雅楽 GAGAKU

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雅楽への招待 実際の鑑賞にあたって

雅楽ものしり辞典

中国と日本の「雅楽」

日本雅楽の源流の1つは中国大陸から伝わった音楽や舞です。しかし、中国本来の「雅楽」とは、日本に伝来したものとは少し違っていました。

中国の「雅楽」は、天子の祖先や神を祀(まつ)るためのもので、周(紀元前1046~256年)の時代に生まれました。この雅楽は、八音(はちいん)といって、金・石・糸・竹・匏(ほう:ひょうたんのこと)・土・革・木の8つの素材からそれぞれ作られる楽器で演奏され、また舞は文舞(ぶんのまい)・武舞(ぶのまい)に分かれていました。細かい部分は歴代の王朝ごとに少しずつ違っていましたが、正式な儀礼用の音楽であることには変わりありませんでした。

当時の中国にはこの「雅楽」のほか、西域から伝わった胡楽(こがく)と中国の伝統的な音楽が融合した、「燕楽(えんがく)」と呼ばれる楽舞がありました。燕楽は宴会などのくだけた席で演奏されるもので、実は日本に雅楽[唐楽]として伝わったのは、この燕楽のほうだったのです。

楽家(がっけ)が果たした役割

平安時代という古い時代に体系化された雅楽が、今日まで伝承されてきたのは、各時代の権力者や社寺が雅楽を保護してきたことに加えて、雅楽を代々受け継ぐ「楽家(がっけ)」という存在が欠かせません。

その家の代々の子孫が技芸を伝承する楽家は、少数の家が伝承のすべてを独占するのではなく、楽器ごとにそれぞれ専門が分かれています。さらに、大まかな伝承の流れが京都、奈良、天王寺の3つに分かれており、各楽家には本家から分かれた分家も複数ありました。多くの楽家が協力しあうことで、雅楽は戦乱などのさまざまな危機を乗り越えて伝承されてきたのです。

20世紀以降、楽家は減り続けています。かつては宮内庁楽部で多くを占めていた楽家出身者が、今では定員の半数にも満たなくなっているのです。

春の情景が好まれた唐楽(とうがく)

唐楽(とうがく)の曲名をみると、「春」の字がついているものが何曲もあることに気付くかもしれません。たとえば、鶯(うぐいす)の鳴き声のような旋律が用いられる『春鶯囀(しゅんのうでん)』のほか、春の調子である双調(そうじょう)らしい明るい曲調の『春庭花(しゅんていか)』や春宮の元服に奏するのが慣例だった『喜春楽(きしゅんらく)』などが挙げられます。

唐の時代に宮廷で行われた楽舞には、「春」を含む曲名はさらに多かったようです。『春楊柳』、『玉京春』、『布陽春』、『春光好』、『迎春花』、『鳳桜春』、『万園春』など、春を題材にした曲目が多数、記録に残されています。

寒い冬が終わり、迎えた春の明るい情景は、華やかな唐の宮廷にもっともふさわしいものとして喜ばれたのでしょう。

高麗楽(こまがく)の曲名の謎にせまる

唐楽(とうがく)の曲名が、『春鶯囀(しゅんのうでん)』や『傾盃楽(けいばいらく)』のように、漢字から曲の内容がなんとなく想像できるものが多いのと対照的に、高麗楽(こまがく)の曲名は、『納曽利(なそり)』など、漢字からは一見意味がよくわからないものが多くみられます。高麗楽の曲名は、古代朝鮮語の発音を漢字にあてたと思われるものが多く、漢字の表記が一定していないためです。

たとえば『納曽利(なそり)』を朝鮮語で解釈すると、「ナ」は「儺」、「ソリ」は「歌」の意味を持ちます。つまりこの曲は、厄病神(やくびょうがみ)を追い払う儀礼「追儺(ついな)」で用いられた曲と解釈されています。このように、曲名の本来の意味を探る試みも、一部の研究者によって行われています。

雅楽を愛した江戸の武士たち

平安時代、王朝貴族たちの手によって確立された雅楽は、中世以降は武家たちによっても庇護(ひご)され続けました。

なかでも徳川将軍家による庇護は手厚く、たとえば17世紀、徳川家康の50回忌法要で、京都・奈良・天王寺の三方の楽人(がくにん)が江戸で雅楽を奏しましたが、この楽人に対して幕府は特別に領地を与えたほどでした。

江戸時代には、徳川家のほかにも雅楽を愛好した大名が各地にいました。彦根藩[現在の滋賀県]や紀州藩[現在の和歌山県]の藩主は、古い楽器を収集したことで知られます。また、雅楽曲をともなう儀式を行ったり、藩校で雅楽を教えたりした藩が、全国に多数あったことが記録に残っています。

このように江戸時代は、平安時代に次いで、第二の雅楽の黄金時代とも呼べるような時代だったのです。

アジアの音楽文化を受け継ぐ

「雅楽」という言葉は中国の古代に起源をもっています。また、その内容は、西アジアから東アジアに至る広い地域の楽舞の影響を受けています。つまり、日本に伝わっている雅楽は、アジアの音楽文化に深く根ざしているものなのです。広くアジア文化史を研究する視点で、雅楽を研究している学者もいます。

日本の雅楽が唐代の文化を継承し、さらにアジア各地の文化と繋がっていることを考えると、雅楽の面白い見方ができるでしょう。中国の敦煌で発見された琵琶譜が日本の琵琶譜と似ているなどの例があることから、島国の日本には、大陸で時代とともに変わっていった雅楽の古い形が残されているともいわれます。

また、古くから伝来した朝鮮半島や中国大陸の楽舞の影響を受けながらも、日本古来の歌舞はそれらと融合して原形を失ってしまうことはなく、それぞれが脈々と伝承されてきたことも見落とせない点といえるでしょう。

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