能楽

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能舞台【能舞台の変遷】

能舞台の変遷

日本の様々な芸能は、寺社の境内などで人々に四方を囲まれた中で演じられることが普通でした。能も、その場の条件に合わせて適宜に演じられていました。お金を集めておこなう勧進興行(かんじんこうぎょう)の場合は仮設舞台を造りましたが、世阿弥(ぜあみ)の伝書には釘が出ていないか上演前にチェックしろと書かれており、粗雑な造りだったことがわかります。昔の能舞台には、奥のアト座も、右側の地謡座もできておらず、橋掛リは本舞台に直結していました。しかも、昔の橋掛リは舞台の真後ろに付いていたようです。1464年(寛正5年)の勧進能の舞台図では、桟敷(さじき)[観客席]でぐるりと囲まれた真ん中に舞台があり、その舞台の真後ろから楽屋へ向かって橋掛リが伸びています。能舞台の平面図や演能の様子を描いた資料などから、アト座やその奥にある鏡板は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の活躍した16世紀末頃に、本舞台に付くようになったらしいことがわかっています。地謡座が加わり、さらにそこに切戸口も加わって、現在の能舞台とほぼ同じ形になったのは、元禄時代頃のようです。今日の能楽堂のように、舞台と客席とが1つの建物の中に収まった劇場形式になったのは、1881年(明治14年)に東京の芝公園内に建てられた能楽会能舞台が最初です。

春日若宮おん祭 後宴能の能舞台 (奈良県・春日大社)1136年~

▲ 春日若宮おん祭 後宴能の能舞台(奈良県・春日大社)12世紀~

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西本願寺北舞台 (京都府・浄土真宗本願寺)16世紀後半

西本願寺北舞台 (京都府・浄土真宗本願寺)16世紀後半

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錦絵「町人御能拝見之図」 江戸時代

錦絵『町人御能拝見之図』
江戸時代

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国立能楽堂(東京都)

国立能楽堂(東京都)

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