歌舞伎への誘い 〜鑑賞の手引き〜
歌舞伎の歴史
新歌舞伎の流行
明治から大正にかけて、「狂言作者(きょうげんさくしゃ)」とよばれる歌舞伎専門作者ではなく、欧米の演劇や小説の影響を受けた外部の作者による作品が、近代的な演技・演出法に基づいて上演されるようになりました。理由として、「演劇改良運動(えんげきかいりょううんどう)」の影響で外部の人々が歌舞伎に関わりやすくなったことや、河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の死後、有力な狂言作者が育たなかったことなどが挙げられます。これらの外部の作者による作品は、それ以前のものと区別して「新歌舞伎」とよばれます。代表的な作家としては、坪内逍遥(つぼうちしょうよう)・岡本綺堂(おかもときどう)・真山青果(まやませいか)・長谷川伸(はせがわしん)などが挙げられます。
 
大正から昭和初期にかけて活躍した2代目市川左團次(いちかわさだんじ)は、ヨーロッパ留学で得た技術や知識に基づいて新歌舞伎を盛んに上演し、従来の歌舞伎の観客層とは異なる学生などから支持を受けました。現在でもたびたび上演される岡本綺堂作『修禅寺物語(しゅぜんじものがたり)』・『番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)』、真山青果作『元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)』などは、いずれも左團次が初演した作品です。またこの他にも左團次には、上演の途絶えていた歌舞伎十八番の『鳴神(なるかみ)』や4代目鶴屋南北(つるやなんぼく)作品などの復活上演という大きな功績があります。
岡本綺堂作『修禅寺物語』 5代目中村福助の楓 2代目市川左團次の夜叉王 1919年[大正8年]4月 歌舞伎座
 
 
 
 
 
 
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