文楽編 仮名手本忠臣蔵 Kanadehon Chushingura

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九段目 山科閑居の段(やましなかんきょのだん)

コラムをよむ

大星力弥との婚礼への期待に胸をふくらませ、東海道を旅してきた戸無瀬・小浪の母娘。しかし待っていたのは破談という冷たい言葉でした。小浪の父親である加古川本蔵は、娘の幸せのために命を捨てる決心をします




大星由良助(おおぼしゆらのすけ)、力弥(りきや)親子が住む京・山科の居宅に、加古川本蔵の妻・戸無瀬(となせ)と娘・小浪(こなみ)が訪れます。由良助の息子・力弥と小浪の祝言のためです。由良助の妻・お石(おいし)は、両家の釣合い[知行高[所領地の石高]の違いや、主君を持たない浪人であるという境遇ではなく、高師直 (こうのもろのう)に賄賂(わいろ)を以て追従する主君に仕える本蔵と、短慮とはいえ、潔癖な主君に仕え、以降二君に仕えぬ心構えの由良助の、武士としてのありかた]を理由に離縁を申し渡しました。

戸無瀬は、義理の娘の婚礼が実現できなければ、小浪への義理を越えた慈愛も無に帰し、夫・本蔵への義理も立たず、その詫びの為に死を覚悟します。小浪も、力弥の家で死ぬのは本望と可憐な想いの覚悟を決めました。戸無瀬がまさに刀を振り上げた時、戸外から虚無僧の吹く尺八の音が聞えます。奥からはお石の「御無用」の声、戸無瀬の手は思わず止まりました。

その時、お石が力弥との祝言を認めると言います。しかし、師直を討ちもらした塩谷判官(えんやはんがん)の恨みのある、本蔵の首を祝言の引き出物としてほしいという条件を付けました。

虚無僧は本蔵でした。本蔵はわざと由良助を皮肉りばかにし、憤って槍で挑みかかったお石を組み敷きます。本蔵は、母を助けようとする力弥に、わざと突かれました。本蔵は、殿中刃傷の際、とっさの判断で判官を抱き留めましたが、判官切腹の重大な結果に、自分の行動を後悔していました。娘の幸せを願い、本蔵は判官の恨みを身に受けるべく、わざと力弥の手にかかったのです。本蔵は引き出物として師直の屋敷の図面を贈ります。お石と戸無瀬は、すぐに死別の運命にある花嫁花婿のために手を取り合って泣き崩れます。図面をもとに早速計画を練る大星親子を見届け、本蔵は息絶えます。

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小浪の初々しさ
戸無瀬の深い情愛
槍で突かれた本蔵の述懐

コラム 加古川本蔵の人物像―実務家としての手腕

加古川本蔵(かこがわほんぞう)は、江戸城中松の大廊下での刃傷事件の際、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)を抱きとめた梶川与惣兵衛(かじかわよそべえ:正保4年[1647年]~享保8年[1723年])をモデルとしています。梶川は、御留守居番を勤める幕臣で、事件当日の臨場感あふれる記述や、後日の事情聴取を『梶川氏筆記(かじかわしひっき)』に残しています。

また、石見国津和野藩(いわみのくにつわのはん:現在の島根県南西部)亀井家(かめいけ)の家老で、経済的手腕をふるった多胡主水(たごもんど)を想定した可能性があります。特に、藩主が勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)を拝命した際、吉良上野介(きらこうずけのすけ)を斬ろうとする事態となり、その時の家老の尽力[贈賄によるといわれています]で無事におさまったとの話が注目されます。

『仮名手本忠臣蔵』の立作者・並木千柳(なみきせんりゅう:宗輔[そうすけ])は、備後国三原(びんごのくにみはら:現在の広島県南東部)の臨済宗成就寺で断継という名で、禅僧として修行を積んでいました。当然、情報収集の地域的可能性からも、津和野藩の噂を耳にしたことでしょう。作者は、殿中刃傷事件に深くかかわった梶川に、主君とその家の安泰をはかるために、武士の意地よりも経済的手腕で切り抜ける鋭敏な人物を結合させ、本蔵を造形したと考えられます。

立作者(たてさくしゃ)

座付きの作者の中での第一人者。人形浄瑠璃では、作品の主題・構成などに責任を持つ。

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虚無僧(こむそう)

禅宗の一派である普化宗(ふけしゅう)の僧。多くの場合、浪人となった武士がなるものであった。髪は剃らず、深編笠をかぶって袈裟(けさ)を掛け、尺八を吹きながら諸国を歩いた。古くは「こも」を腰に巻いて持ち歩いたことから「こもそう」といわれた。

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