文楽編 仮名手本忠臣蔵 Kanadehon Chushingura

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十一段目 光明寺焼香の段(こうみょうじしょうこうのだん)

コラムをよむ

大星由良助を始めとする塩谷の遺臣達は、ついに高師直を討ち取り、主君の無念を晴らしました。その裏で繰り広げられたさまざまな人間模様も、大団円を迎えます

苦労のかいがあって、大星由良助(おおぼしゆらのすけ)をはじめとする塩谷(えんや)の遺臣40余名は、高師直 (こうのもろのう)の屋敷に討ち入り、首尾よく本懐を遂げました。主君の菩提寺・光明寺へ引き揚げ、塩谷判官(えんやはんがん)の墓前に師直の首を供えました。

まず、師直を見つけ出した殊勲者(しゅくんしゃ)・矢間十太郎(やざまじゅうたろう)が1番に焼香をしました。由良助は、早野勘平(はやのかんぺい)の形見である縞の財布を取り出し、義兄の寺岡平右衛門(てらおかへいえもん)を勘平のかわりとして焼香させるのでした。転落の運命をたどり、何もかもが食い違ったまま最期を遂げた早野勘平(はやのかんぺい)の魂がようやく救済されたのです。

十一段目は原作通りの上演は近年行われていません。「花水橋引揚の段」「光明寺焼香の段」いずれかが上演されています。「花水橋引揚の段」は本懐を遂げた爽やかさに満ち、「光明寺焼香の段」は原作に近い内容となっています。

コラム 討ち入りの火事装束に秘められた理由

赤穂の浪士達が討ち入りの衣装を火事装束に似せたのは、深夜に徒党を組んで出歩いても火消ならとがめられない、というのが大きな理由でした。実は寛文12年(1672年)に起こった「浄瑠璃坂の仇討ち(あだうち)」で、一族40人以上が徒党を組み、火事装束で父親の敵の屋敷に討ち入った先例がありました。この敵討ちでは、実行者の死罪は減じられて流罪となり、恩赦の後に一党は他家に召し抱えられています。赤穂の浪士達もこの先例を期待しての火事装束、というあまりにもうがった見方もあります。

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