能楽

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世阿弥のいた環境

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佐渡

古くから「金(こがね)の島」と称されていた佐渡島(さどがしま)は、順徳(じゅんとく)上皇や日蓮(にちれん)などの流刑地として知られています。この北の離島に、晩年の世阿弥も流されてしまいました。時の将軍義教(よしのり)の怒りにふれたのは確かですが、70歳をこえる老齢の身に何がおこったのかは、よくわかっていません。佐渡での世阿弥の境遇を知る記録も少なく、娘婿の金春禅竹に宛てた書状のほか、配流地での境涯を綴った小謡(こうたい)集『金島書(きんとうしょ)』が残るのみです。この中で世阿弥は、悲運の身でありながら心静かに佐渡の情景を描写しており、晩年の彼の面影がいっそう不可思議に感じられます。この後の世阿弥の消息も不明ですが、都に帰ることができたとみられています。現在の佐渡島には世阿弥の足どりを知る史跡こそありませんが、世阿弥が着けたとされる「雨乞いの面」などの伝説が受け継がれており、明治時代以降に建てられた30以上の能舞台が残る「能の里」として知られています。

神事面べしみ「雨乞いの面」(新潟県・正法寺所蔵)

神事面べしみ「雨乞いの面」(新潟県・正法寺所蔵)

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