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【田楽(でんがく)】
田楽という名称は、田植えなどに際して行われた芸能であったことに由来しますが、その後、稲作に関わりなく広がり、多様な芸を生みました。玉や刀をお手玉のように扱う品玉(しなだま)のようなアクロバティックな演技が知られていますが、中世の田楽の芸をもっともよく表しているのは、笛・鼓などの演奏にあわせ、腰太鼓(こしだいこ)や十枚ほどの板を連ねた打楽器の一種・編木(びんざさら)などを鳴らす一座の姿でしょう。この田楽も演劇形態の「能」という芸を演じており、観阿弥・世阿弥などの登場までは、田楽の能が猿楽の能以上に人気があったのです。京都には本座(ほんざ)と新座(しんざ)という2つの座があり、観阿弥が「我が風体の師」と呼んだ本座の一忠(いっちゅう)、世阿弥が「音曲の先祖」と称した新座の喜阿弥(きあみ)、将軍義持の後援を受けた新座の増阿弥(ぞうあみ)などの役者を生みました。
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