雅楽 GAGAKU

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種目となりたち

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なりたち 時代性と地域性と伝承

日本各地で育まれ、独自の由来を持つ多彩な国風歌舞(くにぶりのうたまい)は、宮廷に採り入れられた後、朝廷に設けられた機関で管理伝承されました。

生み出された時代や地域

大和政権の統一にともない、朝廷に服従した地方豪族がその証として諸国の歌舞を献じたことで、宮廷には異なる時代に生まれたさまざまな地域の歌舞で充実していきました。

古代国家の建国にかかわる伝承をもつ国栖奏(くずのそう)は吉野[奈良県]に住んでいた土着民が古墳時代の天皇に奏した歌笛に由来するといわれています。

古い由来を持つ久米舞(くめまい)は、神武天皇(じんむてんのう)が、大和の平定を祝った宴で勝利をことほぐ歌を詠み、それに兵士の久米部(くめべ)が唱和して歌った歌といわれています。

奈良時代までに朝廷の儀式などに採り入れられたものには、朝廷に貢物を差し出す朝貢(ちょうこう)のときに宮廷で奏された由来を持つ隼人舞(はやとまい)や、神事とも深い関わりを持つ和舞(やまとまい)などがあります。隼人舞は九州南部の薩摩・大隅地方[鹿児島県・奄美群島]の居住民の歌舞で、和舞は大和地方[奈良県]に伝わる風俗歌舞(ふぞくのうたまい)とされています。

このほかに、平安時代の王朝文化のなかで発展していく東遊(あずまあそび)や御神楽(みかぐら)など、日本各地の多彩な歌舞が、異なる時代に宮廷に採り入れられました。

伝承を担った機関

7世紀末には、すでに歌や舞、音楽をつかさどる楽官(がっかん)の制度があったようです。

大宝元(701)年に大宝令[日本初の本格的な法律]が制定すると、雅楽寮(ががくりょう:「うたまいのつかさ」とも)が設けられ、大々的に歌舞音楽の管理と人材の育成が行われることになりました。雅楽寮で扱われたものは、日本在来の歌舞と渡来系の楽舞で、これらが日本の雅楽の始まりといえるでしょう。

雅楽寮は、しだいに渡来系の楽舞に比重を移していくようになり、日本古来の歌舞は、あらたに設置された「大歌所(おおうたどころ)」で管理するようになりました。

(注)和舞の由来には、山人の舞や桓武天皇の外戚の和氏の舞とする説などもあります。

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