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勧進帳

【かんじんちょう】

【KANJINCHO】

 
  • 『勧進帳』9代目松本幸四郎の弁慶 7代目市川染五郎の富樫 2004年(平成16年)12月国立劇場(Y_E0100242012022)
 歌舞伎十八番【かぶきじゅうはちばん】の一つ。
兄源頼朝【みなもとのよりとも】との仲が悪くなった源義経【みなもとのよしつね】は、武蔵坊弁慶【むさしぼうべんけい】らわずかな家来とともに、京都から平泉【ひらいずみ】(岩手県)の藤原氏【ふじわらし】のもとへと向かいます。頼朝は平泉までの道すじに多くの関所を作らせ、義経をとらえようとします。『勧進帳』は、義経たちが加賀国【かがのくに】の安宅【あたか】の関所(石川県)を通過する時の様子を歌舞伎にしたものです。義経一行は山伏【やまぶし】に変装して関所を通過しようとします。ところが関所を守る富樫左衛門【とがしさえもん】は、義経たちが山伏に変装しているという情報を知っていたので、一行を怪【あや】しんで通しません。そこで弁慶は、何も書いていない巻物を勧進帳と見せかけて読み上げます。勧進帳とは、お寺に寄付を募【つの】るお願いが書いてある巻物です。いったんは本物の山伏一行だと信じて関を通した富樫ですが、中に義経に似た者がいる、と家来が訴【うった】えたため、呼び止めます。変装がばれないようにするために、弁慶は持っていたつえで義経を激しく叩【たた】きます。それを見た富樫は、その弁慶の痛切な思いに共感して関所を通すのでした。
 初代市川團十郎【いちかわだんじゅうろう】が元禄【げんろく】時代にこの場面を演じました。しかしその時の台本が残っていなかったこともあり、7代目團十郎が新しく作り直しました。1840年(天保【てんぽう】11年)のことです。7代目團十郎は、衣裳【いしょう】や舞台【ぶたい】装置などを新しくするために能【のう】を参考にしました。背景は能の舞台をまねて松羽目【まつばめ】にし、衣裳も能に近づけました。その後9代目團十郎が得意とし、現在に受け継【つ】がれています。
 弁慶の演技には、最後の飛び六方【とびろっぽう】に代表される荒事【あらごと】の豪快【ごうかい】さだけでなく、はっきりしたセリフ回しや舞踊【ぶよう】の技術が必要で、座頭【ざがしら】の役として特に大事にされています。 また伴奏【ばんそう】の長唄【ながうた】は、代表的な三味線【しゃみせん】音楽の一つとして知られています。

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