歌舞伎への誘い 〜鑑賞の手引き〜
歌舞伎の舞台
劇場の変遷 歌舞伎の舞台機構
江戸時代初期
図は、元禄時代初期[1690年頃]の芝居小屋を描いた屏風の一部です。最大の特徴は、舞台が能舞台を模した構造になっており、客席の中に張り出している「本舞台(ほんぶたい)」と下手に伸びている「橋掛り(はしがかり)」によって構成されている点です。この構造からも初期の歌舞伎が、先行芸能である能や狂言の影響を強く受けていたことが分かります。
 
能舞台を模した初期の舞台(『歌舞伎図屏風』 菱川師宣 東京国立博物館所蔵 重要文化財) Image:TNM Image Archives  Source:http:TnmArchives.jp/
 
客席は、舞台の両袖にある建物の2階部分の「桟敷席(さじきせき)」と舞台周辺の自由席「土間(どま)」がありました。「土間」には、地面に半畳(はんじょう)とよばれる敷物を敷くなどして、思い思いの場所で観劇している観客の姿が描かれています。
屋根があったのは「桟敷席」と舞台のみで、劇場全体が屋根に覆われていたわけではなかったため、雨天時は上演できませんでした。
 
 
 
江戸時代後期
図は1858年[安政5年]に出版された錦絵で、当時の江戸の芝居小屋内部の様子を描いています。江戸時代初期と比較した場合、大きく2つの点が変化しています。
 
花道が斜めに付いた江戸時代後期の芝居小屋の様子(『踊形容江戸絵栄』)
 
1つ目は、客席の中を通る「花道(はなみち)」が設置されている点です。「花道」の成立時期やその経緯についてははっきりしたことは分かっていませんが、18世紀に入った頃に常設されたと考えられています。ただし当時の江戸の芝居小屋の「花道」は、現在とは異なり、図のように「本舞台」から斜めに設置されていました。
2つ目は、客席全体が屋根で覆われている点です。幕府から許可が下り、1724年[享保9年]には瓦葺[かわらぶき]の屋根で覆われた芝居小屋が完成しました。これ以降徐々に客席には床が張られるようになり、縦横に板が渡された「枡席(ますせき)」が作られるようになりました。
 
 
 
明治時代中期
図は1893年[明治26年]当時の歌舞伎座の内部を描いたものです。歌舞伎座は、「演劇改良運動」の影響を受け、劇場の洋式化を目的として建設された劇場です。図のように内装は和風ですが、外観はレンガ作りで3階建ての劇場でした。
 
シャンデリアが下がる歌舞伎座の客席(『歌舞伎十八番之内勧進帳興行』)
 
江戸時代後期の芝居小屋と比べて大きく異なる点が2つあります。1つは舞台の間口[幅]が大変広くなった点です。幕末の中村座が約12メートルだったのに対して、歌舞伎座は約22メートルもありました。これは当時の海外の劇場を意識したためで、歌舞伎が高尚でスケールの大きな演劇であることを政府高官や海外からの来賓にアピールする意味がありました。
そしてもう1つは、照明です。客席の天井からは、大きなシャンデリアがさがっており、また両横の桟敷席の上にも電灯が設置されているのがわかります。ガス灯は、1878年[明治11年]に開場した新富座(しんとみざ)ですでに使用されていましたが、電灯が設置されたのは、歌舞伎座が最初です。
電灯の使用により、それまでの蝋燭(ろうそく)やガス灯の照明と比べて、劇場全体が格段に明るくなりました。このような照明器具の変化は、俳優の演技や大道具をはじめとする演出全般に影響を与えていきます。