能楽

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世阿弥のいた環境

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公家・武将

世阿弥と交流があった公家や武将としては、二条良基(にじょうよしもと、1320~88)・佐々木導誉(ささきどうよ、1296~1373)・細川満元(ほそかわみつもと、1378~1426)などが挙げられます。

二条良基は、北朝で長く摂政・関白をつとめ、広く学芸に通じた公卿で、連歌(れんが)集『菟玖波集(つくばしゅう)』を編んだほか、多くの連歌論書を残しました。世阿弥の幼名「藤若」は、この良基が付けた名前で、良基は世阿弥の容姿や蹴鞠(けまり)・連歌の才能をほめています。連歌とは、五・七・五と七・七の文字数の句を別の人が交互に詠んで付けていく文芸で、実際に良基の句に対して世阿弥がすぐれた句を付けたという記録も残っています。世阿弥の能楽論に良基などの連歌論を応用した部分があることや、能の修辞(しゅうじ)法に連歌の影響がみられることを考えても、幼少期の世阿弥が良基の連歌の会に加わっていた意義はきわめて大きいでしょう。

二条良基像(二條基敬氏蔵)

二条良基像(二條基敬氏蔵)

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