歴史

新しい時代へ

能楽は伝統を継承しつつ、新たな次元へと進化していきます。

猿楽から能楽へ

『紅葉館舞台開ノ図』

明治時代、芝公園の敷地内に建てられた芝能楽堂
『紅葉館舞台開ノ図』
楊洲周延
(国立能楽堂所蔵)

明治維新(19世紀半ば)によって徳川幕府は崩壊し、能や狂言は再び大きな打撃を受けます。それまでの安定した地位や収入を失って、廃業を余儀なくされる演者も現れ、貴重な面や装束なども売却されて、海外へ流出する事態となりました。しかし、今度は新政府の有力者や華族、財閥などの支援を受け、あらためて復興が行われるとともに、新しい試みも行われます。それまで屋外で行われていた上演を屋内でも可能にするために、室内に屋根のある能舞台を収める様式が生まれ、これが現在の能楽堂というかたちに繋がっています。また、「猿楽(さるがく)」という名も、能と狂言を合わせて「能楽」に改められました。

新しい取り組み

大正から昭和のはじめにかけては、名手が輩出し学問的な研究も進みました。学生をはじめ、一般の大衆への普及も積極的に行ったため、観客の層はいっそう厚くなり、国立の音楽学校に能楽科が設置されるほどになります。ただ、抑圧的な世相のなか、笑いを主体とする狂言は、必ずしも正当な評価を受けていませんでした。そして、日本は長い戦争の時代へ突入し、能楽はまたも大きな痛手を受けるのです。しかし、戦後の混乱のなか、再び復興への気運が高まります。また、笑いが解禁され、多くの名手が活躍することで、狂言の評価も高いものとなったのです。

国立能楽堂開場とユネスコ無形文化遺産

国立能楽堂

国立能楽堂

活気を取り戻した能楽界は、現代演劇との交流や、復曲や新作の上演などへ新たに取り組み、海外での公演も続けてきました。そして、昭和58(1983)年には、能楽の保存と振興を図ることを目的として、東京・千駄ヶ谷に国立能楽堂が開場します。能楽は、平成13(2001)年にユネスコにより「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」として宣言、平成20(2008)年には「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載され、600年以上も続いてきた舞台芸能としての価値が国際的に認められるにいたるのです。