文楽編 仮名手本忠臣蔵 Kanadehon Chushingura

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七段目 祇園一力茶屋の段(ぎおんいちりきぢゃやのだん)

コラムをよむ

世間では、家臣が塩谷判官の敵を討つだろうともっぱらの評判ですが、肝心の大星由良助は遊び惚けるばかり。今日も祇園の茶屋で酩酊しています。偶然にもそこはおかるが身を売った店。二人の出会いで物語は新たな展開を見せます



鎌倉・扇が谷(おうぎがやつ)の上屋敷を明け渡した後、大星由良助(おおぼしゆらのすけ)の一家は、京・山科でひっそりと暮らしています。世間では、塩谷判官(えんやはんがん)の家臣がいつ主君の敵を討つのか、と取沙汰していますが、由良助はだらしなく遊びにふけっています。

今夜も、由良助は祇園一力茶屋で大いに酩酊(めいてい)しています。そこへ、大星力弥(おおぼしりきや)が顔世御前(かおよごぜん)からの密書を届けました。2階の窓辺では、遊女となった早野勘平(はやのかんぺい)の女房・おかるが酔いを醒ましています。おかるは、由良助が読み始めた手紙を、好奇心から延鏡(のべかがみ:手鏡)に映して覗き読みました。気づいた由良助は、密事を知ったおかるを殺すつもりで身請けをもちかけます。おかるの兄・寺岡平右衛門(てらおかへいえもん)は、身請けの真意を察し、手柄を立てて敵討ちの供に加えてもらおうと、妹に斬りかかります。驚くおかるは、父・与市兵衛(よいちべえ)の死と、夫・勘平の切腹を聞かされ、覚悟を決めました。まさに刀が振り下ろされようとするところを由良助が制し、平右衛門を供に加えます。おかるには、高師直 (こうのもろのう)に内通し、由良助の真意を探るために床下に忍び込んでいた斧九太夫(おのくだゆう)を、夫・勘平の代りに討たせました。

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おかるの悲嘆

コラム 仲間さえも欺いた大石内蔵助の遊興三昧

史実の大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)(万治2年[1659年]~元禄16年[1703年])は、播磨国赤穂[現在の兵庫県赤穂市、相生市、上郡町周辺]の浅野家1500石の家老職です。元禄14年(1701年)内蔵助は、主君内匠頭の刃傷事件と切腹の知らせを赤穂で聞きました。家中に様々な意見のある中、本心を明かすことなく、お家再興の時期と方策を練っていたといいます。赤穂城を明け渡した後、京・山科に家族と転居しました。翌年には、妻・りく(寛文9年[1669年]~元文元年[1736年])を実家に戻し、この直後から、内蔵助の遊興が始まります。

「内蔵助は活発な性格だったので、京都において物見遊山[観光]などにも出向き、あまりよくない行いもあった。金銀なども浪費していた。…大事を控えた大切な身で…金銀も今後必要なはずなのに…」と同志達は度々忠告したようです。

この様子を見て、吉良上野介(きらこうずけのすけ)の隠し目付[スパイ]は、京から引き揚げたといいます。そこには、内蔵助の深慮があったと思われます。

『仮名手本忠臣蔵』七段目「祇園一力茶屋の段」は、歌舞伎『大矢数四十七本(おおやかずしじゅうしちほん)』(延享4年[1747年]6月京・中村粂太郎座初演)の「茶屋場」をもとにしています。大星由良之助に当たる大岸宮内(おおぎしくない)役を演じたのは、初代沢村宗十郎(さわむらそうじゅうろう)でした。そのセリフ「青海苔もらうた礼に大々神楽打つようなもの」などが浄瑠璃に取り入れられています。

遊興の事実と深慮は史実の内蔵助から、様々な遊興の趣向[ドラマの工夫]は歌舞伎の大岸宮内[初代沢村宗十郎]から、その虚実によって「七段目」の大星由良助が形作られたといってよいでしょう。

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