り、甚五郎と2人で同じ振りを早いテンポで踊っていきます。人形が見せる男と女の動きの変化が見どころです。その後、甚五郎がかくまっている姫を敵が捕まえに来ます。甚五郎はその敵の1人に右腕を切られ、左腕だけで大工道具を使った所作ダテをします。元は長いお話の1コマでしたが、今ではこの舞踊の部分だけが残っているため、後半の展開が急なものになっています。
 美しい人形が動き出し、男の身振りをする楽しい舞踊です。

「京人形」舞台写真
『京人形』
7代目松本幸四郎の左甚五郎
2代目市川松蔦の京人形小車太夫
1938年[昭和13年] 5月 (BM001798)

草摺引(くさずりびき)

通称 草摺引(くさずりびき)
本名題(ほんなだい) 正札付根元草摺
(しょうふだつきこんげんくさずり)
初演年度 文化11年(1814年)
音楽 長唄
題材による分類 曽我物

 曽我五郎(そがのごろう)が小林朝比奈(こばやしのあさひな)と力比べをする舞踊です。曽我五郎は、兄の十郎(じゅうろう)と共に父の敵討ちをした人物で、この敵討ちを題材とした物語は全国に広まり、さまざまな芸能に取り込まれました。五郎と朝比奈が力比べをするという話は、中世の芸能や物語を元にしています。そこに荒事の要素を加えて舞踊にしたのがこの作品です。
 曽我五郎は、父の敵・工藤祐経(くどうすけつね)の

館に駆け込もうと意気込んでいます。五郎の兄・十郎(じゅうろう)が工藤と対面し、命の危険にさらされているのです。しかし小林朝比奈は、冷静さを失っている五郎を止めようとして、五郎の抱えている鎧(よろい)を引っ張ります。鎧の腰にビラビラと下がっている部分を草摺(くさずり)といい、そこを引き合う2人の力比べとなります。『草摺引』のタイトルはここから来ています。朝比奈が力いっぱいに草摺を引いても五郎はびくとも動きません。朝比奈は作戦を変え、男が女の身振りをする悪身(わるみ)という動作で五郎に口説きかかりますが、それでも五郎を止めることができず、再び力比べをして幕となります。朝比奈の代わりに朝比奈の妹・舞鶴が出る演出もあります。
 曽我五郎の勇ましさと、朝比奈のユーモアを見せる舞踊です。

「草摺引」舞台写真
『草摺引』
2代目尾上松緑の小林朝比奈義秀
初代尾上辰之助(3代目尾上松緑)の曾我五郎時致
1973年[昭和48年] 1月 (Y_E0100055000051)

廓文章(くるわぶんしょう)

通称 廓文章(くるわぶんしょう)
本名題(ほんなだい) 廓文章(くるわぶんしょう)
初演年度 文化5年(1808年)
音楽 義太夫常磐津義太夫清元
題材による分類 -

 身分や家柄の高い人物が落ちぶれた様子を描いた作品です。和事という柔らかく優美な演技と共に展開されます。
 藤屋(ふじや)の若旦那(わかだんな)・伊左衛門(いざえもん)は、大坂新町の遊女・夕霧(ゆうぎり)になじみ、高額の借金を作って勘当されてしまいました。伊左衛門は夕霧に会うのに必要なお金もなくなってしまいましたが、年末のある日、みすぼらしい姿で、以前よく訪れた吉田屋へやって来ます。吉田屋の主人・喜左衛門(きざえもん)は前と変わらない態度で伊左衛門

を温かく迎え、座敷へ通します。喜左衛門の取り計らいで夕霧を伊左衛門の座敷に呼ぶことになりますが、なかなか自分の所へ現れないので、伊左衛門はすねてしまいます。夕霧が他のお客の座敷にいるのを知って怒ったり、落ち着かない行動をくりかえす様にユーモアがあり、そこが見どころでもあります。やがてやって来た夕霧が再会を喜んでも取り合わず、逆に夕霧をののしります。けれども夕霧が、伊左衛門からの音信が1年以上も途絶えていたために、その哀しみから病になってしまったことを訴えると、ようやく仲直りとなります。そこへ藤屋から「勘当を解く」知らせと夕霧を身請けするお金が届けられ、2人はめでたく結ばれます。
 伊左衛門の和事の演技と、夕霧との痴話喧嘩の様を描いた劇的要素の強い作品です。

「廓文章」舞台写真
『廓文章』
5代目中村富十郎の藤屋伊左衛門
5代目中村松江(2代目中村魁春)の扇屋夕霧
1992年[平成4年] 12月 (Y_E0100176000365)

※音楽は「義太夫・常磐津」「義太夫・清元」のどちらでも上演されることがあります。

黒塚(くろづか)

通称 黒塚(くろづか)
本名題(ほんなだい) 黒塚(くろづか)
初演年度 昭和14年(1939年)
音楽 長唄
題材による分類 松羽目物

 能の『安達原(あだちがはら)[流派によっては『黒塚』という]』を元にしています。奥州(おうしゅう)・安達原[福島県二本松市付近]には、鬼女が旅人を襲い、人肉を喰らって(くらって)いたという伝説がありました。この伝説は文学作品に取り入れられ、やがて能の『安達原』として集大成されました。
 舞台はススキの原の人里離れた家。老女が糸を繰っています。そこへ諸国を巡っている僧・祐慶(ゆうけい)の一行が宿を求めてきます。老女が男に捨てられた身の上を語り、人を恨む気持ちが捨てられないので、成仏できないだろうと打ち明けると、祐慶は仏の教えを守れば誰でも成仏できると導きます。老女は長年の心の憂いが晴れ、祐慶たちのために裏山に薪(たきぎ)を取りに行きます。中秋の名月がススキの原を照らす中、老女が救われる喜びに、月が映す自分の影と戯れ(たわむれ)踊る部分が最大の見せ場です。ここは能にはない部分で、ロシアンバレエの趣を取り入れたといわれています。ところが老女の留守中に祐慶一行の1人が、決して

見るなと禁じられていた一間を覗いてしまいます。そこにはたくさんの死骸(しがい)がありました。実は老女は鬼女だったのです。鬼女は裏切りに憤り、本性をあらわして祐慶一行に襲いかかりますが、祈り伏せられて幕になります。
 野原に1人住む「老婆の寂しいたたずまい」と、「鬼女の怒りの凄まじさ」といった静と動が対照的な舞踊です。

鷺娘(さぎむすめ)

通称 鷺娘(さぎむすめ)
本名題(ほんなだい) 鷺娘(さぎむすめ)
初演年度 宝暦12年(1762年)
音楽 長唄
題材による分類 変化物

 恋の思いに苦しむ娘の姿を鷺に重ねた作品です。
 雪一面の景色の中、白無垢(しろむく)姿の娘が傘をさしてしょんぼりとたたずんでいます。娘は降る雪に恋の思いを重ね、いつしか白鷺という鳥の美しい姿かたちを見せます。やがて「引き抜き」をして町娘の姿になり、手拭い[または綿帽子]を使って娘心を可愛く訴えます。次にとらえどころのない男の心を責める詞章で明るく踊り、再び引き抜き、傘の名前をたくさん盛り込んだ「傘づくし」のテンポの良い場面で傘を使って踊ります。そして曲調が変わると鳥の羽を模

した衣裳になり、降りしきる雪の中で地獄の責め苦を受ける、哀切なシーンになります。ここが見どころの1つで、鷺娘は苦しみ悶え、ついには息絶えます。
 切なさをベースとしながらも、明るい場面もある起伏に富んだ舞踊です。

「鷺娘」舞台写真
『鷺娘』5代目中村福助の鷺娘
1924年[大正13年] 2月 (BM002474)
演目解説

三社祭(さんじゃまつり)

通称 三社祭(さんじゃまつり)
本名題(ほんなだい) 弥生の花浅草祭
(やよいのはなあさくさまつり)
初演年度 天保3年(1832年)
音楽 清元
題材による分類 祭礼物風俗舞踊変化物

 浅草神社のお祭りに取材しています。
 宮戸川(みやとがわ)[隅田川]で、2人の漁師が舟に乗り網を打つ様子を見せています。2人は舟から降りると、当時流行の唄で軽快に踊りはじめます。するとどこからともなく黒い雲が現れ2人は気を失います。雲の中には「善」と「悪」と書かれた面があり、2人がそれを付けて善玉・悪玉が乗り移った踊りになります。ここからが最大の見どころです。悪の字がつく人名を集めた「悪づくし」や、善玉が三味線を弾

き、悪玉が語る振りなどが展開されます。その後はクドキで、悪玉が男、善玉が女になってからむユーモラスな場面もあります。そして扇子を使いアップテンポに軽快に踊り抜いていきます。
 立役の躍動感溢れる舞踊です。

「三社祭」舞台写真
『三社祭』
中村智太郎(5代目中村翫雀)の悪玉
中村信二郎(2代目中村錦之助)の善玉
1986年[昭和61年] 4月 (Y_E0100137000141)
演目解説

三番叟(さんばそう)

通称 三番叟(さんばそう)
本名題(ほんなだい) 式三番叟(しきさんばそう)
初演年度 安政3年(1856年)
音楽 長唄
題材による分類 三番叟祝儀物

 能楽の『翁(おきな)』を元にした作品で、儀式性の高い舞踊です。
 作品の冒頭で翁が繁栄を祝う言葉を述べます。次に千歳(せんざい)が若々しく舞い、面をつけた翁が再び出、天下泰平(てんかたいへい)、国土安穏(こくどあんのん)の祈りを捧げて舞を舞い退場します。ここからが三番叟の出番で勢いよく登場し、拍子を踏む舞になり「烏飛び(からすとび)」という三番叟独特の振りを見せます。千歳とのやりとりがあり、鈴を受け取ると「鈴の段」と呼ばれる場面になります。鈴を振りなが

ら田植えの様子などを見せ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る活発な踊りです。
 歌舞伎舞踊では軽妙に踊る三番叟の部分をクローズアップし、三番叟を操り人形に見立てた『操三番叟』、2人の三番叟が登場してリズミカルに展開する『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)[二人三番叟(ににんさんばそう)]』などが作られ、人気を得ています。

「三番叟」舞台写真
『式三番』(NA070500)

汐汲(しおくみ)

通称 汐汲(しおくみ)
本名題(ほんなだい) 汐汲(しおくみ)
初演年度 文化8年(1811年)
音楽 長唄
題材による分類 変化物

 能の『松風(まつかぜ)』を元にしています。その内容は、須磨(すま)に流刑になった在原行平(ありわらのゆきひら)と恋をした松風・村雨(むらさめ)という海女(あま)の姉妹の亡霊が、秋の月の下で汐を汲む様を見せるというものでした。この舞踊では登場人物を松風だけにしています。
 ある秋の夜の須磨の浦に、海女が汐を汲む桶(おけ)を担いでやってきます。この娘は以前、須磨に流刑になった行平と恋をしていましたが、行平は都へ帰ってしまいました。行平のことを忘れられない娘は、烏帽

子(えぼし)をかぶり、振袖の上に狩衣(かりぎぬ)を着ています。この烏帽子と狩衣は行平の形見だったのです。
 娘は汐を汲む様子や、須磨の浦の夕暮れの風情を見せ、手拭いを使ったクドキになります。ここには、楽しかった恋の日々や乱れる思いがつづられています。その後、ストーリーから離れ、大中小の傘がついた三蓋傘(さんがいがさ)で華やかに踊り、最後の能から詞章を取った部分になると、中啓(ちゅうけい)を使って格調高く舞い納めます。
 秋の夜の静けさの中に華やかさがある舞踊です。

「汐汲」舞台写真
『汐汲』7代目尾上梅幸の蜑女刈藻
1974年[昭和49年] 9月 (Y_E0100067000029)

執着獅子(しゅうじゃくじし)

通称 執着獅子(しゅうじゃくじし)
本名題(ほんなだい) 英執着獅子
(はなぶさしゅうじゃくのしし)
初演年度 宝暦4年(1754年)
音楽 長唄
題材による分類 石橋物

 能の『石橋(しゃっきょう)』を元にしています。女の獅子の華やかな舞踊です。
 幕が開くと、大広間に傾城(けいせい)[位の高い遊女]がうつうつとして座っています。頭には病鉢巻という病人がする鉢巻をし、彼女が恋の病をわずらっていることが想像できます。傾城は蝶が舞うのを見るとそれを追うようにして優雅に舞い始め、まず手紙を扱う振りを見せ、やがて華やかに団扇や鈴太鼓(すずだいこ)を使った踊りになります。そして扇獅子(おうぎじ

し)という扇に牡丹の花のついた小道具を手にして踊るうちに、蝶に引かれて花道を引っ込みます。後半は、女の獅子になって登場し、牡丹を手にした立廻り(たちまわり)の後、獅子の長い毛を振り回します。
 色気ある傾城の恋の物思いと女の獅子の勇壮さをみせる舞踊です。

「執着獅子」舞台写真
『執着獅子』
3代目中村鴈治郎(4代目坂田藤十郎)の傾城
2000年[平成12年] 4月 (Y_E0100219000286)

素襖落(すおうおとし)

通称 素襖落(すおうおとし)
本名題(ほんなだい) 襖落那須語
(すおうおとしなすのかたり)
初演年度 明治25年(1892年)
音楽 長唄義太夫
題材による分類 松羽目物

 狂言の『素襖落』を舞踊にしたものです。狂言では登場人物は、主、太郎冠者(たろうかじゃ)、伯父の3人ですが、舞踊では伯父の代わりに姫を出して色気を添え、他にも姫の召使いや、主の太刀持ち(たちもち)などの人物を増やして賑やかな構成にしています。
 ある大名が急に伊勢神宮へのお参りを思い立ち、以前、一緒に行く約束をしていた伯父の元へ、召使いの太郎冠者を迎えにいかせます。大名の伯父は留守で、代わりに応対した姫が、伯父は忙しい時期なので、一

緒に行かれないと伝え、大名のお供をする太郎冠者の出発を祝って、お酒を振る舞います。太郎冠者が心地よく酔って「那須与市語(なすのよいちのかたり)」を舞う場面が最大の見せ場です。姫が素襖[礼服の1種]を太郎冠者に贈ると太郎冠者は喜び、舞いながら大名の元に戻りますが、途中で素襖を落としてしまいます。それを拾ったのが大名で、素襖を隠しながら舞を舞い太郎冠者をからかうのでした。
 ユーモアあるストーリーと舞の面白さが味わえる舞踊です。

「素襖落」舞台写真
『素襖落』
5代目中村富十郎の太郎冠者
7代目尾上菊五郎の大名某
中村信二郎(2代目中村錦之助)の太刀持鈍太郎
2000年[平成12年] 12月 (Y_E0100222000323)

隅田川(すみだがわ)

通称 隅田川(すみだがわ)
本名題(ほんなだい) 隅田川(すみだがわ)
初演年度 大正8年(1919年)
音楽 清元
題材による分類 狂乱物

 能の『隅田川』を元に作られた舞踊の1つです。能の内容は、都の女が、さらわれた我が子を求め隅田川にたどりつき、死んだ我が子の幻と対面するというものです。また隅田川のほとりで死んだ梅若丸(うめわかまる)という少年の伝説もあり、伝説と能のどちらが先に出来たのかは判明していません。
 舞台は春の隅田川の渡し場です。狂女が疲れ果てた様子でやってきます。彼女は人買いにさらわれた子供・梅若丸を捜して、京からはるばる旅して来たのです。女が船に乗ると向こう岸に人がたくさん集まって

います。船頭が、人買いに連れられて旅の疲れから死んでしまった少年の墓があること、そして今日がその命日であることを語ります。その少年こそ、女の尋ねる梅若丸でした。船頭は女をその墓に案内すると、女は嘆き悲しみ、やがて我が子の幻影が見えて追いかけますが、夜明けと共に幻は消えていきます。
 我が子を失った母親の哀しみが胸に迫る、ドラマ性の高い舞踊です。

「隅田川」舞台写真
『隅田川』
6代目中村歌右衛門の班女の前
1991年[平成3年] 10月 (Y_E0100168000247)

関の扉(せきのと)

通称 関の扉(せきのと)
本名題(ほんなだい) 積恋雪関扉
(つもるこいゆきのせきのと)
初演年度 天明4年(1784年)
音楽 常磐津
題材による分類 -

 大伴黒主(おおとものくろぬし)の野望を阻止するために桜の精が傾城(けいせい)[位の高い遊女]姿になって現れる舞踊です。
 逢坂山(おうさかやま)[現在の滋賀県大津市あたり]の関所で、小町姫の恋人の宗貞(むねさだ)が世を避けて住んでいます。そこへ小町姫が来て、再会を果たします。関の番人・関兵衛(せきべえ)が2人の仲を取り持つうちに、宗貞は関兵衛に不審を抱き、小町姫に朝廷方へ知らせに行かせます。実は関兵衛は大伴黒

主という大悪人で、天下を乗っ取ろうとしていたのです。関兵衛が祈りのために桜の木を切ろうとすると、墨染(すみぞめ)という傾城が現れて関兵衛を誘惑します。彼女は実は桜の精で、宗貞の弟・安貞(やすさだ)と恋仲だったために、関兵衛の野望を妨げようとしているのです。しかし安貞の形見の袖を見るとつい涙を見せてしまうので関兵衛に怪しまれ、お互いに本性をあらわして、立廻りとなります。
 色仕掛けから一転、立廻りとなる劇性の高い舞踊です。

「関の扉」舞台写真
『関の扉』
12代目市川團十郎の関守関兵衛実は大伴黒主
5代目坂東玉三郎の墨染実は小町桜の精
1991年[平成3年] 1月 (Y_E0100164000275)
演目解説

蝶の道行(ちょうのみちゆき)

通称 蝶の道行(ちょうのみちゆき)
本名題(ほんなだい) 蝶の道行(ちょうのみちゆき)
初演年度 天明4年(1784年)
音楽 義太夫
題材による分類 道行物

 この作品は生前結ばれなかった2人が、死後、番(つがい)の蝶になって冥土(めいど)への旅をする道行です。江戸時代中期の書物にある「敵の家の息子と恋をしたために、兄に斬られた娘の話」と、「花を好んだのが縁で夫婦になった2人が、死後番の蝶となって息子の前に現れる話」とが組み合わされた物語の1コマです。
 助国(すけくに)と小槙(こまき)は恋仲でしたが、主君(しゅくん)とその許婚の身替わりに首を切られ、この世では夫婦になることができませんでした。舞台にはお揃いの着物を着た2人が登場し、四季の花が咲き乱れる風景の中で、2人の馴れ初めや、恋心を描写します。やがて蝶の姿になると地獄の責めを受けるシーンになります。2人はお互いをかばい合いながら、必死に苦しみに耐えようとしますが、小槙が先に力つき、そこに折り重なるようにして助国も息絶えます。
 蝶になった恋人同士の悲しくもロマンチックな舞踊です。

土蜘(つちぐも)

通称 土蜘(つちぐも)
本名題(ほんなだい) 土蜘(つちぐも)
初演年度 明治14年(1881年)
音楽 長唄
題材による分類 松羽目物

 土蜘の精が天下を狙い、源頼光(みなもとのらいこう)に襲いかかる舞踊です。能の『土蜘蛛(つちぐも)』に取材しています。
 源頼光は病気療養をしています。そこへ胡蝶(こちょう)という女が薬を届けに来て、頼光の希望で、胡蝶は紅葉の名所の風景を舞います。胡蝶が退出すると、どこからともなく比叡山(ひえいざん)の僧・智籌(ちちゅう)と名乗る人物が現れ、頼光の求めに応じて、諸国を修行して歩いた物語を踊ります。智籌とは蜘蛛を音読みした名前です。続いて智籌の祈りになり、正体を怪

しまれると、数珠を口元にあてた「畜生口(ちくしょうぐち)」という見得をして、頼光に蜘蛛の糸を投げつけて去っていきます。ここが見どころの1つです。やがて土蜘の本性をあらわして登場し、頼光の家来たちと立廻りをし、千筋の糸を放って幕になります。
 僧・智籌の翳り(かげり)ある姿が妖しい魅力を放つ舞踊です。

「土蜘」舞台写真
『土蜘』
6代目尾上菊五郎の土蜘の精
6代目大谷友右衛門の平井保昌(BM003623)
演目解説

釣女(つりおんな)

通称 釣女(つりおんな)
本名題(ほんなだい) 釣女(つりおんな)
初演年度 明治34年(1901年)
音楽 常磐津
題材による分類 松羽目物

 狂言の『釣針(つりばり)』を元にしています。霊夢によって授かった釣針で、妻だけではなく、太刀(たち)など、何でも好きなものが釣れるという設定でした。舞踊では釣るものを美女と醜女(しこめ)の2人に絞り、対照を際立たせています。
 大名と召使いの太郎冠者(たろうかじゃ)は共に独身で、良い妻を授かりたいと願をかけに、西宮[現在の兵庫県西宮市]の戎神社(えびすじんじゃ)に参詣します。2人がお祈りしてまどろむと、夢のお告げがあり、釣針を与えられます。大名はその釣針で美しい女

性を釣り上げましたが、太郎冠者は不細工な女・醜女を釣り上げてしまいます。太郎冠者は嫌がりますが、醜女は太郎冠者を気に入り、あれこれと迫っていくのでした。醜女の太郎冠者への降り注ぐような愛情が、いじらしく感じられる場面もあります。
 どこまでも嫌がる太郎冠者と、一途な醜女の対比がユーモラスな舞踊です。

「釣女」舞台写真
『釣女』
初代澤村宗之助の醜女
7代目澤村宗十郎の太郎冠者
助高屋高丸の大名 (BM003724)

供奴(ともやっこ)

通称 供奴(ともやっこ)
本名題(ほんなだい) 供奴(ともやっこ)
初演年度 文政11年(1828年)
音楽 長唄
題材による分類 風俗舞踊変化物

 奴(やっこ)とは武家に奉公する下男のことで、供奴は主人が出かける時にお供をするのが役目です。この作品はその風俗を取り入れています。
 舞台は吉原仲の町、大きな提灯を提げた奴が勢いよく走り出てきます。主人のお供に遅れてしまったのです。奴は主人の姿を探しながら、主人のかっこよさを自慢し、その姿を真似て得意気に踊ります。そして、じゃんけんをして負けた方が飲む「拳酒(けんざけ)」の様や、毛槍(けやり)を担ぐ姿を見せた後、見どころの足拍子となります。足拍子は、三味線、鼓の奏でる

音楽がリズミカルで楽しい場面です。ふと我に返った奴は、慌てて主人の姿を探しに行くのでした。
 軽快な音楽とキビキビした奴の動きが心地よい舞踊です。

「供奴」舞台写真
『供奴』5代目中村富十郎の奴富平
1989年[昭和64年] 1月 (Y_E0100152000127)

二人椀久(ににんわんきゅう)

通称 二人椀久(ににんわんきゅう)
本名題(ほんなだい) 其面影二人椀久(そのおもかげににんわんきゅう)
初演年度 安永3年(1774年)
音楽 長唄
題材による分類 狂乱物

 椀久とは、江戸時代初期に実在した大坂の豪商・椀屋久右衛門(わんやきゅうえもん)の略称です。椀久は、新町の傾城(けいせい)[位の高い遊女]・松山と深い関係になり豪遊を続けたために座敷牢に閉じこめられ、松山恋しさに発狂しました。この実説を元に様々な物語や浄瑠璃、歌舞伎が作られ、椀久は椀屋久兵衛という名前になりました。この作品では、椀久がつかの間に見る夢を描いています。
 ある夜、椀久は座敷牢を抜け出し、あてもなくさまよい歩いています。松山との恋をふり返り、松山に逢いたいと願ううちに、いつの間にかうとうとと眠りに落ちます。するとどこからともなく松山の幻が現れ、椀久への思いを静かに訴えかけます。椀久は目を覚まし、2人のしっとりとした踊りやテンポのよい振りなどを繰り広げますが、やがて松山の姿はかき消えて、1人残された椀久は深い悲しみに襲われるのでした。
 大人のムードある恋の模様を描いた舞踊です。

乗合船(のりあいぶね)

通称 乗合船(のりあいぶね)
本名題(ほんなだい) 乗合船恵方万歳
(のりあいぶねえほうまんざい)
初演年度 天保14年(1843年)
音楽 常磐津
題材による分類 風俗舞踊

 乗合船とは何人かが乗り合う船のことです。この作品は乗合船を七福神の乗った宝船に見立てて作られています。
 舞台は初春の隅田川です。渡し場の乗合船に、女船頭、白酒売、大工、芸者、俳諧師(はいかいし)の5人が乗り込んでいます。そこへ芸人の万歳(まんざい)と才蔵(さいぞう)のコンビが急いでやってきます。同じ船に乗り合わせる7人は、何か面白い話をしようということになり、まず白酒売が白酒の由来を踊ります。

大工は「大工の道具づくし」を見せ、俳諧師は吉原通いのキザな話をし、そこに女船頭がからみます。続いて万歳と才蔵が祝福の芸を披露し、黄金(こがね)が湧き出てくる様子を楽しく踊ります。最後は7人が船に乗り込んで七福神の宝船の絵面を真似て幕になります。
 江戸時代の様々な風俗を写した軽妙な舞踊です。

「乗合船」舞台写真
『乗合船』
7代目坂東三津五郎の才蔵亀松
6代目尾上菊五郎の万歳鶴太夫 他
1929年[昭和4年] 1月 (BM003934)

羽根の禿(はねのかむろ)

通称 羽根の禿(はねのかむろ)
本名題(ほんなだい) 羽根の禿(はねのかむろ)
初演年度 天明5年(1785年)
音楽 長唄
題材による分類 風俗舞踊変化物

 禿とは、花魁(おいらん)の身の回りの雑用をする少女のことです。この舞踊は、正月に吉原の店先で、禿が羽根を突いて遊んでいる姿を描いています。
 振袖姿の禿が、「ぽっくり」という下駄[禿の履き物]の音も高らかに、のれん口から登場します。まず袖(そで)を使った動作を見せて禿の可愛らしさを見せます。そして文使いをする様子や朝早くに起こされる毎日の情景を描いた後、眼目の羽根突きの振りになります。大人の世界で働いている子供の無邪気な一面です。途中、羽根がどこかへ飛んでいってしまうのでそ

れを探す振りなどがあり、あどけない様子を見せます。最後は「梅は匂いよ桜は花よ」と、この作品が作られた天明時代に流行した唄で華やかに幕となります。
 少女が屈託なく遊ぶ姿を描いた、明るく可愛らしい舞踊です。

「羽根の禿」舞台写真
『羽根の禿』5代目中村富十郎の禿梅野
1989年[昭和64年] 1月 (Y_E0100152000115)

藤娘(ふじむすめ)

通称 藤娘(ふじむすめ)
本名題(ほんなだい) 藤娘(ふじむすめ)
初演年度 文政9年(1826年)
音楽 長唄
題材による分類 変化物

 藤の花の精が町娘の姿で踊ります。江戸時代に人気のあった絵がモデルです。
 観客席も舞台もまっくらな中、鼓の音と長唄が聞こえてきます。チョンという音をきっかけに舞台がいっぺんに明るくなると、藤娘が立っています。娘は藤の枝をゆらゆらと揺らして踊り始め、やがて笠を使った踊りで切ない恋心を表現します。そして最大の見どころ、「藤音頭(ふじおんど)」になります。お酒に酔ってふらふらしたり、男性が帰るというのを引き留めたりする恋心があふれる振りがついています。続いてテ

ンポのよい曲調になり、恋心の描写から離れて明るく楽しく踊り、幕になります。
 娘の可愛らしさと衣裳の華やかさが楽しい舞踊です。

「藤娘」舞台写真
『藤娘』5代目中村時蔵の藤の精
1994年[平成6年] 4月 (Y_E0100186000310)
演目解説

双面(ふたおもて)

通称 双面(ふたおもて)
本名題(ほんなだい) 双面水照月
(ふたおもてみずにてるつき)
初演年度 寛政10年(1798年)
音楽 常磐津
題材による分類 双面物

 同じ姿形(すがたかたち)をした人物が2人現れる舞踊です。能の『二人静(ふたりしずか)』が原型で、能では2人の静御前が舞を舞います。この舞踊では同じ姿の町娘が2人現れます。
 舞台は隅田川の渡し場です。永楽屋(えいらくや)の娘・お組と手代(てだい)の要助が登場します。要助は、実は京の吉田家の若殿(わかとの)・松若丸(まつわかまる)で、紛失した家の宝を取り戻すために永楽屋の手代になっていました。そして、そこの娘のお組と恋

仲になりましたが、要助に罪の疑いがかけられたので、2人はしのぶ売りという物売りの姿に身を変えて逃げてきたのです。
 実は松若丸には野分姫(のわけひめ)という婚約者がいました。しかし姫は法界坊という破戒坊主に殺され、その法界坊は松若丸を守護する道具屋甚三(どうぐやじんざ)に殺されました。松若丸に思いを残す野分姫と、お組に執着する法界坊の霊が合体し、お組の姿になってどこからともなく現れます。女船頭は本物のお組を見分けるために2人に踊らせます。その後、霊が化けたお組が松若丸の袖をとらえ、本物のお組に祟ろうとするなど、野分姫と法界坊が交互に現れ恨みを述べます。それぞれの本性を見せるところが眼目です。女船頭が浅草の観世音の尊像をつきつけると、亡霊の姿は消え失せていきます。
 町娘の姿で無骨な法界坊の霊を表現する点が面白い舞踊です。

「双面」舞台写真
『双面』
7代目尾上菊五郎の野分姫の霊・法界坊の霊
6代目澤村田之助の要助実は吉田松若
5代目中村時蔵のお組
1989年[平成1年] 12月 (Y_E0100157000176)

船弁慶(ふなべんけい)

通称 船弁慶(ふなべんけい)
本名題(ほんなだい) 船弁慶(ふなべんけい)
初演年度 明治18年(1885年)
音楽 長唄
題材による分類 松羽目物

 平知盛(たいらのとももり)の亡霊が源義経(みなもとのよしつね)一行を襲う舞踊です。能『船弁慶』を元にしています。
 義経は兄・頼朝と不仲になり、都から逃れて西国へ下ろうと、摂津の国大物浦(だいもつのうら)[現在の兵庫県尼崎市にあった港]に来ました。義経の愛人・静御前は一緒に行こうとしますが許されず、別れに義経との思い出の曲『都名所(みやこめいしょ)』を舞います。この曲には京都の四季折々の風景が詠み込まれています。義経は烏帽子を形見に与え、静は悲しみを

こらえながら立ち去ります。
 義経一行を乗せた船が出発すると、途中、魔風が吹き起こり、波の間から平知盛の亡霊が現れます。知盛の亡霊は、戦(いくさ)に負けた恨みから、義経の船を海中に沈めようとしますが、弁慶に祈り伏せられて退散します。知盛の亡霊はなぎなたを肩に、ぐるぐると「渦巻き」のように回って花道を去っていきます。
 静御前と知盛の亡霊を1人の演者が踊り分けるのが眼目の作品です。

「船弁慶」舞台写真
『船弁慶』
12代目市川團十郎の新中納言知盛の霊
3代目河原崎権十郎の武蔵坊弁慶
1989年[平成1年] 3月 (Y_E0100153000134)

棒しばり(ぼうしばり)

通称 棒しばり(ぼうしばり)
本名題(ほんなだい) 棒しばり(ぼうしばり)
初演年度 大正5年(1916年)
音楽 長唄
題材による分類 松羽目物

 主人公が棒にしばられた状態で踊る舞踊です。狂言の『棒縛(ぼうしばり)』を元にしています。
 大名の曽根松兵衛(そねのまつべえ)は、用事があって外出しなければなりません。しかし召使いの太郎冠者(たろうかじゃ)と次郎冠者(じろうかじゃ)は、大名が留守にする度に、蔵の酒を盗み飲みします。そこで大名は、今回は2人をだまして、太郎冠者を後ろ手にしばり、次郎冠者は両手を棒にしばりつけて、安心して出かけて行きます。しかし2人の召使いはしばられたまま蔵に忍び込み、協力して酒をくみかわします。

お酒がすすむと、不自由な体を器用に使って、順番に舞を舞いはじめ、やがて2人でリズミカルに連れ舞を舞い、浮かれに浮かれています。するとそこに大名が帰ってきて、逃げる2人を追い回して幕になります。
 明るいストーリーと軽妙な舞が楽しい舞踊です。

「棒しばり」舞台写真
『棒しばり』
7代目坂東三津五郎の太郎冠者
6代目尾上菊五郎の次郎冠者
1917年[大正6年] 3月 (BM004332)

将門(まさかど)

通称 将門(まさかど)
本名題(ほんなだい) 忍夜恋曲者
(しのびよるこいはくせもの)
初演年度 天保7年(1836年)
音楽 常磐津
題材による分類 -

 平将門(たいらのまさかど)の娘・滝夜叉姫(たきやしゃひめ)が主人公の舞踊です。江戸時代後期に山東京伝(さんとうきょうでん)が書いた読本(よみほん)『善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)』を元にしています。
 将門は天下を狙って滅ぼされ、かつてきらびやかだった御所は今ではすっかり荒れ果てています。そこに、怪異の噂を聞きつけた勇者・大宅光圀(おおやのみつくに)が乗り込んできています。傾城(けいせい)[位

の高い遊女]姿の滝夜叉姫がどこからともなくやってきて、光圀への思いを訴えます。光圀を色仕掛けで味方にし、天下を乗っ取ろうとしているのです。しかし、光圀が「将門戦死の物語」をすると彼女は涙を見せ、将門の娘である証拠の旗を落としてしまいます。見どころは、滝夜叉姫が本性を明かし[「見あらわし」になり]、「がまの妖術」を使う立廻り(たちまわり)です。
 古御所(ふるごしょ)で展開する男と女の駆け引きが面白い舞踊です。

「将門」舞台写真
『将門』
9代目中村福助の傾城如月実は滝夜叉姫
4代目中村梅玉の大宅太郎光圀
2000年[平成12年] 1月 (Y_E0100218000144)

身替座禅(みがわりざぜん)

通称 身替座禅(みがわりざぜん)
本名題(ほんなだい) 身替座禅(みがわりざぜん)
初演年度 明治43年(1910年)
音楽 常磐津長唄
題材による分類 松羽目物

 狂言『花子(はなご)』を元にしています。夫の浮気と妻の嫉妬が描かれています。
 京の近郊に住む山蔭右京(やまかげうきょう)は、愛人の花子から「京に来ているので会いたい」と手紙を貰います。右京はすぐにでも飛んで行きたいのですが、右京を愛する奥方・玉の井がいつもそばにいて片時も離れません。そこで家の持仏堂(じぶつどう)で座禅(ざぜん)を組むと嘘をつき、身替わりに家来の太郎冠者に衾(ふすま)[小袖(こそで)]を被せて(かぶせて)出かけて行きます。しかし数時間後、奥方が見舞い

に来たのでばれてしまい、今度は奥方が衾を被り太郎冠者になりすまして夫の帰りを待ちます。そうとも知らずに帰ってきた右京は、花子と会った嬉しさにのろけ話をはじめ、花子がいかに可愛らしいかをつぶさに語ります。そしてふと衾をとると、中には奥方が怒りにふるえておりました。右京は驚き慌てて逃げるのを、奥方が追っていきます。
 男の浮気がばれる騒動を明るく描いた舞踊です。

「身替座禅」舞台写真
『身替座禅』
12代目市川團十郎の山蔭右京
9代目澤村宗十郎の奥方玉の井
1995年[平成7年] 3月 (Y_E0100192000254)

娘道成寺(むすめどうじょうじ)

通称 娘道成寺(むすめどうじょうじ)
本名題(ほんなだい) 京鹿子娘道成寺
(きょうがのこむすめどうじょうじ)
初演年度 宝暦3年(1753年)
音楽 義太夫長唄
題材による分類 道成寺物

 道成寺には伝説があります。ある女が、逃げる男をどこまでも追ううちに大蛇と化し、道成寺の鐘に隠れた男を鐘もろともに焼き尽くしたというものです。この作品は、道成寺伝説を元にした能『道成寺』に取材しています。
 道成寺の鐘供養(かねくよう)の日、振袖(ふりそで)姿の白拍子(しらびょうし)・花子がやって来ます。神聖なお寺の庭は女人禁制ですが、所化(しょけ)[坊主]たちは法要の舞を舞うのを条件に庭に入ることを

許します。白拍子はおごそかに舞い始め、烏帽子を取ると一転して砕けた雰囲気になり、娘から大人の女性までの様々な恋心を、メドレー式に華やかに踊っていきます。鞠(まり)をつく様子をみせる鞠唄、連なった笠を使った踊り、女心を訴えるクドキ羯鼓(かっこ)を使った踊り……と衣裳を何度も変えて踊り、その間に所化たちの花傘の踊りも入ります。花子は鈴太鼓を軽快に振って踊っていくうちに、ついには鐘に上り、蛇の本性をあらわすのでした。
 一般に、クドキや羯鼓を使った踊りの部分が見どころといわれていますが、どの部分をとっても美しく華やかな舞踊です。

「娘道成寺」舞台写真
『娘道成寺』7代目尾上菊五郎の白拍子花子
1985年[昭和60年] 3月 (Y_E0100131000104)
演目解説

戻駕(もどりかご)

通称 戻駕(もどりかご)
本名題(ほんなだい) 戻駕色相肩
(もどりかごいろにあいかた)
初演年度 天明8年(1788年)
音楽 常磐津
題材による分類 -

 駕かきに変装した真柴久吉(ましばひさよし)[羽柴秀吉]と石川五右衛門が主人公の舞踊です。
 駕かきの吾妻の与四郎(あずまのよしろう)と浪花の次郎作(なにわのじろさく)が、禿(かむろ)のたよりを乗せて紫野(むらさきの)にさしかかります。そこで駕を下ろして小休止をとり、それぞれのお国自慢をし始めます。ここが見どころで、次郎作が大坂の新町、与四郎が江戸の吉原、たよりが京の島原と、三都の有名な廓(くるわ)の様子を踊ります。そのうちに、与四郎

が実は真柴久吉(ましばひさよし)、次郎作が実は石川五右衛門で、お互いに敵対する人物であることがわかり、所作ダテの後、幕になります。
 二枚目役の与四郎、悪役の次郎作、少女の役のたよりの3人の対比が面白い舞踊です。

「戻駕」舞台写真
『戻駕』
7代目松本幸四郎の浪花の次郎作
初代澤村宗之助の禿たより
7代目澤村宗十郎の吾妻の与四郎
1923年[大正12年] 1月 (BM004749)

戻橋(もどりばし)

通称 戻橋(もどりばし)
本名題(ほんなだい) 戻橋(もどりばし)
初演年度 明治23年(1890年)
音楽 常磐津
題材による分類 -

 鬼女が娘に化けて渡辺綱(わたなべのつな)を襲う舞踊です。京の堀川にかかる一条戻橋(いちじょうもどりばし)で、渡辺綱が鬼女の腕を切り落としたという伝説を元にしています。
 源頼光(みなもとのらいこう)の家臣・渡辺綱が主人の使いの帰りに、京・一条戻橋にさしかかると、美しい娘・小百合(さゆり)と出会い、道連れになります。川の水に写った姿から娘が鬼であることを見破りますが、そしらぬ振りをして道を進み、途中、舞を見せてもらうことになります。すると娘が綱に言い寄って

くるので、逆に娘を問いつめると、娘は遂に鬼の正体をあらわし立廻り(たちまわり)になります。綱は鬼に襟をつかまれて上空へ連れて行かれ、鬼の片腕を切って、地上に落ちていきます。
 可憐な娘が実は鬼で、後に立廻りになる豪快な舞踊です。

「戻橋」舞台写真
『戻橋』
7代目中村芝翫の扇折小百合実は愛宕山の鬼女
3代目中村橋之助の渡邊源次綱
2004年[平成16年] 1月 (Y_E0100238054016)

紅葉狩(もみじがり)

通称 紅葉狩(もみじがり)
本名題(ほんなだい) 紅葉狩(もみじがり)
初演年度 明治20年(1887年)
音楽 義太夫常磐津長唄
題材による分類 松羽目物

 鬼女が姫に化けて現れ、平維茂(たいらのこれもち)を襲う舞踊です。
 武勇の誉れ高い平維茂が従者を連れて、信州の戸隠山(とがくしやま)へ紅葉狩に訪れます。すると高貴な姫の一行が維茂を呼び止めて酒宴となります。維茂が姫の舞を見るうちについ眠ってしまうと、姫の様子が変わります。実は姫は戸隠山にすむ鬼女で夜な夜な人の肉を喰って(くって)いたのです。姫は正体をあらわして維茂に襲いかかります。優雅な姫が一転して荒々しい鬼の正体をあらわすのが見どころです。維茂は鬼

女の妖力に苦しみますが、銘剣(めいけん)の威力により、鬼女を討ち取ります。
 舞台一面の紅葉の景色に、華やかな衣裳が映える美しい豪華な舞踊です。

「紅葉狩」舞台写真
『紅葉狩』
4代目中村雀右衛門の更科姫実は戸隠山の鬼女
12代目市川團十郎の余吾将軍平維茂
1990年[平成2年] 11月 (Y_E0100162000364)
演目解説

櫓のお七(やぐらのおしち)

通称 櫓のお七(やぐらのおしち)
本名題(ほんなだい) 伊達娘恋緋鹿子
(だてむすめこいのひがのこ)
初演年度 安政3年(1856年)
音楽 義太夫
題材による分類 -

 江戸時代初期に実在した八百屋の娘・お七の話を元にしています。お七は火事で家が焼けて寺に避難した時に、寺小姓の庄之助と知り合い、恋仲になります。お七は新築された家に戻りますが、火事があればもう一度庄之助に逢えると思い、放火をしたため火炙り(ひあぶり)の刑にされました。この事件は、井原西鶴(いはらさいかく)の『好色五人女(こうしょくごにんおんな)』に恋物語として脚色され、様々な歌謡にもなって流行し、さらに浄瑠璃や歌舞伎の題材になりました。

 この作品では、八百屋の娘・お七は寺小姓の吉三郎(きちさぶろう)と恋仲になります。吉三郎は、主家の家宝の剣を紛失した罪で切腹を迫られています。お七はその剣を悪者の釜屋武兵衛(かまやぶへえ)が所持していることを知り、なんとしても吉三郎に知らせたいと思います。けれども夜は町から町への通路は木戸が閉められ、どんな理由があっても通ることができません。ふと火の見櫓(ひのみやぐら)を見ると、火事の時にその太鼓を打てば各木戸が開くということを思い出します。火事ではない時に鳴らせば重い仕置きになるのですが、吉三郎を助けたい一心で、お七は火の見櫓に登り、太鼓を打ち鳴らし木戸を開かせます。そこへ下女のお杉が剣を手に入れてくるので、お七はそれを持って吉三郎の元へ駆け出していきます。恋する気持ちの激しさの表現として、人形振りが取り入れられています。
 少女の情熱的な恋の舞踊です。

「櫓のお七」舞台写真
『櫓のお七』5代目坂東玉三郎の八百屋お七
1986年[昭和61年] 1月 (Y_E0100135000156)

保名(やすな)

通称 保名(やすな)
本名題(ほんなだい) 保名(やすな)
初演年度 文政元年(1818年)
音楽 清元
題材による分類 狂乱物変化物

 安倍保名(あべのやすな)が、恋人を失ったために狂気となってさまよう姿を描いた舞踊です。
 舞台は菜の花が一面に咲く春の野辺です。保名が蝶を追って現れます。恋人・榊の前が自害したショックで気が狂ってしまったのです。保名は、髪を振り乱し、恋人の形見の小袖を肩にかけています。仲良く舞う蝶々に恋人との幻想を見て戯れ(たわむれ)、小袖を恋人に見立てて語りかけ、吉原の遊女と客に2人の関係を置きかえた振りになります。やがて恋人の幻も消え、保名は深い寂しさに沈みこみます。

 春の野辺に溶け込むような保名の姿が優美な舞踊です。

「保名」舞台写真
『保名』14代目守田勘弥の安倍保名
1974年[昭和49年] 9月 (Y_E0100067000081)
演目解説

奴道成寺(やっこどうじょうじ)

通称 奴道成寺(やっこどうじょうじ)
本名題(ほんなだい) 奴道成寺(やっこどうじょうじ)
初演年度 明治8年(1875年)
音楽 常磐津長唄
題材による分類 道成寺物

 『娘道成寺(むすめどうじょうじ)』の男性版パロディです。『娘道成寺』の詞章をほとんどそのまま取り入れています。
 道成寺の鐘供養の日。狂言師の左近は白拍子に化けて奉納の舞を舞いますが、すぐに変装がばれ、その罰として踊りを披露することになります。『娘道成寺』と違うのはクドキの部分をお面を使った踊りにした点で、おかめ、ひょっとこ、大尽(だいじん)の面を次々と変えて人物を踊り分け、廓(くるわ)の恋の模様を見せます。ここが見せ場になっています。羯鼓(かっこ)を使った所作ダテも華やかな場面です。最後は『娘道成寺』と同様に鐘に上って幕になります。
 『娘道成寺』に沿った立役の踊りが楽しい作品です。

吉野山(よしのやま)

通称 吉野山(よしのやま)
本名題(ほんなだい) 道行初音旅
(みちゆきはつねのたび)
初演年度 文化5年(1808年)
音楽 清元義太夫
題材による分類 道行物

 源義経(みなもとのよしつね)の愛妾・静御前と、義経の家来・佐藤忠信(さとうただのぶ)の主従の旅を描いています。
 何千本もの桜が満開の吉野山に、静御前が旅姿で現れます。愛する義経を訪ねて行く旅路です。静が義経の形見の「初音鼓(はつねのつづみ)」と名付けられた鼓を打つと、義経の家来で静のお供をする忠信がどこからともなく現れます。実は忠信は狐で、父母の皮が張られた初音鼓に付き従っているのでした。静と忠信

は、旅の憂さを晴らすために、辺りの景色を眺めながら踊りはじめ、男雛女雛の真似などをし、「屋島の合戦の物語」になります。ここが見どころで、忠信の兄・継信(つぎのぶ)が討死した部分では、静も加わり共に涙にくれます。この後、追手の早見藤太(はやみのとうだ)が静を捕まえに来て所作ダテになることもあります。
 桜が満開の吉野山の風景に、主従のやりとりが美しく展開する舞踊です。

「吉野山」舞台写真
『吉野山』
4代目中村雀右衛門の静御前
12代目市川團十郎の佐藤四郎兵衛忠信実は源九郎狐
2001年[平成13年] 11月 (Y_E0100226049006)
演目解説

吉原雀(よしわらすずめ)

通称 吉原雀(よしわらすずめ)
本名題(ほんなだい) 教草吉原雀
(おしえぐさよしわらすずめ)
初演年度 明和5年(1768年)
音楽 長唄
題材による分類 風俗舞踊

 やかましく鳴く雀のことを吉原雀といいます。ここから転じて吉原に来る冷やかし客のことを吉原雀ともいいました。この作品では、吉原に来る鳥売りの夫婦の風俗を取り入れています。
 鳥売りの夫婦が雀を入れた鳥籠(とりかご)を持って、吉原にやって来ます。そしてつかまえた生き物を放す「放生会(ほうじょうえ)」の由来や、廓(くるわ)の風俗、客が座敷にあがる様など吉原の情緒を踊ります。見どころは演者が曲に乗ったセリフを言いながら

踊る拍子舞の部分です。初演では背景となる物語がありましたが、現在は単なる鳥売りの夫婦という設定で上演されています。
 吉原の粋な情緒のある舞踊です。

「吉原雀」舞台写真
『吉原雀』
5代目中村富十郎の鳥売りの男実は雀の精
5代目中村児太郎(9代目中村福助)の鳥売りの女実は雀の精
1984年[昭和59年] 12月 (Y_E0100129000118)

連獅子(れんじし)

通称 連獅子(れんじし)
本名題(ほんなだい) 連獅子(れんじし)
初演年度 明治5年(1872年)
音楽 長唄
題材による分類 石橋物松羽目物

 能の『石橋(しゃっきょう)』を元にしています。勇壮な親子の獅子の舞踊です。
 狂言師(きょうげんし)の左近、右近が手獅子を持って現れます。白い毛の獅子が親、赤い毛の獅子は子という設定で、獅子の子落としの伝説通りに、子獅子を谷底に突き落とす様を見せます。獅子は這い上がってきた強い子供だけを育てるのです。子獅子は失神したのか、なかなか谷を登ってきません。親は密かに案じ、そっと谷底をのぞき込むと、子獅子が親の姿を見つけ、喜び勇んで駆け上がってきます。右近と左近が

引っ込むと、2人の僧が出てきます。2人は宗派の違う僧のため、やがて言い争いになります。「宗論(しゅうろん)」と言われる部分です。その後、白頭(しろがしら)と赤頭(あかがしら)の勇壮な2匹の獅子が登場し、長い毛を勢いよく振り回します。
 前段の親子のしみじみとした情愛と後段の獅子の勇ましい毛振りが見どころの舞踊です。

「連獅子」舞台写真
『連獅子』
5代目中村富十郎の狂言師右近・親獅子の精
2代目尾上辰之助(4代目尾上松緑)の狂言師左近・仔獅子の精
1996年[平成8年] 3月 (Y_E0100198000200)

六歌仙(ろっかせん)

通称 六歌仙(ろっかせん)
本名題(ほんなだい) 六歌仙容彩
(ろっかせんすがたのいろどり)
初演年度 天保2年(1831年)
音楽 義太夫長唄清元
題材による分類 変化物

 この作品には、六歌仙といわれた平安時代の6人の歌人[僧正遍照(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ぶんやのやすひで)、喜撰法師(きせんほうし)、大伴黒主(おおとものくろぬし)、小野小町(おののこまち)]が登場します。5人の男性歌人が小野小町を口説こうとして、次々と振られるという内容でしたが、現在はそれぞれが独立しており、中でも『文屋』と『喜撰』がよく上演される人気の演目です。

 『文屋』は、文屋康秀という平安貴族をモデルにしています。文屋が御所の小町のいる部屋へ忍び込もうとしてやって来ると、大勢の官女たちがそれをとどめます。「御簾(みす)をちょっと上げて、小町を覗き込もうとする文屋を官女がたしなめる振り」や、「官女が文屋の顔に息をかけ、それを嫌がる振り」などが、軽快に展開します。官女たちとの「恋づくし」の問答も楽しい1コマです。結局、文屋の小町への思いは官女たちにさえぎられ、あきらめて去っていきます。公家と官女とのやりとりがユーモラスな舞踊です。
 『喜撰』は、『百人一首』に歌を取り上げられた喜撰法師がモデルです。喜撰がほろよい加減で登場すると、ほどなくお梶という茶屋の女がやってきます。喜撰は僧の身でありながら口説きかかりますが、お梶に軽くあしらわれてしまいます。坊主頭に鉢巻をしようとして滑ってしまう振りなどに、喜撰という人物の親

しみやすさが描写されます。「ちょぼくれ」という軽妙な踊りや、女の振りを誇張して真似る「悪身(わるみ)」など、明るく軽いタッチで展開されていきます。喜撰を迎えに来た坊主たちが踊る「住吉踊り」も面白い場面です。喜撰の思いは遂げられず、坊主たちと共に宇治山へと帰っていきます。
 喜撰の飄々(ひょうひょう)とした風情が楽しい舞踊です。

「六歌仙」舞台写真
『六歌仙』
初代尾上辰之助(3代目尾上松緑)の文屋康秀
官女桜の局 2代目岩井貴三郎
官女松の局 加賀屋歌蔵
1985年[昭和60年] 10月 (Y_E0100132000115)
演目解説
【用語辞典】
文化デジタルライブラリー

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