文楽編 仮名手本忠臣蔵 Kanadehon Chushingura

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背景を知る 史実とその時代

赤穂事件 殿中における刃傷とは

江戸城内の刃傷は、「赤穂事件」の他にもありました。浅野内匠頭が起こした刃傷事件がとりわけ注目されたのは、その場で吉良を殺せず、のちに家臣達によって思いが遂げられたという特殊な事情もあったようです。

大名の正装

『江戸城本丸其他諸張付絵様 本丸 松の廊下』
狩野探淵 筆
本丸御殿の大広間から将軍との対面所白書院に至る畳敷廊下。襖に松と千鳥が描かれていたところからの名称
(東京国立博物館所蔵)

将軍の居所である江戸城内[殿中]で、刀を抜くことは厳重に禁止され、重い処罰を受けることは容易に想像できます。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が刃傷事件をおこしたのは、大名が正装[礼装]で臨む重要な儀式の場でした。このため、ごく装飾的な「殿中差し」と呼ばれる短刀(ちいさがたな)を差しているだけでした。

江戸時代の殿中刃傷

殿中刃傷事件は、「赤穂事件」の他に例がないわけではありません。江戸時代264年間で7件あったといいます。「赤穂事件」が起こった5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の時代、貞享元年(1684年:「赤穂事件」より17年前)に、若年寄の稲葉石見守正休(いなばいわみのかみまさやす)が大老・堀田筑前守正俊(ほったちくぜんのかみまさとし)を殺害し、正休もその場で殺害された事件もありました。天明4年(1784年)に佐野善左衛門政言(さのぜんざえもんまさこと)が若年寄の田沼玄蕃頭意知(たぬまげんばのかみおきとも)を殺した事件など、いずれも世間を騒がせた大事件でした。

同じ殿中刃傷でも「赤穂事件」が取り立てて注目されたのは、他の事件がいずれも相手を殺害してその目的を一応達したのに対し、浅野内匠頭は吉良上野介(きらこうずけのすけ)にとどめをさすことができず、主君の無念を受けて、赤穂藩浪人たちが復讐を遂げたことが人々の共感を呼んだからではないでしょうか。

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