歌舞伎への誘い 〜鑑賞の手引き〜
歌舞伎の歴史
戦後の歌舞伎 〜復興から隆盛へ〜
第2次世界大戦の空襲により、東京や大阪の劇場のほとんどは失われましたが、戦後の歌舞伎は焼け残った東京劇場で1945年[昭和20年]の9月から再開されました。
 
しかし再開してまもなく、連合国総司令部[GHQ]は『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』を含む主要な演目の上演を禁止しました。作品の内容が、民主主義に反し封建的であると判断されたためです。これにより歌舞伎は、存亡の危機を迎えます。しかし関係者の尽力により徐々に上演が許可されるようになり、1947年[昭和22年]には全面的に上演が可能となりました。
6代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)や初代中村吉右衛門(なかむらきちえもん)など、戦前からの名優が次々に亡くなっていきますが、1951年[昭和26年]には歌舞伎座が再建され、また同年に上演された『源氏物語(げんじものがたり)』が大きな反響をよんだこともあり、歌舞伎は復興を遂げていきます。
1962年[昭和37年]には、60年も途絶えていた市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)の名跡が復活し、11代目團十郎の襲名披露が行なわれました。この公演は大変な人気をよび、「歌舞伎ブーム」が起こるほどでした。昭和30年代以降の歌舞伎は、戦後第1世代の俳優の活躍によって、安定した舞台成果を見せていきます。
11代目市川團十郎の海老蔵時代のブロマイド 『仮名で本忠臣蔵』「七段目」の大星由良之助
 
 
 
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