雅楽 GAGAKU

  • サイトマップ
  • クレジット
  • このサイトについて
  • English
  • 早わかり
  • 歴史
  • 種目となりたち
  • ひろがり
  • 作品と鑑賞
  • 雅楽への招待
  • TOP >
  • ひろがり >
  • 地域のひろがり:武士による地方への移入
前のページにもどる

地域のひろがり

武士による地方への移入

貴族勢力が徐々に衰え、武士が台頭する平安時代末期から鎌倉時代。この頃、公家の社会では雅楽が全盛を誇っていました。公家文化に傾倒した平家の人々は雅楽をたしなみ、平経正(たいらのつねまさ)など管絃の名手といわれる人物も輩出しています。平清盛(たいらのきよもり)は、嚴島神社の法会などに都の舞楽をもち込み、その伝統は今なお嚴島神社に受け継がれています。

いっぽう、源氏もまた雅楽には力を注いでいました。源頼朝(みなもとのよりとも)は鶴岡八幡宮に楽所を設け、京の楽人を招いて都の雅楽を鎌倉に移しました。八幡宮での法会には伊豆山や箱根の稚児が童舞(わらわまい)を奉納するのが常となりました。法会以外にも、海上で管絃の宴が催された記録も残されています。

平安時代、宮廷社会のなかで大成した雅楽ですが、武士たちも積極的に学び、庇護したのです。

清盛の夢を伝える一子相伝の舞楽 嚴島神社武士の都で花開いた雅楽 鶴岡八幡宮
清盛の夢を伝える一子相伝の舞楽 嚴島神社(いつくしまじんじゃ:広島県廿日市市宮島町1-1)
市立祭での『陵王』

地久祭で奉納される『抜頭』

地久祭で奉納される『抜頭』

市立祭での『陵王』

壮麗な建築で知られる嚴島神社。そこに伝わる雅楽の歴史は、久安2年(1146年)に平清盛(たいらのきよもり)が安芸守に補任し、都の舞楽を取り入れたことに始まります。現在は年中行事として年に数度、大鳥居を背景に、海上に張り出した舞台で舞楽が奏されます。とくに、夕刻に陽が沈んでいくなか11曲の舞楽が奉納される春の桃花祭と秋の菊花祭は見応えがあります。また例年1月5日の地久祭(ちきゅうさい)の祭典後に奉納される『抜頭』は、早朝から行われるために「日の出の舞」とも称されています。棚守職[神官]野坂家だけに伝えられてきた、大変貴重なものです。楽の音に混ざる波音が独特の雰囲気をつくる雅楽は、他では体験できないものでしょう。舞楽以外にも、旧暦6月17日に、管絃の合奏とともに御座船が海を渡る管絃祭が広く知られています。

(撮影:新谷孝一)

閉じる
武士の都で花開いた雅楽 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31)

源氏ゆかりの神社として知られている鶴岡八幡宮。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)によって京の楽人・多好方(おおのよしかた)が招かれたことが、この地の雅楽の始まりです。その後楽所が整備され、法会などで舞楽が奏されるようになった鎌倉の雅楽は、その後遠く奥州にまで伝わっていきました。現在、流鏑馬(やぶさめ)や相撲(すまい)と並んで雅楽は鶴岡八幡宮の大切な神事のひとつです。12月16日の「御鎮座記念祭」では、舞殿北庭で御神楽が奉納されます。かがり火のもとで神職が「宮人曲(みやびとのきょく)」を歌い、つづいて4人の巫女が舞を奉納します。巫女による神楽の舞は、宮中などの神楽では見られない、鶴岡八幡宮独特のものです。さらに5月5日の端午の節句に行われる菖蒲祭などでも、舞楽が奉納されています。

閉じる

ページの先頭に戻る