文楽編 義経千本桜 Yoshitsune Senbon Zakura

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背景を知る 史実から創作へ

判官贔屓と義経信仰

弱い立場の者へ理屈抜きで肩入れしてしまう「判官(ほうがん、はんがんとも)贔屓(びいき)」の心情は、現代にも受け継がれているようです。日本の歴史における、源義経の人気の高さと、その悲劇的な生涯へ寄せる同情の深さから、この名が付きました。

「ほうがん」か「はんがん」か

戦功を挙げたにもかかわらず、兄に追われる源義経(みなもとのよしつね)。その運命に同情する人が多いことから、弱い立場の者へ無条件に寄せる愛惜の心情へ、気に入った人をとくに引き立てる「贔屓(ひいき)」という言葉をあてて、「判官贔屓」と呼んだのです。

一の谷の合戦ののち、義経は、朝廷から検非違使(けびいし)・左衛門少尉(さえもんのしょうじょう)へ任じられます。その任官が、鎌倉の許可を得ていなかったために、のちに義経は兄・頼朝(よりとも)から糾弾されることになりますが、この官職の通称が判官でした。

一般には「はんがん」と読みますが、義経の場合に限って「ほうがん」と読むことが多いようです。父・義朝(よしとも)の9男だったことから、九郎とも呼ばれていたため、伝承や芸能の分野においては、たんに「ほうがん」、あるいは「九郎判官(くろうほうがん)」といえば、義経のことを指すのが約束事でした。

ちなみに、同じ作者による『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』にも、悲劇的な判官が登場します。実際に起きた赤穂事件の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)をモデルに、太平記の世界へ置き換えた塩谷判官で、こちらは「えんやはんがん」と呼びます。

伝説を生む悲劇の英雄

日本の歴史のなかでも、義経に対する人気や関心は際立っています。その高さは、『平家物語(へいけものがたり)』や『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』の流れを汲む軍記物語とはいえ、いろいろな伝承や創作を加えたと思われる一代記的な『義経記(ぎけいき)』が、実際の史実から200年も経ってから創作されたことからもうかがえます。

江戸時代の国学者のあいだでも、義経にまつわるさまざま逸話が、繰り返し取りあげられています。まして、一般の民衆のあいだでは、悲劇の英雄としての人気は群を抜いていて、天狗伝説や生存伝説なども広く受け容れられていたようです。

芸能では、鎌倉・室町時代の平曲(へいきょく)や能、幸若舞(こうわかまい)などから、江戸時代の人形浄瑠璃や歌舞伎、講釈[講談]や落語などにいたるまで、あらゆる分野で「義経物」「判官物」と呼ばれるジャンルが形成されるほど、たくさんの創作が行われました。

その人気は、まったく源氏や平氏と関わりのない演目であっても、義経が舞台に登場しないと観客が納得しなかったといわれるほどでした。たとえば、芝居が中だるみになったところへ、「現れ出たる義経公」という語りとともに、なぜか義経が登場するものの、「さしたる用もなかりせば」と、すぐまた奥へ引っ込むわけですが、それにさえ観客は喝采を送ったようです。

『義経千本桜』の作者は、当時の民衆にとって、たんなる歴史上の英雄や芝居の役柄にとどまらない存在となっていた義経像を踏まえながら、創作を行っていったものと思われます。

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