雅楽 GAGAKU

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歴史

楽人列伝

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  • 江戸時代
  • 明治時代以降

狛近真(こまのちかざね:1177~1242年)

  • 狛光近(こまのみつちか)の娘の夫の興福寺五師聖順(せいじゅん)の子で、狛光真(こまのみつざね)の養子
  • 従五位上

狛氏は南都(なんと)方の楽家(がっけ)でした。

寛弘7(1010)年に左右一者(いちのもの)が置かれた際に左一者となった光高(みつたか)を祖とします。後に上、西、辻、芝、奥、東、窪、久保の八家に分かれ、左舞(さまい)と管楽器の伝承を代々行いました。

近真は舞、笛の両道に優れ、「舞曲の父」「伶楽[音楽]の母」(『舞楽符合鈔』)とも称されました。天福元(1233)年には、総合的な楽書の先駆をなす十巻からなる『教訓鈔』を撰しました。

豊原統秋(とよはらのむねあき:1450~1524年)

  • 豊原治秋(とよはらのはるあき)の子
  • 正四位上

豊原家は京都方の笙(しょう)を代々伝える楽家(がっけ)でした。雅楽寮の笙師だった有秋(ありあき)を祖とします。

統秋の先祖には、新羅三郎源義光(しんらさぶろうみなもとのよしみつ)に「太食調入調(たいしきちょうにゅうじょう)」を伝えた豊原時元や、後光厳天皇(ごこうごんてんのう:在位1352~1371年)、足利尊氏の笙の師の豊原龍秋らがいます。

統秋は後柏原天皇(ごかしわばらてんのう:在位1500~1526年)、第十代将軍足利義材(あしかがよしき)の笙の師をつとめ、永正6(1509)年には義材[義尹:よしただ]のために『舞曲口伝(くでん)』を編纂しました。永正9(1512)年には、衰退した楽道を後世に伝えるべく、全13巻もの巻数からなる楽書の『體源鈔(たいげんしょう)』を著しました。『體源鈔』は統秋が18歳のときに勃発した応仁の乱の回想からはじまります。正統の血筋を受け継ぐ嫡家(ちゃっけ)十八代という意識のもとに、『體源鈔』の書名には、「豊原」の家名が刻まれています。

三条西実隆(さんじょうにしさねたか)に和歌を学び、『體源鈔』にも「笛竹の ただ一ふしの こゑの中に よよの調は 有としらなむ」などの自作の和歌が多数収められています。書、茶もよくし、京都の統秋の邸には山里庵(さんりあん)という茶室がもうけられていました。日蓮宗の熱心な信者としても知られています。

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