雅楽 GAGAKU

  • サイトマップ
  • クレジット
  • このサイトについて
  • English
  • 早わかり
  • 歴史
  • 種目となりたち
  • ひろがり
  • 作品と鑑賞
  • 雅楽への招待
前のページにもどる

種目となりたち

  • 舞楽
  • 管弦
  • 国風歌舞
  • 歌物
  • 楽器
  • 装束と面
  • 舞台と演者

なりたち 御遊と詩歌管絃

管絃という新しい音楽スタイルが宮廷社会から生まれたことは、楽器の演奏がそれだけ身近なものだったことを示しています。おりに触れ集っては自ら楽器を手に楽しむほど、音楽は天皇や貴族たちの生活に不可欠なものだったのです。

貴族がたしなんだ詩歌管絃

『紫式部日記絵詞』

渡来した中国文化などの影響が強かった王朝の文化は、時代が進むにつれ、日本の風土や感覚などを反映した独自のものへ、次第に変容していきます。この、いわゆる国風化の時代における、貴族たちに必須とされた教養を表す言葉が「詩歌管絃(しいかかんげん)」です。

漢詩や和歌を詠んだり、楽器を奏でたりするなどの文学的・音楽的な素養が、宮廷社会を生きるうえで欠くことのできないたしなみとされたのです。そして、そのような雅なものを好む美的精神によってさらに磨かれ、かたちを整えられた器楽合奏の様式が、管絃でした。

当時の貴族たちが、自ら楽器を演奏して音の響きを楽しんだ姿は、『源氏物語』や『枕草子』などの文学や絵巻などにさかんに描かれており、当時の様子をしのぶことができます。

管絃の遊び、御遊

平安時代の宮廷では、天皇や貴族たちによる雅な遊びや宴が、幾度となく催されていました。楽器の演奏を楽しむ管絃の遊びも盛んにひらかれ、なかでも天皇や上皇、公卿などが宮中や院の御所で主催したものは「御遊(ぎょゆう)」と呼ばれました。

御遊は、朝廷の行事などの公式の場だけでなく、誕生・成年・長寿の祝いなど一生における節目や、四季折々の自然美の観賞など、私的な場でも催され、生活に欠かせないものとして宮廷社会を彩りました。

王朝趣味で整えられた御遊の様式

御遊に参加するのは、おもに昇殿(しょうでん:天皇の住まいに昇ること)を許された上級の貴族で、天皇や上皇が自ら楽器を演奏することもありました。そして、御遊の形式は、彼らの趣味に合わせて次第に整えられていったのです。

たとえば儀礼性の強い場での演奏は、「呂(りょ)」と「律(りつ)」の2つの調子に大きく分けられた曲のなかから、歌物の催馬楽をまじえつつ、管絃の演目が数曲ずつ奏されたようです。最も好まれた組み合わせは、「呂」では西洋音楽のGの近似音高を主音とする双調(そうじょう)と、「律」では西洋音楽のEの近似音高を主音とする平調(ひょうじょう)の楽曲でした。また、彼らの好みに合わせて楽器が編成され、晴れの場では伝来の名器が用いられることもありました。

主音(しゅおん)

それぞれの調子で基準となる音。主音を中心に旋律がめぐり、曲の最後はこの主音で終わります。

閉じる
御遊(ぎょゆう)

平安時代、宮廷貴族たちが集い楽しんだ管絃の遊びのなかで、天皇や上皇などが主催したものを指します。御遊は、朝廷の行事や貴族の通過儀礼をはじめ、四季の催しのなかで奏され、貴族の生活に欠かせないものの1つでした。

閉じる
呂(りょ)

調子を旋法や節回しの違いによって2つに分類したうちの1つ。呂(りょ)は壹越調(いちこつちょう)・双調(そうじょう)・太食調(たいしきちょう)の3つからなります。陰陽思想と結びつき陽と解釈されています。

閉じる
律(りつ)

調子を旋法や節回しの違いによって2つに分類したうちの1つ。平調(ひょうじょう)・黄鐘調(おうしきちょう)・盤渉調(ばんしきちょう)の3つからなります。陰陽思想と結びつき陰と解釈されています。

閉じる

ページの先頭に戻る