雅楽 GAGAKU

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なりたち 隆盛と伝承の曲折

平安時代に最盛期を迎えた宮廷歌謡は、その後衰退の道を歩みました。なかには近世以降復興されたものもありますが、今日伝承が途絶えてしまったものも多くあります。

催馬楽(さいばら)の隆盛と伝承

『催馬楽譜』

奈良時代の末期から平安初期にかけて、すでに普及していたと考えられる催馬楽(さいばら)。10世紀には、その曲目の調子を音階や旋法の違いで「呂(りょ)」と「律(りつ)」の2つにわける様式が整えられました。さらに平安中期から後期にかけて、技量を競い合った源家(げんけ)と藤家(とうけ)という2つの流派によって催馬楽は発展し、最盛期には60曲をこえる曲目がありました。

平安後期以降は風俗歌(ふぞくうた)や今様(いまよう)などの流行におされてしだいに衰えていき、室町時代に一時途絶えます。

江戸時代に入り、復興がたびたび試みられて、江戸末期にはほぼ現在につながる原型が整えられました。

今日の公式な伝承曲として伝えられている催馬楽は6曲のみです。

朗詠の隆盛と伝承

朗詠も催馬楽と同じように源家・藤家によって発展し、平安時代中期にはさかんに歌われました。11世紀になると藤家の藤原公任(ふじわらのきんとう:966~1041年)が、朗詠するのにふさわしい秀でた句を集めて『和漢朗詠集』を編纂するに至ります。

中世、宮廷社会が衰微するなか、応仁・文明の乱(1467~77年)と以降の混乱によって朗詠も大きな打撃を受け、伝承曲は一時4曲まで減りましたが、復興によって現在は10数曲が伝えられています。

伝承が絶えた風俗歌(ふぞくうた)や今様(いまよう)

歌謡には、盛行と衰退の変動のなかで伝承が途絶えてしまったものもあります。

催馬楽とほぼ同時代の平安時代中期にもてはやされた宮廷歌謡に風俗歌がありました。この歌詞も民謡に由来しますが、催馬楽とは少し異なり、陸奥(むつ)、常陸(ひたち)、相模(さがみ)、信濃(しなの)、甲斐(かい)など東国の歌が比較的多く、20曲以上があったようです。民謡風の趣をもつ曲で、風俗特有の旋律で歌われました。

また、平安末期に衰退した催馬楽と入れ替わるように流行したのが、今様だといわれています。

現在、風俗歌と今様はどちらも伝承が途絶え、雅楽の演目に伝わっているものはありません。

[催馬楽の現行曲]

『安名尊(あなとう)』『山城(やましろ)』『席田(むしろだ)』『蓑山(みのやま)』
『伊勢海(いせのうみ)』『更衣(ころもがえ)』

[朗詠の現行曲]

『嘉辰(かしん)』『春過(はるすぎ)』『徳是(とくはこれ)』『紅葉(こうよう)』『東岸(とうがん)』『池冷(いけすずし)』『暁梁王(あかつきりょうおう)』『二星(じせい)』『新豊(しんぽう)』『松根(しょうこん)』『九夏(きゅうか)』『一声(いっせい)』『泰山(たいざん)』『花上苑(はなじょうえん)』

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