
大正から昭和初期にかけての古典歌舞伎の演目は、5代目中村歌右衛門(なかむらうたえもん)・6代目尾上梅幸(おのえばいこう)・7代目松本幸四郎(まつもとこうしろう)・15代目市村羽左衛門(いちむらうざえもん)・6代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)・初代中村吉右衛門(なかむらきちえもん)などを中心に演じられていきました。
なかでも菊五郎と吉右衛門は対照的な芸風でライバル関係にあり、2人の残した型や新しい演出は、戦後の世代に大きな影響を与え現在の歌舞伎にも受け継がれています。
菊五郎は、「世話物(せわもの)」や舞踊を得意としました。「世話物」では、父5代目が得意とした『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』の髪結新三(かみゆいしんざ)、『新皿屋舖月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)』の魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)などの役を独自の工夫を加えて洗練させていきました。舞踊では、『保名(やすな)』や『藤娘』を新演出で演じ、また上演の途絶えていた『鏡獅子(かがみじし)』を復活させ、人気演目の1つに押し上げました。 |
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一方の吉右衛門は「時代物(じだいもの)」を得意とし、『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』の熊谷直実(くまがいなおざね)、『近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)』の佐々木盛綱(ささきもりつな)などの役を巧みなせりふ回しで演じました。 またこの時期の上方では、初代中村鴈治郎(なかむらがんじろう)が「座頭(ざがしら)」[一座のトップ]として活躍し、近代的な「和事(わごと)」の芸を完成させました。 |
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