雅楽 GAGAKU

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種目となりたち

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左右対称に構成される高舞台

宮内庁の高舞台

宮廷社会のなかで大成した雅楽は、もともと御所の庭などで奏されていました。現在は、高舞台(たかぶたい)と呼ばれる、正方形の舞台で奏されることが通例です。高さ三尺[約90cm]の舞台の周囲を朱色の高欄(こうらん:装飾的な手すり)が囲い、前後に階段があります。中央に三間(約5.4m)四方の緑色の布が敷かれ、敷舞台と呼ばれるこのスペースが、演奏のためのエリアとなります。

舞台の奥の左右には、極彩色の装飾が施された巨大な大太鼓や大鉦鼓が、それぞれに置かれています。舞楽の場合、器楽を奏する管方(かんかた)は、舞台の正面奥にある楽屋(がくや)と呼ばれる場所に座ります。左舞であれば舞台奥の左手から、右舞であれば舞台奥の右手から登場した舞人は、後ろの階段を使って舞台に入場します。
近代的なホールのステージで演奏される場合もありますが、大きな神社や寺院などでは、屋外で奏される機会が今も多くあります。

楽人たちの育成の伝統

海を渡って伝わってきた楽舞は、日本在来の歌舞と並んで、奈良時代より少し前から、国の機関・雅楽寮(ががくりょう:「うたまいのつかさ」とも)で扱われることになります。雅楽に従事する楽人(がくにん)の育成も始められました。

平安時代に入り、しだいに楽所(がくしょ:「がくそ」とも)が雅楽を担う中心的な機関になっていきます。楽人たちは、代々世襲で雅楽を伝え、楽家(がっけ)という家ごとに専門とする楽器も決まっていきました。楽所は京都・南都[奈良]・天王寺[大阪]にそれぞれ置かれ、のちに三都(さんと)楽所と呼ばれるようになります

明治時代になり、近畿の楽家の多くは宮内庁へ集められました。そして、楽家の出身でなくても、雅楽の教習を受けられるようになり、かつては大半が楽家の子孫だった宮内庁楽部の部員たちも、現在では楽家以外の出身者の方が多くなっています。

相伝だった楽器や楽曲などが標準化される一方で、楽器を用いず、擬音化した旋律を歌いながら手で拍をとる、唱歌(しょうが)という練習法が今も用いられています。

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