能楽

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世阿弥のいた環境

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ライバル

世阿弥は、ライバルもいて浮き沈みもある生活の中で、能の作品を作り、演技を磨いていました。特に将軍から自分より高く評価されている役者の存在は、強く意識していたことでしょう。 観阿弥の没後、足利義満から最も高い評価を得たのが、近江猿楽(おうみさるがく)の比叡座の犬王(いぬおう、?~1413)です。犬王は義満の法名「道義」から1字を与えられ「道阿弥(どうあみ)」と名乗ったほどで、1408年(応永15年)に後小松(ごこまつ)天皇が義満の邸宅「北山第(きたやまてい)」に行幸(ぎょうこう)するという歴史的なイベントの際も、犬王が猿楽を演じました。犬王は優美な芸風で知られ、世阿弥が犬王の得意芸であった天女舞を大和猿楽に取り込んだことは、その後の歌舞を中心とする能の展開に大きな意義を持っています。

天女舞の図 『二曲三体人形図』(法政大学能楽研究所所蔵)より

天女舞の図
『二曲三体人形図』(法政大学能楽研究所所蔵)より


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