雅楽 GAGAKU

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※ボタンまたは寺社の名前をクリックすると、解説がポップアップで表示されます。※ここでは、2014年3月現在の情報を元に紹介しています。詳しくは直接お問い合わせください。

雅楽や、雅楽に由来する民族芸能が演じられる主な寺社
山形県
 谷地八幡宮(西村山郡河北町谷地224)
新潟県
 天津神社(糸魚川市一の宮1-3-34)
 能生白山神社(糸魚川市大字能生7238)
栃木県
 日光東照宮(日光市山内2301)
埼玉県
 氷川神社(さいたま市大宮区高鼻町1-407)
東京都
 宮内庁(千代田区千代田1-1)
神奈川県
 鶴岡八幡宮(鎌倉市雪ノ下2-1-31)
静岡県
 天宮神社(周智郡森町天宮576)
 小國神社(周智郡森町一宮3956-1)
愛知県
 熱田神宮(名古屋市熱田区神宮1-1-1)
三重県
 伊勢神宮(伊勢市宇治館町1)
京都府
 石清水八幡宮(八幡市八幡高坊30)
 上賀茂神社(賀茂別雷神社)(京都市北区上賀茂本山339)
 下鴨神社(賀茂御祖神社)(京都市左京区下鴨泉川町59)
 知恩院(京都市東山区林下町400)
 伏見稲荷大社(京都市伏見区深草薮之内町68)
 八坂神社(京都市東山区祇園町北側625)
奈良県
 橿原神宮(橿原市久米町934)
 春日大社(奈良市春日野町160)
 唐招提寺(奈良市五条町13-46)
 氷室神社(奈良市春日野町1-4)
大阪府
 四天王寺(大阪市天王寺区四天王寺1-11-18)
 住吉大社(大阪市住吉区住吉2-9-89)
 大念佛寺(大阪市平野区平野上町1-7-26)
広島県
 嚴島神社(廿日市市宮島町1-1)
島根県
 隠岐国分寺(隠岐郡隠岐の島町池田風呂前5)
佐賀県
 多久聖廟(多久市多久町東ノ原1642)
雅楽を育んだ近畿の都

雅楽を育んだ近畿の都

雅楽を育んだ近畿の都

雅楽を育んだ近畿の都

東北の舞楽

山形県を中心にひろがりを見せる林家舞楽。その由来は、平安時代に四天王寺の楽人・林越前(はやしえちぜん)が、この地方に下り舞楽を伝えたことにあるとされます。このとき舞楽が伝習されたのは河北町の谷地八幡神社(やちはちまんじんじゃ)、山形市の立石寺(りっしゃくじ)、寒河江市の慈恩寺(じおんじ)などで、現在でもこれらの寺社で林家舞楽を見ることができます。その土地の文化と交わり連綿と伝えられてきた林家舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されています。

このほか、東北には独自に変容をとげた舞楽も伝承されています。たとえば、秋田県にかほ市象潟町小滝にある金峰神社の祭礼では、「小滝のチョウクライロ舞」が土の舞台で奉納されます。延年[室町時代以降に衰退した寺院で僧侶や稚児たちが演じた歌舞]や田楽を思わせる素朴な舞で、かつての担い手は山伏修験者でした。また、鹿角市の大日霊貫貴(おおひるめむち)神社では、1300年前から伝わる「大日堂舞楽」が奉納されています。いずれも、中世芸能のおもがけを色濃く残しているといわれています。

北陸の舞楽

新潟県や富山県の随所には、「稚児舞」を中心とした舞楽が伝承されています。けがれのない子供は神様の「よりしろ」としてふさわしい、という考え方にもとづく稚児舞。いずれも、小学生程度の男児が白塗りの化粧をほどこされ華やかな装束を身に着けて舞うのが特徴で、地面を踏まないように、舞台までの道中は大人の肩車に乗って移動するなどの風習が、各地に共通しています。

新潟県糸魚川市の能生白山神社(のうはくさんじんじゃ)や天津神社(あまつじんじゃ)の舞楽では、稚児舞だけでなく大人舞も披露されます。特に、演目の最後に舞われる「陵王(りょうおう)」は、他の地方とは趣が異なるものです。

北陸に伝わる舞楽の多くは、四天王寺舞楽の流れをくむとも伝えられていますが、それぞれ土地特有の個性を主張しているため、源流を一つにする感じを与えません。豊かな自然の中で生活する人々がゆっくりと育んだ、郷土色の強い舞の姿が残されているのです。

静岡の舞楽

静岡県の天宮神社(あめのみやじんじゃ)と小國神社(おくにじんじゃ)に伝わる舞楽は、「遠江森町の舞楽」の一部として国の重要無形民俗文化財に指定されています。それぞれの神社の舞楽は全12曲から成るため俗に「十二段舞楽」といわれ、一部名称が異なるものの、ほぼ共通の演目です。舞楽は二社一体で、小國神社が左方、天宮神社が右方を表すとされ、小國神社では赤が基調の装束で、速いテンポで激しい男性的な舞、天宮神社では青を基調とした装束で、ゆったりしたテンポの優雅な舞と、対の関係になっています。両社の舞楽が奉納されることで、地域の安泰が図られると考えられていました。ともに起源は古く、小國神社では大宝元年(701年)、天宮神社では慶雲2年(705年)に舞楽が奉納されたと伝えられています。

なお、「遠江森町の舞楽」にはもう1つ山名神社天王祭舞楽があり、こちらは天宮神社・小國神社とはまた趣を異にした舞楽です。

宮廷を魅了した優美な胡蝶の舞 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう:京都府八幡市八幡高坊30)
楽を奏でながら安居橋を渡る楽人たち

楽を奏でながら安居橋を渡る楽人たち

桜の下の特設舞台で、舞楽が奉納される御鎮座祭

桜の下の特設舞台で、舞楽が奉納される御鎮座祭

京都の石清水八幡宮は、古来より朝廷との関わりが深く、神社に所属する楽人たちによって雅楽がさかんに行われていました。神社のある男山のふもとを流れる川に魚や鳥を放つ「放生会(ほうじょうえ)」は、平安時代に始まり、現在「石清水祭」と改称しながらも、勅祭として続いています。9月に行われるこのお祭りは、まさに平安の王朝絵巻の世界。山上の本宮から神霊を載せた3基の鳳輦(ほうれん:おみこし)が、神人(じにん)と呼ばれる約500名ものお供を従えてふもとへ下り、一連の儀式を行って山頂へと戻るまでの間に、緋色の袍(ほう)を着けた楽人たちが、随所で楽の音を響かせます。放生行事の後には、安居橋の上で優美な舞楽『胡蝶(こちょう)』が奏されます。

このほか、八幡大神がここに遷座した日を祝う4月の御鎮座祭でも、舞楽の奉納行事が行われています。

(写真提供:石清水八幡宮)

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平安貴族の「祭」を彩る東遊 上賀茂神社・下鴨神社 (かみがもじんじゃ:京都府京都市北区上賀茂本山339)・(しもがもじんじゃ:京都府京都市左京区下鴨泉川町59)
武官装束の舞人、伶人[陪従]を従えた勅使の行列

武官装束の舞人、伶人[陪従]を従えた勅使の行列

「社頭の儀」において『東遊』が奉納される

「社頭の儀」において『東遊』が奉納される

毎年5月に上賀茂神社と下鴨神社で行われている賀茂祭は、通称「葵祭」として知られ、祇園祭、時代祭と並んで京都三大祭のひとつです。平安の都で「まつり」といえばこの賀茂祭をさし、とりわけ15日に行われる華やかな勅使の行列は、『源氏物語』にも描かれるなど、貴族たちにとって見逃せない行事でした。

祭文と幣物を奉納するために遣わされた勅使一行が下鴨神社・上賀茂神社に到着すると、随行していた楽人と舞人が『東遊(あずまあそび)』を奉納します。勅使の奏上のあと、まず楽人が演奏を始め、神馬が引き回されたのち、舞人が舞台に上がって駿河舞(するがまい)、求子舞(もとめごまい)を舞います。一般に、東遊の装束は白を基調としていますが、葵祭の東遊の舞人は緋色の袍(ほう)、楽人は紫色の袍で、ともに太刀を差した武官の姿なのが特徴。由緒ある勅祭のようすを今に伝えています。

(写真提供:下鴨神社)

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五穀豊穣を願う人長の舞 伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ:京都市伏見区深草藪之内町68)
火焚祭で奉納される『人長舞』

火焚祭で奉納される『人長舞』

榊の枝に下げられた白い輪は、ご神鏡をかたどったものといわれている

榊の枝に下げられた白い輪は、ご神鏡をかたどったものといわれている

全国で30,000社を越えるといわれる「お稲荷さん」の総本宮が伏見稲荷大社です。毎年11月8日、秋の収穫を祝い五穀豊穣(ごこくほうじょう)を感謝する「火焚祭(ひたきさい)」が行われています。そこで行われる御神楽(みかぐら)は、古くから行われた鎮魂祭に由来するもので、一時中断していたものの江戸時代末期に再興されました。万福招来のために各地から集められた十数万本の火焚串が焚きあげられ、火焚神事が執り行われます。その後夕暮れ時に、「御神楽」の奉納が始まります。和琴や笛・篳篥(ひちりき)などが奏でられ、「早韓神(はやからかみ)」の歌が響きわたる中、神鏡を象った木の輪をつけた榊(さかき)の枝を手に持った神職が『人長舞(にんじょうまい)』を舞います。人長とは神楽人の代表という意味。古式ゆかしい厳かな舞です。

(写真提供:伏見稲荷大社)

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庶民の祭りを代表する、迫力ある舞 八坂神社(やさかじんじゃ:京都府京都市東山区祇園町北側625)
観月祭で奉納される『蘭陵王』

観月祭で奉納される『蘭陵王』

「祇園さん」の名で親しまれる八坂神社では、とりわけ7月の祇園祭がよく知られますが、一年を通してさまざまな雅楽が奏されています。たとえば2月の「節分祭」で行われる舞楽奉納、6月の「例祭」前日に行われる御神楽奉納と、当日に行われる東遊(あずまあそび)の奉奏、11月に行われる舞楽奉納などです。もともと、八坂神社の舞楽は天延3年(975年)の円融(えんゆう)天皇の病気平癒をきっかけに奉納が行われるようになりましたが、「応仁の乱」により中断を余儀なくされ、江戸時代末期になってから再興しました。とくに11月の舞楽奉納は、人の背丈を優に越える巨大な大太鼓を舞殿前に組んで行われる、迫力あるものです。演目は『甘州(かんしゅう)』『迦陵頻(かりょうびん)』『桃李花(とうりか)』『還城楽(げんじょうらく)』などで、毎年異なります。

(写真提供:八坂神社)

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声明と雅楽の共演 知恩院(ちおんいん:京都府京都市東山区林下町400)
「御忌大会」で奏される雅楽

「御忌大会」で奏される雅楽

節目にあたる年には、舞楽も奉納される

節目にあたる年には、舞楽も奉納される

浄土宗(じょうどしゅう)総本山知恩院では、毎年4月18日から25日にかけて、宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の忌日法要である「御忌大会(ぎょきだいえ)」が実施されています。これは知恩院で最も重要な法要で、例年、全国から100人以上の僧侶が参加する大規模な行事です。御忌大会中は1日2度、それぞれ2時間以上に及ぶ法要が行われ、僧侶たちの入退堂時のほか、声明に合わせて雅楽が奏されます。ゆったりと唱える声明と雅楽のハーモニーは、広い伽藍(がらん)いっぱいに厚みのある響きとなって満ち、知恩院ならではの荘厳な空気をつくりだします。また、笏(しゃく)を打ちながら念仏を唱えて道内を練り歩く「笏念仏行道(しゃくねんぶつぎょうどう)」の際にも雅楽が奏され、退堂の際には、法然上人の和歌に節をつけた浄土宗の宗歌「月かげ」が演奏されます。

(写真提供:知恩院)

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楽の音が絶えることのない南都の社 春日大社(かすがたいしゃ:奈良県奈良市春日野町160)

雅楽のふるさと、奈良。古来、宮中や興福寺などとの関わりから雅楽と深い縁を持つ春日大社には、一年を通し楽の音が絶えることがありません。南都楽所の伝統は、神職や市井の人々によって今も受け継がれているのです。

なかでも、12月の「春日若宮おん祭」は、保延2年(1136年)に始まる長い歴史を有するもの。春日大社の若宮の神霊を、本殿から春日野のお旅所(おたびしょ)へ迎え、国の平安と五穀豊穣を祈念します。特に芝舞台で次々と繰り広げられる神事芸能は、古代・中世に由来する貴重なものばかりで、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

東遊、和舞などのほか、舞楽も左舞と右舞が順に奉納されます。とくに『陵王(りょうおう)』と『納曽利(なそり)』の曲順は、先だって行われる競馬の勝敗によって決められますが、これは古代の宮中における勝負舞の名残といえます。

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天地自然と融合するおおらかな舞 唐招提寺(とうしょうだいじ:奈良県奈良市五条町13-46)
『陪臚』金堂と講堂の間の中庭で奉納される

『陪臚』金堂と講堂の間の中庭で奉納される

唐の高僧・鑑真和上(がんじんわじょう)が創建した唐招提寺では、『陪臚(ばいろ)』と呼ばれる曲目が伝承されています。これは林邑(りんゆう:チャンパ王国、現在のベトナム中南部)の僧侶・仏哲(ぶってつ)等が伝えた林邑楽に由来する曲目です。唐招提寺では古来、お釈迦様の誕生日を祝う仏生会(ぶっしょうえ)で陪臚が舞われたため、仏生会は別名「陪臚会(へろえ)」とも呼ばれていました。現在仏生会では舞楽は行われませんが、5月に行われる覚盛(かくじょう)上人の忌日法要「梵網会(ぼんもうえ)」、通称「うちわまき」で見ることができます。陪臚は4人舞の舞楽でふつう右方舞とされていますが、ここでは左方舞とされ、「陪臚走り(へろばしり)」という足運びをはじめ独特の振り付けがあります。これは旧南都楽所の舞譜をもとに再現されたもので、鳥兜をつけた衣装も独特のものです。

(写真提供:奈良市観光協会)

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氷の神を祀る旧南都楽所のよりどころ 氷室神社(ひむろじんじゃ:奈良県奈良市春日野町1-4)
『納曽利』献氷祭

『納曽利』献氷祭

『延喜楽』秋の例祭では11曲の舞楽が奉納される

『延喜楽』秋の例祭では11曲の舞楽が奉納される

春日野に造られた氷室に、氷の神を祀ったことを始まりとする氷室神社。

雅楽との関わりは深く、鎌倉時代から明治維新まで奈良の雅楽の中心であり続けた南都方の楽人の本拠地でした。現在も、毎年10月1日に行われている「例祭夕座(れいさいゆうざ)」で舞楽が奏されています。例祭は、鎌倉時代から近衞府の役人の肩書をもち、社務あるいは神主として氷室神社を預かった楽人たちによって営み継がれてきました。

この祭りの日には、神社伝来の舞楽が、江戸時代に建てられた舞殿で奉納されます。旧南都楽所は明治3年(1870年)に廃止されましたが、雅楽局へ上京せず奈良に残った楽人が継承した舞楽を、この神社で見ることができます。

このほか、5月1日の献氷祭でも舞楽が奉納されています。

神社の宝物の中には鎌倉時代作の木造舞楽面『陵王面一面』があり、国の重要文化財となっています。

(写真提供:氷室神社)

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橿原宮跡ゆかりの地で奉納する久米舞 橿原神宮(かしはらじんぐう:奈良県橿原市久米町934)
「新嘗祭」に内庭で奉納される『久米舞』

「新嘗祭」に内庭で奉納される『久米舞』

『久米舞』和琴が響くなか太刀を抜き舞う

『久米舞』和琴が響くなか太刀を抜き舞う

明治23年(1890年)、『古事記(こじき)』『日本書紀(にほんしょき)』に記された神武(じんむ)天皇の宮があったと伝わる土地に創建されたのが橿原神宮です。ここで毎年4月29日に行われる「昭和祭」や11月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」では、4人の舞人による『久米舞(くめまい)』が、畝傍山(うねびやま)のふもとに広がる内拝殿前の広々とした庭で舞われます。神武天皇が大和を平定した時、勝利の宴で歌われた「久米歌」に久米部の兵士らが合わせて舞ったのが起源とされるのが久米舞で、平安時代以降、「大嘗祭(だいじょうさい:天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭)」に際して奏される歌舞となりました。現在伝わっているものは一度断絶して江戸後期に再興されたものです。今日、宮中で久米舞が奏されるのは天皇即位時の「大嘗祭」のみであるため、橿原神宮で毎年この舞を見られるのは、大変貴重な機会であるといえるでしょう。

(写真提供:橿原神宮)

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聖徳太子を偲ぶ聖霊会の舞楽 四天王寺(してんのうじ:大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18)

6世紀に聖徳太子(しょうとくたいし)によって創建されたとされる四天王寺は、旧天王寺楽所の本拠地でもありました。4月22日、太子の忌日[本来は旧暦2月22日]に行われる「聖霊会(しょうりょうえ)」は、古来より人々に親しまれてきた法要です。四隅に曼珠沙華を象った赤い飾りが施された石舞台を挟んで、僧侶は北側、楽人・舞人は南側に控え、交互に声明や舞楽を奉納します。舞楽は聖徳太子の目覚めを表す『蘇利古(そりこ)』をはじめ、『菩薩(ぼさつ)』『獅子(しし)』『迦陵頻(かりょうびん)』『胡蝶(こちょう)』など。10曲が、天王寺楽所独特の大振りの舞で奉納されます。舞の伝承が失われ、舞台を回る所作のみが行われる『菩薩』と『獅子』は、7世紀始めに伝来した「伎楽」の系統を引く曲と考えられています。古代中世の舞楽法要の様子を色濃く伝えるこの「聖霊会」は、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

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清楚な卯の花に彩られる住吉の舞楽 (すみよしたいしゃ:大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89)
「卯ノ葉神事」石舞台での舞楽の奉納

「卯ノ葉神事」石舞台での舞楽の奉納

名月の下、反橋で舞楽が行われる秋の「観月祭」

名月の下、反橋で舞楽が行われる秋の「観月祭」

古くから雅楽との結びつきが強く、12世紀の貴重な舞楽面が保存される。しかし室町時代以降、社伝の舞楽の伝承が途切れ、それ以降は天王寺楽所の楽人を招いて奏されるようになりました。境内には、豊臣秀頼(とよとみひでより)によって寄進され、四天王寺・嚴島神社と並んで日本三舞台に数えられる石舞台があります。例年5月最初の卯の日に催される「卯之葉神事(うのはしんじ)」では、その石舞台の上で舞楽が奉納されます。このお祭りはの創立記念を祝う重要なもので、祭典では「の花」とも言うべき卯の花が捧げられます。ちょうど神事がとり行われる5月は花の時期であり、訪れた人々は境内に咲き誇る卯の花とともに舞楽を楽しむことができます。

(写真提供:住吉大社)

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極楽浄土を描く音楽の祭典 大念佛寺(だいねんぶつじ:大阪府大阪市平野区平野上町1-7-26)
万部法要のおねり

万部法要のおねり

菩薩から菩薩、仏前へと花が供えられる「伝供(でんぐ)」の儀式。声明に合わせて「十天楽」が奏される

菩薩から菩薩、仏前へと花が供えられる「伝供(でんぐ)」の儀式。声明に合わせて「十天楽」が奏される

12世紀に良忍上人(りょうにんしょうにん)が開いた融通念佛宗(ゆうずうねんぶつしゅう)の総本山・大念佛寺。ここでは毎年5月1日からの5日間、一般に「万部(まんぶ)おねり」と呼ばれる行事[二十五菩薩来迎の儀式と阿弥陀仏経一万部の読誦(どくじゅ)という2つの法要を合わせたもの]が行われます。

お練りは、人の命が尽きるとき、現世から浄土へと導く菩薩たちの姿を具現化したものです。壱越調曲「菩薩」が奏される中、境内にある橋の上を、黄金の面を輝かせ、笙(しょう)、琵琶などの楽器や法具を持つ25の菩薩が次々に本堂へと渡ってゆくようすは、まさに極楽世界。随所で響く節付けや豊かな旋律で唱えられる念仏や声明、管絃の音はすべて同宗の僧侶によるものです。

念仏をみなで合唱することで、その功徳を融通[共有]し合うという融通念仏の教えを底流とする音楽性の高い法要といえます。

(写真提供:大念佛寺)

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紅花が咲く里・谷地の舞楽 谷地八幡宮(やちはちまんぐう)【林家舞楽】 山形県西村山郡河北町谷地224
『納蘇利』通常は二人舞だが、林家舞楽では一子相伝のため1人で舞う

『納蘇利』通常は二人舞だが、林家舞楽では一子相伝のため1人で舞う

どんが祭『蘭陵王』

どんが祭『蘭陵王』

最上川や寒河江川に囲まれた河北町。口紅や染料となる紅花の産地であり、北前船で都と結ぶ河港として栄えたこの地には、古くから都の文化も流入してきました。東北の各地に伝わる舞楽のなかでも、四天王寺の楽人で、当地の神職となった林家が、楽家として受け継いできたことに特徴があります。1000年以上前に伝えられたため、日本に伝来した当初の古い舞楽の形式を残しているといわれます。9月中旬の例祭「どんが祭り」で演じられる舞楽は、大人舞8曲、子供の舞2曲。なかでも唐の則天武后(そくてんぶこう)の作とされる「三台(さんだい)」は、他の地では姿を消しており、ここだけに伝わる舞です。

谷地八幡宮の舞楽は「林家舞楽」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

(写真提供:谷地八幡宮)

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雪深い北国に春を告げる稚児舞 天津神社(あまつじんじゃ)新潟県糸魚川市一の宮1-3-34
『鶏冠』2人は緋色、他の2人は緑の狩衣を着て、菊の花を持ち静かに舞う

『鶏冠』2人は緋色、他の2人は緑の狩衣を着て、菊の花を持ち静かに舞う

『『安摩』異国風の面と装束をつけた稚児が舞う

『安摩』異国風の面と装束をつけた稚児が舞う

例年、4月10日・11日に行われる春大祭は、2基の神輿の激しいぶつかり合いで知られる神事が奉納される事から、通称「けんか祭り」と呼ばれています。

その勇壮な神輿の神事に続いて、静かな12曲の舞楽が、ほら貝の音を合図に境内の石舞台で奉納されます。曲目は『破魔弓(はまゆみ)』『華籠(けこ)』の他、胡蝶の羽根をつけ菊の花を持つ、天津神社独自の舞とも言われる『鶏冠(けいかん)』など8曲の稚児舞と、『陵王(りょうおう)』『大納蘇利(おおなそり)』の他、呪術的な動きが特徴的と言われる『能抜頭(のうばとう)』など4曲の大人舞が舞われ、糸魚川に春を告げるとされています。

天津神社の舞楽は、能生白山神社と共に「糸魚川・能生の舞楽」として、国の重要無形民俗文化財に指定されており、1日目の舞楽の衣装は新しい物、2日目は素朴な旧衣装で舞うのが習わしとなっています。

(写真提供:糸魚川市教育委員会)

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日本海を見下ろす舞台・落日を呼び戻す陵王の舞 能生白山神社(のうはくさんじんじゃ)新潟県糸魚川市大字能生7238
『童羅利』1人で舞う稚児舞。最後はアカンベーをして退場する

『童羅利』1人で舞う稚児舞。最後はアカンベーをして退場する

『陵王』緋色の狩衣も、この神社独特の装束である

『陵王』緋色の狩衣も、この神社独特の装束である

例年4月の祭礼に、池の上に作られた舞台の上で、8曲の稚児舞と3曲の大人舞が奉納されます。祭りを締めくくる舞は『陵王』。日没の頃に現れる、赤毛の赤熊(しゃぐま)を頭につけた異色の陵王は、他では見ることができません。「日招きの手」を経て、長い橋がかりを効果的に使用する「橋がかりの舞」へと進むと、群衆は手にした榊を振り大きな歓声を上げます。

『陵王』が日没に舞われるのは『没日還午楽(ぼつじつかんごらく)』という別名に由来します。これは、シナ国の死んだ王の魂がよみがえって、沈もうとしていた太陽を招き返し、味方の軍勢を勝利に導いたという伝説に基づくもの。龍が装飾された面を着ける「陵王」は「龍王」と読み替えられ、これが雨を呼ぶ龍神への信仰と結びつき、この地方の舞楽に根付いたと考えられています。

能生白山神社の舞楽は天津神社と共に「糸魚川・能生の舞楽」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

(写真提供:能生白山神社)

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遠江国一の宮に伝わる舞楽 小國神社(おくにじんじゃ)【十二段舞楽】(静岡県周智郡森町一宮3956-1)
『太平楽』鉾や太刀を持った年長の稚児が4人で舞う

『太平楽』鉾や太刀を持った年長の稚児が4人で舞う

『二の舞』翁(おきな)と媼(おうな)が演ずる滑稽な舞。『安摩』と対で舞われる

『二の舞』翁(おきな)と媼(おうな)が演ずる滑稽な舞。『安摩』と対で舞われる

本宮山(ほんぐうさん)の山麓に位置する小國神社では、例年4月の中旬の土、日に行われます。最初に、伶人や神職による番外曲の「花の舞」でお祓いをし、続いて12曲が披露されます。『連舞(えんぶ)』『蝶の舞』『鳥の舞』『新まっく』『抜頭(ばとう)』『太平楽』の6曲は稚児舞、ほかの6曲が大人舞です。本来二人舞の「安摩」がここでは一人舞であることや、鼻がとがった「陵王」の面が独特のものであることなどが特徴です。天宮神社・山名神社と共に「遠江森町の舞楽」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

(写真提供:小國神社)

演目:「連舞」「色香(しきこう)」「蝶の舞」「鳥の舞」「太平楽」「新まっく」「安摩(あま)」「二の舞」「陵王」「抜頭」「納曽利」「獅子」

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1300年前、京から赴任した神官が伝えた舞楽 天宮神社(あめのみやじんじゃ)【十二段舞楽】静岡県周智郡森町天宮576
稚児4人で舞う『太平楽』。天宮神社では、青を基調とした装束で舞う

稚児4人で舞う『太平楽』。天宮神社では、青を基調とした装束で舞う

青で角のある獅子は、小國神社の赤い角なしの獅子と阿吽(あうん)の対をなす

青で角のある獅子は、小國神社の赤い角なしの獅子と阿吽(あうん)の対をなす

例年4月の第一土日に行われる天宮神社例大祭で奉納される十二段舞楽。小國神社・山名神社と共に「遠江森町の舞楽」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。高欄つきの舞楽殿で舞われる12曲のうち6曲は、子供の舞う稚児舞です。最後の「獅子」は、獅子役2人と獅子伏せ役の大人3人で舞われます。獅子伏せが獅子を退治した後に鼻をかんで投げる鼻紙に御利益があるとされており、観客が競って拾います。氏子たちからは「まいもの」と親しみを込めて呼ばれている舞楽です。

(写真提供:天宮神社)

演目:「延舞(えんぶ)」「色香(しきこう)」「庭胡蝶(ていこちょう)」「鳥名(ちょうな)」「太平楽(たいへいらく)」「新靺鞨(しんまか)」「安摩(あま)」「二の舞」「陵王(りょうおう)」「抜頭(ばとう)」「納曽利(なそり)」「獅子(しし)」

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千年の時を超え、大陸文化の流れを今に伝える舞楽 隠岐国分寺(おきこくぶんじ) 島根県隠岐郡隠岐の島町池田風呂前5
国際色豊かな翁の面をつけた『麦焼き之舞』。農作業の様子をユーモラスに表現している

国際色豊かな翁の面をつけた『麦焼き之舞』。農作業の様子をユーモラスに表現している

2人の菩薩が優美な衣装でゆったりと舞う『仏之舞』

2人の菩薩が優美な衣装でゆったりと舞う『仏之舞』

「元弘の乱」(元弘元年[1331年])により隠岐に配流された後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が滞在したといわれる隠岐国分寺。ここにはそれよりさらに古く、平安時代から伝わる「蓮華会舞(れんげえまい)」が残されています。古代芸能の流れを汲んだ舞楽で、弘法大師の縁日にあたる4月21日に本堂前で奉納されます。平成19年(2007年)に起きた本堂火災で、寺に伝わる奈良時代の舞楽面、衣装、道具などが焼失してしまいましたが、現在は全て復元され、伝統ある舞が続けられています。演じられるのは「眠り仏之舞」「獅子之舞」「太平楽之舞」「麦焼き之舞」「龍王之舞」「山神・貴徳之舞」「仏之舞」の7つ。大陸の影響が色濃い宮廷舞楽の型を残しながらも、農作業のしぐさを取り入れたり、滑稽な獅子が登場したりと、地域の生活にとけ込んだ素朴な雰囲気が特徴です。昭和52年(1977年)に、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

(写真提供:隠岐国分寺)

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清盛の夢を伝える一子相伝の舞楽 嚴島神社(いつくしまじんじゃ:広島県廿日市市宮島町1-1)
市立祭での『陵王』

地久祭で奉納される『抜頭』

地久祭で奉納される『抜頭』

市立祭での『陵王』

壮麗な建築で知られる嚴島神社。そこに伝わる雅楽の歴史は、久安2年(1146年)に平清盛(たいらのきよもり)が安芸守に補任し、都の舞楽を取り入れたことに始まります。現在は年中行事として年に数度、大鳥居を背景に、海上に張り出した舞台で舞楽が奏されます。とくに、夕刻に陽が沈んでいくなか11曲の舞楽が奉納される春の桃花祭と秋の菊花祭は見応えがあります。また例年1月5日の地久祭(ちきゅうさい)の祭典後に奉納される『抜頭』は、早朝から行われるために「日の出の舞」とも称されています。棚守職[神官]野坂家だけに伝えられてきた、大変貴重なものです。楽の音に混ざる波音が独特の雰囲気をつくる雅楽は、他では体験できないものでしょう。舞楽以外にも、旧暦6月17日に、管絃の合奏とともに御座船が海を渡る管絃祭が広く知られています。

(撮影:新谷孝一)

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武士の都で花開いた雅楽 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31)

源氏ゆかりの神社として知られている鶴岡八幡宮。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)によって京の楽人・多好方(おおのよしかた)が招かれたことが、この地の雅楽の始まりです。その後楽所が整備され、法会などで舞楽が奏されるようになった鎌倉の雅楽は、その後遠く奥州にまで伝わっていきました。現在、流鏑馬(やぶさめ)や相撲(すまい)と並んで雅楽は鶴岡八幡宮の大切な神事のひとつです。12月16日の「御鎮座記念祭」では、舞殿北庭で御神楽が奉納されます。かがり火のもとで神職が「宮人曲(みやびとのきょく)」を歌い、つづいて4人の巫女が舞を奉納します。巫女による神楽の舞は、宮中などの神楽では見られない、鶴岡八幡宮独特のものです。さらに5月5日の端午の節句に行われる菖蒲祭などでも、舞楽が奉納されています。

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宮中の楽人が伝承した東遊 日光東照宮(にっこうとうしょうぐう:栃木県日光市山内2301)
神官により奏される雅楽

神官により奏される雅楽

日光東照宮は徳川家康(とくがわいえやす)を神として祀った神社です。現在の社は、家康の21回忌に行われた大造営によるもので、これを記念してさまざまな舞楽が奏された記録が残っています。それ以前は祭礼のたびに京都の楽人が奉仕していましたが、大造営の翌年に南都から招かれた楽人によって雅楽が伝習され、以来明治時代まで日光独自の奏楽が伝承されてきました。現在は日光東照宮楽部に所属する神官が、その歴史を受け継いでいます。春季例大祭と秋季大祭の「神輿渡御祭(しんよとぎょさい)」では、武者行列が御旅所に着いた後、『東遊(あずまあそび)』の奉納が行われます。恒例により春は「駿河舞(するがまい)」、秋は「求子舞(もとめごまい)」が舞われます。舞人が一般的な白系統の衣装ではなく紅色の袍(ほう)姿で舞うところに、東照宮ならではの特色を見ることができます。

(写真提供:日光東照宮)

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春の訪れを告げる桜の歌舞 氷川神社(ひかわじんじゃ:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407)
勅使のお付きの楽師により奉納される『東遊』

勅使のお付きの楽師により奉納される『東遊』

さいたま市大宮区の武蔵一宮・氷川神社は、東京・埼玉周辺に200社ある氷川神社の総本社で、「大宮氷川神社」ともよばれます。ここは全国に16社ある「勅祭社」[勅命により例大祭に勅使が派遣される神社]のひとつで、8月1日に行われる例大祭において『東遊(あずまあそび)』が奏されています。町中から集められた山車や神輿が取り囲む中、神職と勅使に続いて随員と楽師が登場します。祭典中は一般参拝はできませんが、厳かに祭儀と奏楽がとり行われる様子は、緊張感あふれるものです。

(写真提供:氷川神社)

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伝統の保存と継承 宮内庁式部職楽部 (くないちょうしきぶしょくがくぶ:東京都千代田区千代田1-1)

平成12年(2000年)4月
春季雅楽演奏会
『賀殿』

明治維新によって京都、南都、天王寺の「三方楽人」と江戸の「紅葉山楽人」が集結し、雅楽局[現在の宮内庁式部職楽部]が設置されました。それと同時に、それまで特定の家柄が担ってきた雅楽が一般人にも門戸を開くようにもなりました。

楽部は、宮中の儀式、春・秋の園遊会などの行事で雅楽を演奏するほか、年に2回皇居内で演奏会を催し、海外公演や国立劇場の雅楽公演などにも出演しています。さらに、宮中晩餐会などで洋楽の演奏も担当します。

楽師たちは、管楽器一つと絃楽器一つ、左方右方のどちらかの舞、西洋楽器一つを専門とし、打楽器、歌物、国風歌舞は全員が習得しているのです。

それぞれの楽家の伝統を今に受け継ぎ、千数百年の雅楽の伝統を保存継承するための中心的な役割を担っているのが、宮内庁楽部といえます。宮内庁式部職楽部の雅楽は、平成21(2009)年にユネスコの世界遺産「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されています。

(写真提供:青木信二)

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平安の時を今に再現する雅楽 熱田神宮(あつたじんぐう:愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1)
踏歌神事『卯杖舞』

踏歌神事『卯杖舞』

ダ舞楽神事『胡蝶』。楽所前に設けられた舞台で奉納される

舞楽神事『胡蝶』。楽所前に設けられた舞台で奉納される

熱田神宮では、平安時代初期には舞楽の奉納が行われていたとされ、平安時代の舞楽面「抜頭(ばとう)」などの貴重な文化財も残されています。同宮では年間70あまりの年中行事が行われますが、一般の参拝者が雅楽を見ることができる機会は、1月11日に行われる「踏歌神事(とうかしんじ)」、5月1日に行われる「舞楽神事」です。踏歌神事は年の初めに厄除けと招福を祈る神事で、古くから伝わる旋律で歌われる催馬楽とともに「卯杖舞(うづえのまい)」や「扇舞(おうぎのまい)」が舞われます。また、詔文(しょうもん)に合わせて振る振鼓(ふりつづみ)の音色で、一年の吉凶が占われます。舞楽神事は平安初期から続く由緒ある神事。神殿前庭に設けられた朱塗りの舞台上で『萬歳楽(まんざいらく)』『延喜楽(えんぎらく)』『胡蝶(こちょう)』『抜頭』などの舞楽が、終日披露されます。

(写真提供:熱田神宮)

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森が育くむ神宮の雅楽 伊勢神宮(いせじんぐう:三重県伊勢市宇治館町1)
神楽祭『賀殿』

神楽祭『賀殿』

神楽祭『胡蝶』

神楽祭『胡蝶』

60名にものぼる楽師と舞女(ぶじょ)が所属する伊勢神宮。年間を通じ、祭典や神楽殿での参拝者による神楽奉納で雅楽が奏されていますが、一般参拝者が雅楽を鑑賞する機会は限られています。年に2度春と秋に行われる「神楽祭(かぐらさい)」は貴重な機会のひとつで、内宮神苑に設けられた朱色の欄干に囲まれた特設舞台で4曲程度の舞楽が披露されます。また中秋の名月に行われる観月会は、日没後に月を眺めながら管絃と舞楽の奉納を鑑賞できるという、風情ある催しです。さらに、1月に催される「一月十一日御饌(いちがつじゅういちにちみけ)」では、内宮の五丈殿で『東遊(あずまあそび)』が奉納され、一般の人々も参道から鑑賞することができます。

女性によるあでやか舞が多く奉納されることも、伊勢神宮の雅楽の特徴となっています。

(写真提供:神宮司庁)

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市民が支える孔子を祀る雅楽 多久聖廟(たくせいびょう:佐賀県多久市多久町東ノ原1642)
「釈菜」にて市職員が奏する雅楽

「釈菜」にて市職員が奏する雅楽

宝永5年(1708年)に完成した多久聖廟は、佐賀県多久市にある孔子廟(こうしびょう:儒教の祖・孔子を祀るお堂)です。江戸時代に儒学がさかんになると孔子を祀る儀式「釈奠(せきてん)」が各地で執り行われ、奏楽に日本の雅楽を用いることが多くなったといわれています。この聖廟でも創建から約300年の間、春と秋に釈奠を簡略化した「釈菜(せきさい)」を行ってきました。雅楽曲が奏されるなか、中国風の装束をまとった献官[市長が務める]や祭官が孔子とその高弟たちの像に甘酒や銀杏・餅などをお供えする釈菜は、江戸時代の釈奠の様子を今に伝える貴重な行事です。曲目は迎神と撤饌(てっせん)に「越天楽(えてんらく)」送神に「抜頭(ばとう)」などで、烏帽子に直垂の衣裳をまとう伶人は市の職員がつとめます。

(写真提供:多久市)

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