雅楽 GAGAKU

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歴史

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伝承と平氏/源氏による地方移入

源氏ゆかりの鶴岡八幡宮に伝わる舞楽面『陵王』
鎌倉時代

宮廷社会で楽舞がさかんに奏されるようになると、宮廷内に楽人が控える臨時の場所として、楽所(がくしょ:「がくそ」とも)が設けられました。やがて楽所は常設のものとなり、寺社の祭祀などで楽舞が欠かせない南都(なんと・奈良)や天王寺[大阪]でも、楽所が整えられるようになります。

律令制度が緩み、雅楽寮(ががくりょう:「うたまいのつかさ」とも)の役割は次第に減少し、楽所が楽舞の中心的な機関となっていきました。また、楽所の楽人たちは、しだいに特定の家によって担われていき、専門の楽家(がっけ)も生まれました。

その後、雅楽の基盤となっていた宮廷社会そのものが衰えていき、かわって武家が台頭してきます。武家たちもまた、公家にならって雅楽を学び、庇護(ひご)しました。平氏によって安芸(あき:広島県)に造られた嚴島神社や、源氏によって鎌倉に造られた鶴岡八幡宮は、その代表的な例です。

地方への伝播と定着

宮廷芸能として大成した舞楽は、しだいに全国各地へ波及していきます。平氏や源氏などの武家による移植も、その大規模な例といえますが、それ以外にも、神社の祭礼や寺の法会に付随して、舞楽が広く伝えられていったのです。

北は青森県から南は九州地方にいたるまで、今も各地の寺社に伝わる楽器や舞楽面、また独自の形で受け継がれている舞楽などから、列島各地への雅楽のひろがりを知ることができます。

応仁の乱による破壊

朝廷が勢いを失い、鎌倉幕府、室町幕府へと武家政権が続くなかでも、雅楽は武家たちの庇護を受けながら継承されていました。しかし、武家同士の争いは次第に激しくなり、社会は大きく乱れていきます。

とくに、京都を中心として起きた「応仁の乱」[「応仁・文明の乱」ともいう]は全国へ波及し、その後およそ百年にわたって戦国の時代が続きました。この戦乱の中で、京都の町や宮廷社会は荒廃し、雅楽は大きな危機を迎えることになります。

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