文楽の舞台をささえる二本の柱 ―― 浄瑠璃(じょうるり)と人形の歴史のうち、まず浄瑠璃“義太夫節(ぎだゆうぶし)”の歴史から考えてゆくことにしましょう。 義太夫節は、その名のとおり竹本義太夫がはじめた一種の声楽(せいがく)です。わが国にふるくからある声楽は、“謡(うた)い物(もの)”と“語(かた)り物(もの)”の二つに分けることができます。そのちがいを一口にいえば、謡い物はメロディ、リズム、 テンポに重点がおかれ、語り物は歌詞の内容を伝えることが最優先するのです。 語り物は、物語に節(ふし)をつけて語って聞かせるもので、芸能としての祖先は琵琶(びわ)の伴奏にあわせて「平家物語」を語る平曲(へいきょく)だとされてます。当時非常に流行した平曲は、しだいに「平家物語」以外のものも語るようになり、そのなかで特に人気を集めたのが“浄瑠璃”でした。 浄瑠璃の発生について正確な年代はわかりませんが、だいたい室町時代中期(15世紀末)と考えられます。浄瑠璃の名称は浄瑠璃姫と牛若丸との恋物語『浄瑠璃姫十二段草子(そうし)』から出たもので、その曲節がもてはやされたため、浄瑠璃姫の話以外の内容を語るようになっても、その節回しを“浄瑠璃節”と呼ぶようになりました。 16世紀中ごろに、琉球(りゅうきゅう)から三線(さんしん)が伝来し、それを改良して三味線(しゃみせん)ができると、これを用いるようになり、浄瑠璃節は音楽的にも大きく飛躍しました。その浄瑠璃を人形劇の地(じ)の音楽に使ったのが“操(あやつ)り浄瑠璃”で、慶長年間初め(16世紀末)のこととされています。

 


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